津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■「熊本城南面真景」という刷り物

2022-06-08 07:24:39 | オークション

          熊本城南面真景 加藤清正 細川 西郷隆盛 刷物 明治 和本 古文書

 西南の役による消失前の明治期の「熊本城南面真景」とする刷り物である。

  

             P3_永青1
 お手本は下の永青文庫蔵、赤星閑意筆の『熊本城之図』だが、上の刷り物の方は西大手門・南大手門がなかったり少々内容はいい加減だ。
いつも思うのは城の全体平面図から、こういう俯瞰の繪を興す繪師(赤星閑意)の力量がすばらしいと感心する。

手前の花畑邸の屋根の上にある、防火水槽なども具体的に書かれているが、坪井川がえらく大河の様であったり、河岸の道もすごく広く描いてあり、熊本城の壮大さを見せる誇張の演出もうまい。
一般庶民は、赤星閑意の繪など御目にかかる機会はないし、お城の全体の様子をうかがい知ることが出来ない当時の人たちにとっては、この刷り物を手にして驚いたことだろう。
熊本城下の御土産として売れたことだろう。
ちなみに下の繪は、ポスターとして売り出されているようだ。
          

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■御侍帳・家紋から考える(28)

2022-06-08 06:48:59 | 家紋

                                 

              新・肥後細川藩侍帳【つ】の部

■都築次左衛門は、(南東25-17)都筑(築)三九郎家の8代目、家紋は「浜洲紋}  

■土山七郎兵衛は、(南東25-4)土山権太左衛門家、代々七郎兵衛を名乗る人が多く人物の特定は不可能である。
 初代の父・土屋志摩守の室が細川綱利生母清高院父清水是道妹だとされる。家紋は「菊輪?に揚羽蝶紋」  

■土屋立怡は、御医師 (南東56-14 医)土屋立家の4代目。家紋は「丸に橘変り紋」?   

■堤 槌之助は、(南東25-6)堤 安兵衛家の6代目。家紋は「丸に滕(ちぎり)紋」及び「鳥居に滕紋」  

■堤 七兵衛は、(南東25-16)堤 騏右衛門家だが、七兵衛名乗りの人物が多く特定に至らない。
 家祖は松下久兵衛・意綱だとされる。家紋は「四つ目結紋」  

■築山彦右衛門は、(南東25-5)築山與四郎家の4代目・貞篤。家紋は「六つ環に■■」、「松笠菱紋」これは細川家(頼之)からの拝領紋だとされる。  
■築山与右衛門は、同上一族(南東25-22)築山與次郎の4代目・五次郎恭之(与右衛門)。家紋は同上 

■築山貞五郎は、(南東25-11)筑山伊兵衛家の4代目、上記二家とは出自を異にする。家紋は「左巴紋」「三つ環に柏紋」  

■妻木吉佐衛門は、(南東25-9)妻木源十郎家の6代・吉左衛門。家紋は「丸に梶の葉紋」

■塚本弥八郎は、(南東25-8)塚本弥右衛門家の5代目、家紋は不詳  

             新・肥後細川藩侍帳【な】の部

■内藤尉右衛門は、(南東29-9)内藤常之丞家、代々が尉右衛門を名乗り人物の特定が出来ない。家紋は「隅切り立角に左三つ巴紋」 

■長岡内膳は、細川忠興の長子家(初代・興孝)内膳家、代々が内膳を名乗り人物の特定は出来ない。
家紋は「九曜紋」と「桔梗紋」桔梗紋は生母明智氏「ガラシャ」由来か

■長岡図書は、細川忠興の末子家(初代・興孝)刑部家の嫡家8代の興礼か、家紋は「九曜紋」と「一引両紋」

■長岡治部之丞は、同上刑部家の5代興行の弟・興恒を初代とする分家の3代幾次郎。家紋は「陰九曜紋」と「一引両紋」

■長岡岩之助は、同上刑部家の4代興章の興致を初代とする分家の3代興直、家紋は「隅立平角に九曜紋」と「一引両紋」

■長岡与三郎は、同上刑部家の嫡家8代興彭(細川重賢・異母弟)の二男・与三郎興度(分家初代)、家紋は「剣付唐花紋」か

■長岡帯刀は、三卿家老松井家の9代微之(あきゆき)か、家紋は「九枚笹紋」

■長岡監物は、三卿家老米田家、代々監物を名乗るが9代是陸か?、家紋は「隅立角紋」今一つは名前不詳

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