樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ 日野草城
今日熊本は「梅雨入りしたらしい」との梅雨入り宣言がありました。
明日はお天気の良い一日になりそうで、早まったんじゃないのという感じです。
今日は1㎜にも満たないような小雨が降りつづいて、なんともしょぼい梅雨入りです。
観葉植物に水まきしなくて済むと思っていたら、余り風もないため雨は真下に落ちていて、ベランダの床も乾ききったまます。
日野草城の句そのままの梅雨入りと相成りました。
樹も草もしづかにて梅雨はじまりぬ 日野草城
今日熊本は「梅雨入りしたらしい」との梅雨入り宣言がありました。
明日はお天気の良い一日になりそうで、早まったんじゃないのという感じです。
今日は1㎜にも満たないような小雨が降りつづいて、なんともしょぼい梅雨入りです。
観葉植物に水まきしなくて済むと思っていたら、余り風もないため雨は真下に落ちていて、ベランダの床も乾ききったまます。
日野草城の句そのままの梅雨入りと相成りました。
「御大工棟梁善蔵ゟ聞覺控」をよむと、「川あび」という言葉が出てきて懐かしく思った。
加藤清正は川の流れを知るために、泳ぎの名人を「川あび」させたとある。その中に「小堀流踏水術」の祖、河合半兵衛が含まれていたとある。
私は幼い頃の夏の遊び場は「江津湖」か「水前寺プール」だった。
小学校低学年の頃は江津湖の上流部の浅瀬で、もやってある川舟を動かして「どんかっちょ」を捕まえたり、石垣下の隙間に群れている「あぶらめ」を網ですくったりして遊んだ。
泳ぐことなどは人に教えられたことはない。見よう見まねで流れにまかせて泳いだものだ。
高学年になると水前寺プールに出かけた。まことに綺麗な湧き水で満たされた25mプールは、四六時中直系1.5m程の排水管から、江津湖に至る水前寺川へ流れ出ていた。
私たちは、プールで泳ぐのではなく、その排
水前寺川の上流部には「木村旅館」(だったと思う)の巨木が川に水平方向に枝を伸ばしていて、それが低いところにあったから、此処からダイブするのも楽しみだった。
手はしわしわになり、寒さで唇が紫色になるまで数時間、まさに「川浴び」で、夏休みの間中は風呂に入るという事はなかったように思う。
中学生になるとプールで水泳の授業があったが、足から飛び込んでばかりいたから、初日スタートで頭をプールの底で打つというアクシデントに見舞われた。
競泳があり私は飛び込んでしばらく潜ったままで泳いだ。平泳ぎで20m程を過ぎたところで顔を上げると、前に誰も居ない。
しめた一番だと思って、プールから上がると・・なんとビリですっかり恥をさらしてしまった。
母方の一族は清正に「川浴び」を命ぜられた河井半兵衛を祖とする「小堀流」の師範の家柄である。
厳密にいうと母の母方(祖母)なのだが・・・
名人と言われた6代師範・猿木宗那は祖母の父親である。弟の7代・小堀平七、同じく8代・城義核、10代・猿木恭經などがいる。
或時姉に、「俺も小堀流を習えばよかった。家元に成られたかもしれん」というと、「中学の頃、競泳でビリに成ったのは誰でしたっけ」と言われたが、「小堀流はスピードを競うものではない」とかなんとか悪態をついた覚えがある。
私の水泳は、小学校時代の川浴び以来一向に進歩していなかった。