津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

我慢

2007-08-05 12:37:08 | 徒然
 「ごめんなさい、ごめんなさい」の丸川珠代や、「自民党でも民主党でもどっちでも良かった」等と広言して憚らない「さくらパパ」などが当選とは、自民党の歴史的惨敗とは別にあきれ返ってしまう。私はいわゆる無党派で、選挙は人物本位で入れて来た。熊本は「松岡問題」を受けて、小沢さんのてこ入れ重点地区となり民主党が勝利した。保守王国と言われた熊本が様替わりしている様にも思えるが、民主党の勢力が根付いたものとも思えない。しかし古い体質に決別し、女性知事や、若い市長を選んだ県民市民の思考は、明らかに変化を遂げている事は間違いない。(結果としての問題もある・・我慢だ)マニフェストが選挙の手段として定着しつつあるが、政策で争われる選挙になれば、私のような無党派も減るだろうし、地域社会の未来というものも見えてくるのだろう。6年間彼等がどんな仕事をするのか見守るしか手がない。いつも国民は我慢を強いられる。
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利休の死

2007-08-04 23:36:07 | 歴史
 「鷺絵源三郎久重覚書=三齋公伝書」に「利休身上相果候ハ・・」として次のようにある。秀吉の祐筆・木下祐桂は一時期譴責を受けて牢人する。利休とは知音の間柄であったが見舞いもなく立腹する。譴責も解けると利休が訪ねてきたが祐桂の立腹は収まらず、二人の間は修復できない状態になった。ある時祐桂に秀吉が「何か珍しい(面白い?)事はないか」と訊ねるので、利休の娘の事を申し上げた。(その娘をみそめて)利休に対し度々祐桂を使者としたが、利休は首を縦に振らない。その折徳善院(前田玄以)が取り成しをしたが遂に切腹に至った・・・と説明する。利休の死の原因は闇の中にあるが、三齋の伝書がそう語るのは説得力がある。徳善院は利休に対して意趣が有ったとも語られている。それは「胴高を取出シ、肩衝と云て利休ニ見スるを、一円ニ物不言、其意趣ニてなり」としている。木下祐桂にしろ徳善院にしろ人物が小さい。
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三齋様御乗物に利休御乗遊され候事

2007-08-04 16:27:45 | 歴史
 渡辺重春という人が著した「豊前志」というものに、表記の記事があるらしい。宮村典太の「盤桓随筆」に転載されているが未見である。このことを指すのであろうと思われる記事を「鷺絵源三郎久重覚書=三齋公伝書」で観る事ができる。

 初めて知った事だが、「三齋初ハ薩摩屋宗二の弟子也」とある。薩摩屋とは利休第一の弟子といわれる山上宗二のことだが、毒舌の人であったらしくそれが災いして秀吉の不興を買い、耳鼻を削がれた上殺されている。その宗二が「兎角易(利休)の茶を参候ハでハ」と云うので、「易へ望候へバ、不及是非只今御茶可申すとて・・・・・」利休との親しい付き合いが始まったのだろう。ある時天王寺屋宗及が利休と忠興両人を招待した。(内容は略する)その帰り道の事であるらしい。「帰りニハ与一郎殿ノ乗物ニ易を乗て乗物の脇ニかちにて与一郎殿御はしり候て帰し也。 (中略) ・・・易を乗て、かちにて乗物ニ御付候事毎度之事なり」とある。利休を師として対応する忠興の気持ちが伺える。

 利休が忠興を以って七哲の一とする所以であろう。
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最大の喜び

2007-08-03 16:32:58 | 徒然
 わがサイトの立ち上げは2003年の8月22日である。そろそろ4年になる。去年の6月アクセスカウンター(55,287)をストップした。数に一喜一憂してもしょうがないと考えたからだ。いやな事もあってサイト自体を閉鎖しようかと思ったこともある。最近悪友が「もう一度カウンターやBBSを復活させろ」とうるさい。やんわりお断りしている。「ブログだけは好調じゃないか、ちょっと義理っぽいのもあるがなー」と痛いところをついてくる。今は老後の生きがいにさえ思えるサイトの運営だが、嬉しい出会いや思いがけない成果が私を突き動かす原動力になっている。道楽じみた独り善がりのサイトだが、インターネットの世界は本人の思惑を超えて、私を今日まで導いてくれた。色々なメールをいただき、貴重な情報や資料を頂戴した。当方がお送りしたささやかな情報が、ルーツ探しのお手伝いとなり喜んでいただくと、これに過ぎる喜びはないしこのサイト運営の醍醐味だと感じる。ここ数日嬉しい事が重なっているが、其の一つ、サイト「コーヒーブレイクエッセイ」の「米良亀雄と神風連」を目のあたりにして、私は感極まっている。
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四傑

2007-08-02 08:14:03 | 歴史
其の一  
小笠原少齋の曾孫権左衛門は、本姓加々美氏を名乗ったが、その二男又兵衛が膨大な記録を残した。元禄期に書き綴った「雑華錦語集」「錦嚢移文」である。
其の二
「肥後文献解題」によると「宮村氏は加々美氏に次ぐ記録家で・・」とあるが、その人宮村典太は「雑撰録」「藻塩草」「盤桓随筆」「吹寄」等の古記録収録を残した。
其の三
私が次に挙げようと思うのは、いつもお世話になっている上妻文庫である。明治末期から昭和中期にかけて「秉燭雑録」437巻を遺した。「肥後文献解題」もまた上妻博之先生の編著によるものである。
其の四
昭和・平成の大業は「平成肥後国誌」であろう。熊本史談会でご一緒する、高田泰史先生お一人での編著による、上下二巻延べ2500頁余りの大傑作である。

 肥後熊本の研究にはこの「四傑」無くしては語られない。感謝。
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歳を考えましょう・・

2007-08-01 23:51:42 | 徒然
 体重(㎏)/身長(m)×身長が25以上は肥満だそうな。私は29ある。最近は運動不足でメタボリック状態、少しやせないと心臓にも悪いと思っているのだが・・・今日は所用で外出せねばならず、チャリンコで行くかと風を切って走ってみた。片道約30分「行きはよいよい帰りはこわい」で、帰り道のわずかの坂で息が切れる。なんだか心臓もばたばた言うし些か不安な気分で大汗をかいて帰宅。胸をおさえてへたり込んでしまった。常備薬「救心」を2・3粒口に放り込んで考えた。心臓のためにはやせねばならぬが、運動で心臓がばたばたじゃーどうすりゃいいんだ・・・血液型B型はこんなにあります。
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