津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■沼田家の鬱憤

2023-05-18 10:23:15 | 史料

 かたずけ資料の中から、次の資料が顔を出した。読んでみると忠興の死の寸前八代に派遣されていた沼田勘解由が、
松井興長・米田是季に宛てた書状を読んだ光尚の驚いた様子が書かれている。
ここに書かれているように、いつも沼田家は割の合わぬ仕事を押し付けられて鬱憤をためている。
2代・延元代の関ヶ原出陣の際、3代・延之代では天草島原の乱出陣の際と二度にわたり留守居を仰せつかっている。
家臣たちの鑓働きの機会を失い大反発をしているが、藩主や重臣が何とか納得させようと努力するが、夫々暗礁に乗
り上げて難儀している。
特に光尚が指揮をした天草島原の際も留守居役を仰せ付けられたが、戦いが集結し大方が帰陣した後も納得出来ない
延之の抵抗は激しく、終には「門」を閉ざした。
武家が門を閉ざすということは、主家に対する公然たる抵抗の意思表示だとされる。家臣らは討手が遣わされること
を覚悟したようだ。
そのことは、花畑邸も知る処とになり、主席家老・松井興長が一人沼田邸を訪ねて懇切に説得に努めた結果延之はよ
うやく「門」を開かせたという。
沼田家と言えば、三卿家老に次ぐ家格と言っても良い、幽齋室・麝香の実家の家柄である。
熊本城の二の丸には、細川家重臣の屋敷がずらりと並んでいる中、その沼田家の屋敷は、西大手門の真正面にあるこ
とも沼田家の家格を伺わせている。
光尚の死後、幼い六丸の家督相続を成就させるために多大な尽力をした延之が、江戸城内でその沙汰が申し下される
と「三間し(す)ざり」をして感涙にむせび平伏し続けたという逸話が残る。                 
いつも正面から御家の為に身命を尽くしたいという気概が見て取れる。それは細川家根本家臣としての矜持であろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

   長岡勘解由八代へ被遣付自然世上不慮之儀も候時ハ
                八代ニ居申間敷由佐渡監物へ充候而誓帋差上驚申候

一、追而申候長岡勘解由儀今度八代へ遣候付自然世上不慮之儀も候有之時ハ八代ニ居申間敷之ニ而其方并監物なとへ
  當候而誓帋を差上候由ニ而其方共なとより指越見届驚申候
一、惣而勘解由儀加藤肥後守没落之砌豊前より人数参事茂可 在之哉と申候節小倉之城之留守ニ可被置之由妙解院殿よ
    り御申付候砌勘解由断を申候由其節重而御留守御申付間敷由被仰候然處ニ有馬一揆発起之刻人數入候節又勘解
  儀熊本之留守ニ可被置之由妙解院殿重而御申付候其節
最前之首尾ニ而候故達而断可申之由ニ而有馬へ勘解由方よ
  り
使者を指越候陣中之事故兎角之儀不被申様ニと存我等かたより状を勘解由かたへ遣異見申候ニ付訴訟申儀存■

  候事
一、其以後熊本に而以来ハふつと留守を仕間敷旨勘解由誓文立候由ニ候主人ニ對候而ハ慮外之様ニ存候得共一陳茂不
  仕
勘解由両度留守を御申付候間勘解由存分之通候尤之様ニ存妙解院殿へ我等茂達而勘解由儀取合なと申候つる
  と覚へ候其故ニ而候哉又自分ニ被思召直候哉其以後御帰国
之砌者勘解由へ懇之様ニ粗及候事

一、右之通候故我等内存ニは勘解由儀以来とても留守居なとニ置可申とハ聊不存候就其今度留守中之書附ニ茂不慮之
  事茂候ハヽ先手ニ加へ可申候若人数少入事候共勘解由なとをハ先へ遣之与之内ニ書入置候此段少茂偽無之候帰国
  之上其
方へ其書付見せ可申候其上異国船なと着岸之砌勘解由ニ平野孫ニ右衛門なと差加遣之由申渡候事

一、右之通ニ候故勘解由儀留守なとニ置可申とハ少茂不存候此度八代遣候儀ハ三齋御逝去之砌ニ候間萬事■かハしき
  儀も
可有之候間目付心ニ遣候条諸事公儀へ聞へ悪さニ成事茂候ハヽ指引を茂可仕候為其勘解由召置候由御老中へ
  咄
申候得者尤之由御申候つる其故右之段申遣候但最前之状ニ何事茂在之時留守ニ居申候様ニ書成候哉又長く城番
  可申付なとヽ申様ニ書中相聞候哉其段ハ
覚へ不申候事

一、必竟勘解由内存ニハ此度八代へ遣候砌若不慮之儀有之時ハいつかたへも可参候當分目付心ニ遣候との儀此方より
  不入念
ニ付唯今何茂迄申候と相見へ候此段者我等違ニ而茂可在之候乍去最前より勘解由留守ニ居候儀断申候通を
  我等
茂渕底存候其断勘解由茂可被存候間誓紙ニ者及申間敷事之様ニ我ニハ存候但不慮之仕合存之時者とても八代
  ニ
居不申候間仕置之心得ニも成可申と存候ての事ニ候ハヽ内證ニ而其方迄申候而事済ニ候于今誓紙ニ而理之段
  等合点不参候此状之通具ニ勘解由へ申聞せ内存之通
急度返事可被申越候為其如此段候謹言

     正月十一日             肥後光尚・御判
                   長岡佐渡守殿

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■熊本城下の坂・索引

2023-05-18 07:45:38 | 史料

 「ブラタモリ」が国民的人気を博すと、タモリ氏が口にする「日本坂道学会」がクローズアップされた。
会員二人でタモリ氏は副会長らしいが、一方別に「日本坂学会」というものがあった。
今は日本を削除して「坂学会」となっているが、以前ここから「熊本城下の坂」の著編者・藤本修氏を紹介してほしいとのメールが入った。
ご迷惑かなと思いながらその旨を藤本氏に連絡したが、今では氏の研究論考「熊本城下の坂」は「日本坂学会」の有力資料となったようだ。
昨日のブログで一部触れたが、全内容を開示することは出来ないが「索引」を御紹介しておきたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 熊本城下の坂 

高山彦九郎日記に、『藪氏に入りて語り、慶宅坂を下る時に高本教授に逢ふて其に入る』。
別な日には、『夜に入りて洗馬橋を渡り塩屋町を過ぎ、右へ新二丁目蔚山町堀ばたへ出て切通を過ぐ、豆腐谷と号す』。

桃文之助は西遊日記で、『当所の地理を覚え候為に、案内者を召し連れ城下内を徘徊致す。先ず観昔坂より京町辺、夫よりニノ丸内へ入る』。

河井継之助は塵坪で、『百間石垣の下を通り木下眞太郎へ往く。木下へ土産のため菓子屋のよき所へ立寄り尋し所、朝鮮飴とて諸國へ廻る当
所の名産あり』、とそれぞれ書き残している。

慶宅坂・観昔坂は何処にあり、慶宅とはどんなネーミングなのか、高本教授・木下眞太郎は彼らとどういった交友があり、屋敷は何処にあっ
たのか。朝鮮飴の菓子屋の屋号は何でどこの町内にあったのか、など彼らの足跡を辿ってこれらの事物を調べてゆくことは、当時の肥後の地
誌民俗歴史を知り得、ハダで感じることが出来ることにもなって興味は尽きない。
熊本城下(府内)にエリアを定め、坂の所在を確認する。坂の出典は、肥後國誌・肥集録・地名事典などから求め、坂の様子風景などは各種
資料から参照引用し、現地を確認して写真を添えた。

 

  〔目次〕 頁番号はWORDの仕様上、頁の上下交互に付いている。本書はB4サイズ。

   一 各種史料に見る坂    1      *京町台西崖エリア
   一 肥集録原本写真     2     一 赤尾口の坂     31
    *熊本城内エリア                一 釋将寺坂      31
   一 薬師坂 槇島坂     3     一 榎木坂       32
   一 砂薬師坂/古京町坂   4     一 新道坂       33
   一 柊木坂         6     一 入道坂 梯子坂   34
   一 法華坂         8     一 雁木坂 雲晴庵坂  34
   一 棒庵坂         9     一 伊庭(射場)坂   35
   一 監物屋敷下坂     10     一 西方寺坂 円光寺坂 35
   一 左仲屋敷下坂     10     一 岩立坂       36
   一 慶宅坂        12     一 竜迫谷坂 一身坂  36
   一 鞍掛坂        13     一 新坂 七曲り坂   37
   一 南坂         14     一 錦坂        39
   一 古城坂        15     一 (錦橋 錦山神社) 40
   一 津川屋敷下坂 同南坂 15     一 (余滴)      41
   一 千葉城坂       16     一 (南京町の旧町名) 42
   一 (宮本武蔵旧宅)   17      *手取・高田原・山崎エリア
   一 大木屋敷下坂     18     一 禿坂 山崎天神前坂 43
   一 宮内坂        19     一 お伊勢坂 三年坂  44
   一 宮内新坂       19     一 声取坂 わくど坂  45
   一 沼田屋敷下坂     20     一 三年坂 上月屋敷下坂46
   一 (豆腐谷)      21     一 錦嚢移文、雑撰録に見る坂
   一 六所宮前坂      22              47~49
   一 山崎口坂       23     一 場所不明の坂    50
   一 (熊本城点景)    24     一(余滴)追廻田畑51~56
    *京町台東崖エリア            一  わくど坂     57
   一 観音坂        25     一  長六橋   58~59
   一 中坂 春木坂     26     一  祭文 お城焼失  60
   一 堀部屋敷下ル坂    27     
   一 牛縊坂        28
   一 新坂         29
   一 迫門坂 三年坂    30

〔索引〕

あ行                         ○砂薬師坂                  4
○赤尾口(構外)の坂        31       ○住江甚右衛門(次郎右衛門)屋敷下坂    47
○小豆坂              18       ○迫戸(瀬戸)坂              30
○有吉(大蔵)屋敷下左右坂     13       ○舩場不破敬次郎屋敷前之坂         48
○一身坂              36          た行
○伊庭坂              35       ○鷹匠小路高林寺前之坂           48
○岩立坂              36       ○鷹匠小路田中道俊屋敷脇之坂        48
○岩立円光寺下坂          35       ○鷹匠小路間部忠右衛門屋敷前田端江下ル坂   48
○岩立観音堂坂           34     ○立田口久本寺脇之坂            49
○岩立向台寺下坂          36     ○立田口薬園前之坂             49
○岩立釈正寺坂           31     ○立田口薬園西脇之坂            49
○牛縊坂              28        ○多武木坂/たぶのき坂            6

○宇土小路南田端江下ル新道坂       33          ○千葉城坂/千葉城橋際之坂         16
○雲晴庵坂             34     ○津川屋敷下坂/津川(平左衛門)屋敷北脇坂 15
○榎木坂              32     ○津川屋敷南坂/津川平左衛門南脇坂     15
○円光寺坂             35     ○寺原瀬戸坂                30
○お伊勢坂             44     ○寺原中坂                 26
○追廻新道坂            48       な行
○追廻田畑(須戸口)坂       43     ○長岡図書屋敷下北門之坂          10
○大木(惣馬・舎人)屋敷下坂    18     ○中坂                   26
○落合弥次兵衛屋敷前之坂      48     ○七曲りの坂                38
か行                         ○仁王門脇坂                19
○上月(兎毛)屋敷下坂       46     ○錦坂                   39
○禿坂               43     ○入道坂                  34
○上林水足七郎助屋敷前之坂     49     ○沼田(権内 十之進)屋敷前之坂      20
○雁木坂              34       は行
○観音坂              25     ○梯子坂                  34
○京町観音坂            25     ○春木坂                  26
○京町仙勝院下中坂江下ル坂     27     ○柊木坂                   6
○京柳坂              29     ○備前堀脇坂                14
○金峰山町浄圓寺前田端江下ル入道坂34      ○藤崎宮仁王門脇坂             19
○鞍掛坂              13     ○古京町坂                  4
○慶宅坂              12     ○古城坂                  15
○監物屋敷下坂           10     ○不破太直屋敷脇中坂へ下ル坂        26
○向台寺坂             36     ○棒菴坂/坊庵坂/棒安坂           9
○肥壷坂              31     ○法念寺脇渡場之坂              4
○声取坂              45     ○法華坂/法花坂               8
さ行                       ○堀部(右学)屋敷下ル坂          27
○西方寺坂             35       ま行
○左仲屋敷下坂           10     ○槇島坂/槇嶋半之丞北脇坂          3
○三年坂        30/44/46     ○三渕屋敷下坂               15
○釋将寺坂             31     ○南坂/南御門前坂             14
○松雲院町渡場之坂         49     ○宮内坂                  19
○新坂            29/38     ○宮内新坂                 19
○新道坂              33       や行
○新堀門外町口龍迫谷江下ル一身坂  36     ○薬師坂                   3
○鋤身崎内検町入口之坂       49     ○山崎口坂                 23
○山崎天神前坂           43
○山田嘉左衛門屋敷脇新堀龍迫谷へ下ル坂 36
○山名志津麿屋敷北脇坂       15
ら行
○竜迫谷坂/龍作谷下坂       36
○六所宮前坂            22
○六所宮社内江上ル坂        49
○六所宮社内藤崎社江上ル坂     49
わ行
○わくど坂             45
場所不明の坂            50
○一丁目門南江上ル坂 ○衣紋坂○芥坂 ○奈三田坂

〔地名施設〕頁順

☆千葉城              16
☆宮本武蔵旧宅           17
☆アズキ谷             18
☆漆畑               19
☆豆腐谷              21
☆下馬橋              23
☆一日亭              24
☆観音橋              25
☆赤尾口              31
☆龍崩                  32
☆岩立               36
☆三身口              37
☆錦橋               39
☆錦山神社          40/60
☆辻射場              41
☆二階町 四軒町 金峰山町     42
☆高田原              43
☆追廻田畑             51
☆わくど坂             57

☆長六橋              58

 

○==========◎==========○==========◎==========○==========◎

〔主な参考引用資料〕

 *坂の出典----肥後國誌、肥集録、肥藩叢録、平凡社・熊本県の地名、市政だより・ふるさと、熊本城みてある記、
                         雑撰録、錦嚢移文、他

 *絵図地図----新熊本市史・絵図地図編、熊本県立図書館所蔵絵図、熊本大学永青文庫研究センター刊本、熊本市立図書  
                         館及び博物館所蔵図 他

   *藩士の家譜---津々堂HP・新肥後細川藩侍帳、細川家系譜

                                 熊本城下の坂

                                  平成二十五年九月  編纂 藤本修 (自家本)

                                      

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする