津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■予行練習の触れ

2023-05-22 08:36:13 | 史料

 文化九申五月廿ニ日付にて奉行所から新藩主の入国の際、御城及び御花畑で御礼をお受けなされるに当たり、滞りがないように「習禮せよ」との触れを出している。
習禮」は「しゅうらい(呉音)」と読むが、予行練習を意味する。
新藩主とは先代斎樹の死をうけて、宇土細川家から宗家をついだ斎護のことである。14歳で宇土藩主(立政)となり、22歳で細川家54万石の太守となった。
以前有吉家文書・年中行事抜粋として47回にわたり詳しくご紹介したが、夫々の御規式についてその所作については厳しい決まりがある。
「形式主義」の最たるものだが、多くの家士が集まる重大な御規式だから「畳目」一つ間違わないようにせよ、と言う訳である。
最近はすっかり忘れてしまっているが、茶道に於ける所作を思い浮かべている。

 一今度御入國之上、於御城御禮被遊御受候節、大勢之御禮人即朝ニ至習禮有之候てハ、手間取御禮初之刻限遅々可       
  致、依之習禮有之度面々ハ、前以着座ハ最寄之御小姓頭え懸合有之、御物頭以下都て最寄之御使番へ懸合、習禮
  相濟居候様、且又揃刻限よりハ随分早メニ相揃被居候様、左候て御禮之即朝は御間所幷御疊目等之物見迄ニて相
  濟御禮速ニ相濟候様                        
 一於御花畑御目見諸御禮等被為受候節も、習禮有之度面々ハ右同断被仰出候、揃刻限前以被罷出候様近年頭々え達
  ニ相成居候得共、大勢之御禮人有之節は習禮ニ手間取、被仰出候揃刻限ニ相濟兼、上ニも度々被遊御待奉恐入候
  儀ニ候間、以來は御目見諸御禮ニ被罷出候面々、兼て父兄よりも習禮等之儀示談有之候様、尤以來頭々えハ定達
  ニ被相心得居、組支配方之内追々御目見御禮被遊御受候節々、其達有之候様、別て遠在宅之面々ハ前廣ニ出所有
  之、習禮相濟居候様、且又御禮即朝御間所拝見仕候節、御所柄之儀ニ付別て謹慎有之も、御城ハ御座所等も御間
  近ニ有之候間、猶更不敬之儀等有之候てハ難相濟候條、子弟之面々えハ是等之所も父兄より精々可被示置候、右
  定之儀付てハ御小姓頭より申達之趣も有之、此段可及達旨御用番被申聞候條、左様御心得、觸支配已下例文
     文化九申五月廿ニ日     御奉行中
                                 (度支彙凾より)

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■大日本近世史料・細川家史料「忠興(三斎)文書-元和七年」を読む (1)

2023-05-22 06:35:05 | 史料

 忠興(三斎)文書-元和七年 (六年廿五日忠興隠居シ三斎宗立ト號ス)

(正月二日忠利江戸着ー二月賜暇帰国)

279、二月廿七日文書
 ・仙石忠政ノ茶碗ノ良否ヲ知ラズ

280、二月廿八日文書
 ・細川興元女ト佐久間勝年トノ縁談、佐久間一類ハ桑山貞時ト間柄悪シ

281、(元和七年カ、月未詳)十六日書状
 ・蜂須賀千松三斎ヲ訪フ

282、三月十日書状
 ・加々爪忠澄ノ依頼ニヨリ茶入ノ蓋ヲ作ル

283、三月十一日書状
 ・同上、蓋ヲ送ル
 ・幕府年寄衆ヲ数寄ニ招く

(日にち不詳、三斎帰国の途に着く)

284、五月一日書状
 ・忠興下國ノ途次忠利ノ使者(金森山三郎)ニ合ウー備後・布刈瀬戸

285、五月十日書状
 ・忠利小倉移徙吉日ト定メ土御門久脩(室・三淵晴員女=幽齋末妹)ニ依頼ス

286、六月十七日書状
 ・中津廻知行替ノコト

(忠利六月廿三日、中津より小倉ニ移徙)

287、六月廿四日書状
 ・生鮑・生栄螺・諸白給候、喜悦

288、七月朔日書状
 ・仙石忠政書状のこと

289、七月三日書状
 ・唐人少峯ニ中津ニテ家ヲ與ヘントス、小倉町屋引候へ

290、七月六日書状
 ・江戸留守居番ノ懈怠(能勢源八)、相談ナク知行遣スコト無用

291、七月八日書状
 ・高台院(豊臣秀吉室)へ例年進物ノ用意
 ・小倉城ノ塀破損ス、以前ニ小倉場修理普請ノ許可ヲ得、忠利ヨリ重ネテ許可ヲ請ヒ修理スベシ

292、七月廿九日書状
 ・谷衛友女ト(細川家家臣)谷主膳ノ祝言

293、八月二日書状
 ・忠利ヨリ好物ノ松茸百五十本贈ラル
 ・当年初ノ小鴨、一入賞玩
 ・豊前并豊後拝領部分ノ絵図、こかねわりノ絵図

294、八月廿日書状
 ・土井利勝ヨリ忠利年末参府ノ旨申来ル
 ・其方證人下候得との由
 ・證人ノコトハ出府以前忠利ヨリ申越スベシ

295、八月廿一日書状
 ・為音信御所柿一籠(五十)、則賞玩候

296、八月廿四日書状
 ・玖珠郡ノ川海苔・草花、何連も珍敷令満足

297、八月廿七日書状
 ・平野長泰ヨリ人抱依頼サル、以後人抱ニ付而ハ三斎関知セズ

298、八月廿九日書状
 ・松平忠輝ノ事
 ・桑山元春、七月廿日歿
 ・松平忠直ノ事
 ・忠利ノ江戸下向ハ土井利勝次第タルベシ
 ・秀忠ノ鉛輸送ノ為船ヲ用意ス
 ・忠利領内ヲ巡見ス

 

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