文化九申五月廿ニ日付にて奉行所から新藩主の入国の際、御城及び御花畑で御礼をお受けなされるに当たり、滞りがないように「習禮せよ」との触れを出している。
「習禮」は「しゅうらい(呉音)」と読むが、予行練習を意味する。
新藩主とは先代斎樹の死をうけて、宇土細川家から宗家をついだ斎護のことである。14歳で宇土藩主(立政)となり、22歳で細川家54万石の太守となった。
以前「有吉家文書・年中行事抜粋」として47回にわたり詳しくご紹介したが、夫々の御規式についてその所作については厳しい決まりがある。
「形式主義」の最たるものだが、多くの家士が集まる重大な御規式だから「畳目」一つ間違わないようにせよ、と言う訳である。
最近はすっかり忘れてしまっているが、茶道に於ける所作を思い浮かべている。
一今度御入國之上、於御城御禮被遊御受候節、大勢之御禮人即朝ニ至習禮有之候てハ、手間取御禮初之刻限遅々可
致、依之習禮有之度面々ハ、前以着座ハ最寄之御小姓頭え懸合有之、御物頭以下都て最寄之御使番へ懸合、習禮
相濟居候様、且又揃刻限よりハ随分早メニ相揃被居候様、左候て御禮之即朝は御間所幷御疊目等之物見迄ニて相
濟御禮速ニ相濟候様
一於御花畑御目見諸御禮等被為受候節も、習禮有之度面々ハ右同断被仰出候、揃刻限前以被罷出候様近年頭々え達
ニ相成居候得共、大勢之御禮人有之節は習禮ニ手間取、被仰出候揃刻限ニ相濟兼、上ニも度々被遊御待奉恐入候
儀ニ候間、以來は御目見諸御禮ニ被罷出候面々、兼て父兄よりも習禮等之儀示談有之候様、尤以來頭々えハ定達
ニ被相心得居、組支配方之内追々御目見御禮被遊御受候節々、其達有之候様、別て遠在宅之面々ハ前廣ニ出所有
之、習禮相濟居候様、且又御禮即朝御間所拝見仕候節、御所柄之儀ニ付別て謹慎有之も、御城ハ御座所等も御間
近ニ有之候間、猶更不敬之儀等有之候てハ難相濟候條、子弟之面々えハ是等之所も父兄より精々可被示置候、右
定之儀付てハ御小姓頭より申達之趣も有之、此段可及達旨御用番被申聞候條、左様御心得、觸支配已下例文
文化九申五月廿ニ日 御奉行中
(度支彙凾より)