津々堂のたわごと日録

爺様のたわごとは果たして世の中で通用するのか?

■御扶持方御切米御帳(5)

2023-05-23 07:03:53 | 史料

御役者衆
 一 拾人扶持三拾石               吉武兵右衛門
 一 拾人扶持銀壹貫五百目            中村次郎兵衛
      但御扶持方ハ大坂著米ニ而渡、銀子ハ二季ニ被遣
 一 五人扶持三拾石               藤井安兵衛
      但御扶持方ハ大坂著米ニ而渡
 一 拾人扶持五拾石               平井十兵衛
 一 拾人扶持大佛判貮枚 大坂渡り          飛羽清右衛門   
      外ニ江戸御国へ相詰候時ハ五人扶持増被遣       
      大佛大判 、大閤大判 、大閤二分判、大閤圓一分判金等 ある も製造年代審かな らす。 )

 一 拾人扶持四拾石 大坂著米ニ而二季被遣      山口権助
        外ニ江戸・御国へ相詰候時ハ五人扶持増被遣
 一 拾五人扶持四拾石大坂著米ニ而二季被遣        深坂忠左衛門
 一 拾人扶持大判貮枚              藤寺七太郎

 一 拾人扶持四拾石               西島市左衛門
 一 拾人扶持貮拾石               奥野五兵衛
 一 右同断                   石田新次郎
 一 四人扶持拾五石 御扶持方斗大坂渡り           福西喜左衛門
 一 右同断                   福王十三郎
 一 五人扶持貮拾石               平井市兵衛
 一 七人扶持貮拾石  御扶持方斗大坂渡り         竹中市郎兵衛
 一 三人扶持拾石              衣裳きせ    傳右衛門
 一 百石  大坂著米ニ而渡ル                   河井専右衛門
      此百石之内ニ而拾五人ふち毎月相渡ル餘米ハ其替ニ被遣
 一 百石  右同                           神戸十左衛門
      此百石之内ニ而拾五人ふち毎月相渡ル餘米ハ其替ニ被遣
 一 拾五人扶持                   豊後屋清兵衛
 一 拾人扶持                    高木与五郎
 一 五人扶持                    宮村権三郎
            (扶ヵ)
 〇御扶持方合百六拾三人御持
 〇御切米合五百五拾石
 〇金大判四枚
 〇銀子壹貫五百目   人数貮拾壹人
    外ニ拾人扶持ハ御増扶持也

御物書・御算用衆                 (ママ)
 一 三人扶持貮拾石                案藤角左衛門

 一 右同断                    阿川十兵衛
 一 三人扶持拾石                 後藤喜左衛門
 一 三人扶持八石                 加来次左衛門
 一 三人扶持拾三石                深野五左衛門
 一 三人扶持拾石                 竹田八右衛門
 一 右同断                    亀尾三太夫
 一 右同断                    横尾吉兵衛
 一 右同断                    宮崎七左衛門
 一 右同断                    菅 権兵衛
 一 右同断                    嘉悦杢兵衛
 一 右同断                    永井安兵衛
 一 右同断                    原田又左衛門
 一 右同断                    野田猪兵衛
 一 右同断                    加来十兵衛
 一 右同断                    竹崎武左衛門
 一 右同断                    河村勘左衛門
 一 右同断                    中島平兵衛
 一 右同断                    坂田勝兵衛
 一 右同断                    片岡三丞
 一 右同断                    芦名彦兵衛
 一 右同断                    和田理左衛門
 一 右同断                    平松金左衛門
 一 右同断                    甲斐勘左衛門
 一 右同断                    足立瀬兵衛
 一 右同断                    篠原安右衛門
 一 右同断                    山田杢丞
 一 右同断                    南野九兵衛
 一 右同断                    大塚安丞
 一 右同断                    中村甚左衛門
 一 右同断                    佐伯徳兵衛
 一 右同断                    竹内善兵衛
 一 右同断                    芦名杢太夫
 一 右同断                    有田吉右衛門
 一 右同断                    河内山十左衛門
 一 右同断                    坂本喜兵衛
 一 右同断                    北川四郎右衛門
 一 貮人扶持拾石                 廣吉傳丞
 一 右同断                    波々伯部甚兵衛
 一 三人扶持七石                 野上五右衛門
 一 右同断                    中島安左衛門
 一 右同断                    則元藤兵衛
 一 右同断                    服部市左衛門
 一 右同断                    竹田文右衛門
 一 貮人扶持八石                 古藤助左衛門
 一 貮人扶持七石                 永松源丞
 一 貮人扶持五石                 守部新兵衛

 〇御扶持方合百三拾六人扶持
 〇御切米合四百六拾六石          人数四十七人                  

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■幽齋「九州道の記」五月廿三日条

2023-05-23 06:54:20 | 先祖附

     くれわたる鐘の御崎をゆく舟に我は忘れずふるさとの夢

 九州道の記。五月廿三日條「赤間關を出て行けるに、雨の名残にや波かぜの荒き故
に、小倉に泊りて、明る夜をこめて舟よそひして、筑州箱崎をさして行に、船人の、
これなむ金が御崎といふ、昔鐘を求め舟に載てきたり、汀近く成て取落して、今に有
と云。日和のよき時は龍頭などみゆるよしを語る。勅撰名寄には、金と云字を書たり
と覺えけるが、鐘にて有べきなどと友達抔に語りける次に、萬葉に、我は忘れずしか
のすべ神と哉覽讀たる事など思ひ出て」。さて右一首をしるし、續いて「かやうに云
戯れ、こぎ行程に、夕浪荒くなりて、やう/\志賀の島に著て、金剛山の宮司の坊に
やどりて」云々。この記事興味多し。二條流の幽齋、なか/\勉強家で、又、強記で、
勅撰名寄の文字を正し、萬葉の歌まで想ひ出し、同舟の友達等(勿論、西征の諸將)
に講義してゐるのである。鐘御崎、筑前國宗像郡の岬角で、響灘に突出してゐる。續
                 (博か)
西遊記に見える梵鐘傳説を、吉田東吾傳士は「附會ならむ」と斷じ、金御崎が正し
く、昔金を採掘したる所といふやうに述べてゐる。萬葉の歌といふは、巻第七雑歌、

    ちはやぶる
 千磐破金之御崎をすぎぬとも我は忘れじ志賀のすめ神

を指す。幽齋これを本歌に取つて、自分は志賀の神よりも故郷の方が忘れ難い、と
「戯れ」たのである。初句「暮れわたる」は單に時刻を現がすのみでなく、第二句
「鐘」にかかつて、入相の響きをも持たせてゐる。〇新村出博士著「南蠻記」昭和十八年五月刊
の中に「沈鐘の傳説」といふ一偏あり、幽齋の書いた鐘にも言及して、「後人の附會
     〇  〇
にもせよ鐘神と解して置いて、此海中の沈鐘をば宗像志賀の諸將の所爲とすることも
出來よう」云々と述べられた。

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