昨日は午後から熊本市南区の釈迦堂にある清田家をH氏にお供して訪問した。約2時間半ある事についてのH氏の取材である。
以前所さんのそこんトコロ「開かずの金庫」-熊本・清田家を書いたが、私はわざわざ録画したBL-Rをお送りいただいた。
この際出てきたメダルが「万延元年遣米使節」の小栗上野に随伴した熊本藩士・木村哲太がその記録にとどめたそのメダルであった。
清田家ご当主・清田泰興氏の解説によるとこの旅は「日米不平等条約」の解消を意図するものであったろうと仰る。
それはまさに、木村哲太の詳細な記録の中に遺されている。
青潮社版の木村哲太の「航米記」p189に大統領の俸禄が書かれている。「二万五十圓($)。我銀一万八千七百五十両」という書き込みがあるが、銀一両といえば銀4.3匁、18,750×4.3匁=80,625匁、60匁が1両だから約1,000両、1両=10万円とすると約1億円となる。
そして当時の大統領の給料が1億円だという話になるが、この計算からすると1$は5,000円ほどになる。
まさに外交的非力がこう事態を招いた。
さて清田家の「開かずの金庫」実際拝見すると「船箪笥」状のものであったが、ここから出てきたのが大統領から贈られたというメダルであった。
それぞれの役職に従い、金・銀・銅のメダルが送られているが、哲太は銅メダルを頂戴している。
直径約30㎜ほどのその実物を拝見した。
2時間半ほどH氏の質問は続いたが、それは何故清田家に此のメダルが存在するのかという事であろう。
木村哲太の渡米の費用約100両は肥後藩が負担している。この決済に清田新兵衛なる人が関わっていなかったかという疑問である。
残念ながらそれにこたえる資料は得られなかったが、大変有意義な時間を過ごすことが出来た。
以前訪問したのは熊本大地震の前であったが、このお宅も大被害が出た。熊本市の「重要建築文化財」の指定を受けたこの建物の修復には1億数千万円がかかったそうだが、熊本市の多額の補助が入っている。
そういう意味において、是非活用の機会を含め見学(無料)にお出でいただきたいとはご当主・泰興氏のお話しである。
付け足し:昔は住まいの周辺に堀が掘られていたらしく「船着き」がある事に気が付いた。
その他、種々の文書の写真撮影などをさせて頂いた。