忠興(三斎)文書-元和七年
311、九月廿八日書状
・鷹ノ鶴二ッ給、令満足候
312、九月廿八日書状
・上方町人ニ豊前ノ山林ヲ請ケシム
313、九月廿八日書状
・老後ノ慰ミノタメ鷹場ヲ所望ス
・惣国鉄炮留
・四郡ヲ三斎餌差場トセラレタシ
314、十月三日書状
・梅若ノ能面ヲ請取ル
315、十月七日書状
・亥ノ祝儀、令満足候
316、十月十一日書状
・常ニ目まいノ氣分
317、十月十二日書状
・鴈一ッ給、令満足候
318、十月十三日書状
・隠居見舞不参ニツキ無分別ヲ申シ後悔ス
(原文=我々隠居不見廻者共之事、此以前無分別ニてむさと志たる儀を申、後悔ニ候) 記事301、309参照されたし
・中山勘解由一両日中肥後下向
319、十月十八日書状
・家臣ヨリノ銀子返済ノコトナド聞届クル氣力全クナシ
公儀傍輩ノコト以外ハ耳ニ入ルゝニ及ズ
・家中縁辺(結婚)ノコトハ関知セズ
320、十月十九日書状
・能興行ニ折給、満足
321、十月廿日書状
・家臣ニ取替タル家ノ代銀及ビ大坂ノ川舟ヲ忠利ニ渡ス
322、十月廿六日書状
・移徙祝儀ノタメ忠利中津ニ立寄ルノ要ナシ
・国中貸米ノコト
・立花宗茂書状拝見
・(忠興女相婿)臼杵藩主・稲葉典通と日出藩主・木下延俊ノ不仲ヲ和解セシメン
323、十一月五日書状
・臺子棕梠箒ナドヲ贈ラル
324、十一月十三日書状
・算用ノ餘米ヲ家中ニ貸すベシ
325、十一月廿日書状
・国中ヘノ貸米(500石程)
・家中貸銀取立分五十貫目ヲ請取ル
・大坂ニテ取立タル銀ヲ中津ニ送ラレタシ
・小身者ノ借米借銀取立
・三渕伊賀(好重=忠興叔父)借米可成取立、残候米ハ借状可被申付
・忠興袖判ノ上方借銀
・忠利江戸召連ノ者ノ借銀借米ヲ切米ト差引ク、銀子出入ノ者ハ穿鑿中
(忠利十一月下旬小倉出立、京都吉田滞在を経て、十二月十四日江戸到着)
326、十二月廿七日書状
・松平忠直ノコト
・歳暮ノ祝儀、令満足候