東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

第1回レクスポ大会 史跡探訪ウォーク約3kmの引率

2022年10月27日 | イベント,行事

 私としては珍しくご高齢の方々を引率しました。田布施スポーツセンター(TAIKOスポーツセンター田布施)から3km程度の史跡巡りウォーキングです。今回に備えて歩くコースの選定のため二度も下見しました。引率したのは老人クラブの方々ですが、古希を迎える私も立派なお仲間でしょうね。一緒に歩いた方々の中に知っている方がおられました。そのため、個人的にも楽しいウォーキングでした。そして、秋の日差しと涼風を浴びながらのんびり歩きました。

        田布施川の土手をのんびり歩きながら浮島神社に向かう


 今回の催しは第1回レクスポ大会(めざせ健康長寿)です。三つの部門に分かれて軽いスポーツをします。一つ目は私が引率した歴史探訪ウォーク約3km、二つ目はレクリエーション&ちょうどええ体操、そして三つ目は健康ウォーク約4.5kmです。私が担当した歴史探訪ウォークでは17人の方が歩きました。そして、近隣の史跡を巡りながら解説しました。

 会場のスポーツセンター    三部門の受付    会長、町長さんの挨拶
  

 歴史探訪ウォークで歩いたのは主に新川地区です。訪れた史跡は、①山崎原遺跡、②恵比寿神社③新川と古川、④新川寮、そして⑤浮島神社です。それぞれ5分程度の解説をしました。そして、1時間位歩いてスタートしたスポーツセンターに戻りました。
 ご高齢の方が多いので、なるべくなごやかに笑いが絶えないような面白いお話を選んで解説しました。例えば、浮島神社での、今ではセクハラとなるお尻をつねる奇習を面白くおかしくお話しました。「この神社の前でお尻をつねってもらえば、良い伴侶が見つかり結婚間違いなし」・・などなど。

    訪れた庄山の恵比寿神社      ひねきりの奇習があった浮島神社
 

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須金フルーツランドと鹿野周辺を散策(1/2)

2022年10月17日 | イベント,行事

 時期遅れの10月中旬、須金フルーツランドと鹿野方面の散策に行ってきました。ブドウなどの果物はもう買えないだろうと思っていました。ですが、ふれあいプラザ須金にかいたファームコーナーがありピオーネが置いてありました。即刻購入しました。
 須金フルーツランドに来た理由は、かいたファームさんの羊に一年ぶりに会うためです。10月上旬に閉園とのことでしたが、たまたまご主人が草刈りをしておられました。ご厚意により羊さんに会うことができました。ありがとうございました。ところが、つい一週間ほど前に羊さんに悲しいことがあり、今はきなこ一頭だけとのこと。仔細を聞いて悲しくなりました。かいたファームを去る時、きなこがべーべーと悲しそうに鳴いていたのが耳に残ります。

         一頭だけになった羊のきなこちゃんを見つめて


 実は、かいたファームさんには誰もいないのではないかと思っていました。そのため、羊さんを遠目に見るだけにしようと思っていました。ところが、ご主人がおられた上にご厚意もあり、ブドウ園の扉を開けていただき羊さんを一年ぶりに見ました。その扉は新しくなっており、上に電線が通っていました。お聞きすると猿除けとのこと。猿は柵に登って侵入してきますから。また、一部に自動の草刈機を導入したそうです。家庭用のルンバのような機械なのでしょう。省力化のための機械のようです。

  ふれあいプラザ須金  かいたファームコーナー   果物外の商品も物色
  

 羊のきなこちゃんを見ながら、ご主人にブドウ園の経営などについてお聞きしました。その時、私が子供の頃に家が酪農を経営していたことをお話しました。父親が乳牛1頭から始めた酪農は、最後30頭位にまでに規模を拡大しました。当時、子供の私はいやいやながらも乳牛の世話をしていました。
 ところが、経営拡大すると人を雇ったり機械化したりせざるを得ず、経費が収入を恒常的に上回るようになりました。そこで、酪農を続けるか止めるかで家族内で葛藤がありました。経営を続けるために農協に出資依頼した人もいたようですが、酪農失敗で財産を全て取られた人がいたと聞きました。我家は早めに酪農から撤退しました。傷口が広がらなくて良かったと思います。

     かいたファームに到着       一人ぼっちのきなこちゃん
 

 お米や牛乳は、どうあがいても単価(米価や乳価)を上げることが難しいのです。そのため、規模を拡大しないと経営がなりたちません。ところが、牛乳でも単価が高いジャージー種に転換した上で、より単価が高いアイスクリームに転換した牧場主に成功した方がいます。須金フルーツランドは、先人の苦労の上でブドウや梨などの品種改良したりブランド化したことで、単価向上を図り生き残ることができたのではないかと思います。
 これらのことは日本全体に言えると思います。単価引き下げだけでは必ず大手企業に負けてしまいます。スイスの時計やフランスのワインのように、ブランド化が生き残る方法の一つだと思います。例えば、時計の機能だけならば100円ショップの腕時計で十分です。しかし、30万円の腕時計はもはやブランドの塊で宝石です。

   鹿野に行く途中、採石場を見学     ダンプの動きや砕石を見学
 

 かいたファームさんを出ると、鹿野方面に向かいました。舗装されているものの狭い山道を通りました。採石場から出入りする大型トラックと時々すれ違いヒヤヒヤしました。その採石場で車を止めて、巨大な働く車を見学しました。専用の巨大なダンプが200m位の高さの山頂まで急坂を登っていました。その他に、シャベルカーなどの車がせわしなく行き来していました。その後、両側の山が迫るような山道をしばらく走っていると鹿野に着きました。

          訪れた須金フルーツランドや鹿野周辺

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わら細工民具「ほぼろ」製作講習会のための準備(5/5)

2022年04月18日 | イベント,行事

 ほぼろの製作で、みなさんが一番興味を持たれるのは底の編み方です。編物と言うと針と糸を使いますが、ほぼろの場合は先端が曲がっている特殊な鈎針を使います。使う糸は縄です。本来ならば、ほぼろを作る前に自分で縄を編んで準備しておかなければなりません。現在、自分の手で縄を編める方はほとんどいません。縄の編み方も講習に含めても良いのですが時間が足りません。そのため、今回は縄の代わりに麻紐を使います。また鈎針ですが、ほぼろを作る人がいない今は当然ながら売っていません。そのため、太い釘を加工して人数分を自作しました。

      ほぼろの製作講習会のため、参加者人数分を自作した鈎針


  鈎針に加工する太い鉄丸釘をDIYのお店に行って探しました。購入してくるとさっそく加工しました。最初に釘の頭をグラインダーで取りました。次に釘胴の頭側をバーナーで真っ赤に熱します。冷めないうちにハンマーで平らに叩きます。いわゆる鍛造加工です。「真っ赤に熱する-叩く」を何度か繰り返します。次に、叩いた中心にセンターポンチで印を打ち込みます。

  加工する前の釘の頭    釘の胴を鍛造加工    左:縄を通す昔の鈎針
  

 最後にドリルで中心に穴を開けます。麻紐が通る直径の穴を開けました。径3mm位でしょうか。最後にバリを取って完成です。「釘頭を取る-鍛造加工-センターポンチ加工-ドリルで穴あけ-バリ取り」。これを釘の本数繰り返しました。今回は、13本の釘を加工しました。腕が疲れました。これでほぼろを作るための道具の準備が終わりました。講習会当日はタープを二枚張ります。事前に配置を考えながらタープを張る練習をしておこうと思います。

  麻紐を通する穴をドリルで開ける   穴を開け終わった釘、あとはバリ取り
 

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わら細工民具「ほぼろ」製作講習会のための準備(4/5)

2022年04月14日 | イベント,行事

 この五月上旬のほぼろ製作講習会の準備を進めています。今回は、ワラを次々に編む「駒」を参加者人数分作りました。また、昔から使われている素朴な「駒」を、初心者でも紐を繰り出しやすいように工夫しました。一人六個の「駒」を使います。最大10人がほぼろを作ることができるように10人 x 6個 = 60個の「駒」を作りました。昔は一つの家に二つ程度馬や駒があれば足りますが、10人分の「馬」や「駒」などを準備するのはなかなか大変です。

          ほぼろ製作講習会で使う「馬」や「駒」


 「駒」を作るため材木店で角材を必要本数購入しました。その角材を約20cm位の長さで切りました。そして、紐を通す穴(径5mm位)をドリルで開けました。これで、昔から使われてきた「駒」がほぼ完成しました。
 開けた穴に太目のタコ糸(20cm位)を通して両端を結びます。続いて、ワラを編むための紐をぐるぐる巻き締めました。この「駒」には私が考案した工夫をしました。初心者でも紐を簡単に繰り出すことができる工夫です。

  角材を次々に切断    駒の底部斜めに穴開け    穴にタコ糸を通す
  

 ワラを編んでいくと、編むための紐がだんだん短くなってきます。そんな時。「駒」に巻き締められた紐を少しずつ繰り出します。「駒」に巻き締められた紐を、必要な長さだけ繰り出します。それと同時に、その長さ以上に解けないように固定します。この繰り返しです。ほぼろ製作講習会に参加された方々がすぐにワラを編めるように、60個の「駒」すべてに紐を巻き締めておきました。

 駒2個でペア、1人3ペアの駒を使用      10人分の駒を準備完了
 

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わら細工民具「ほぼろ」製作講習会のための準備(2/5)

2022年04月07日 | イベント,行事

 ほぼろを作るための治具である「馬」を作っています。去年、ほぼろを作った時の経験を生かして簡単に組み立てできるように、さらに折りたたみできるように工夫しました。馬は四本の脚を広げているため運搬時に不便です。特に車に出し入れする時に脚が引っかかるのです。そのため、今回は足の根元が折りたたみできるようにしました。これで、郷土館以外にも容易に運搬できるようになりました。今後、ほぼろを公民館など外部で講習会を開く時に役に立つと思います。まだまだ工夫の余地があるため、今後追加製作する時はより小さく畳めるように工夫しようと思います。

        車に載せやすいように、折りたたみ可能な「馬」


 今回追加製作した馬は5個です。これまで作った馬と合わせると11個になります。なお、伝統的な古い馬が2個あるため合計13個の馬があります。この5月連休中の講習会に8人募集しますので、数的には十分です。教える私の分を除くと、最大12人を教えることができます。ベテランは一日に一つのほぼろを作ることができますが、初めての方は少し厳しいです。早くできるための工夫もしようと思います。

 馬の背中を固定する板    脚を固定する板    馬の脚を製作完了
  

 馬を構成する板はすべて木工ボンドと木ネジで固定しました。木工ボンドでは強い力が加わると外れるリスクがあります。そのため、木ネジでさらに強く固定しました。板自体が割れない限り傷むことはありません。これで馬が完成しました。次に、編むために必要な駒を追加製作しようと思います。

    背を固定する板の取り付け      ネジを回して背を固定
 

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田布施町郷土館 遺品展示ケース掃除、蛍光管交換など年末の大掃除

2021年12月25日 | イベント,行事

 あと一週間ばかりすると年が変わります。郷土館は毎年のことですが、館内の大掃除をしました。天井の照明を点検したり、展示ケースの清掃をしたり、給湯室などの掃除などをしました。郷土館はいつもは一人勤務ですが、年末の大掃除は全員(3人)が集まります。それぞれの分担を決めてから掃除に入りました。私は、岸佐藤元宰相の遺品展示ケース内を点検しました。そして、ケース天井の照明を点検して暗くなっている蛍光管があれば交換しました。遺品に触らないように、展示ケース内をカニ歩きしながら移動しました。

       岸佐藤元宰相の遺品展示ケース前面ガラスを清掃


 そう言えば、来年は沖縄返還50周年になります。沖縄返還に関わる佐藤元宰相の遺品の一部が、沖縄県で展示されるのではないかと思います。それを思いながら、そろりと沖縄返還メダルの横を歩きました。その後、古代遺跡展示コーナーに移りました。そして、同じように展示ケースを磨きました。最後に給湯室の整理整頓掃除をしました。大掃除が終わったのがお昼前でした。午後は田布施農工高校の生徒さん達が来館しました。田布施の昔の生活、田布施の古墳などの遺跡、そして、岸佐藤元宰相など田布施の偉人について説明しました。あれこれと忙しい一日が過ぎていきました。

 岸佐藤元宰相の遺品    遺品展示室の照明交換   遺跡展示ケースを磨く
  

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國木田独歩生誕150年記念展示会の開催、田布施町郷土館

2021年10月01日 | イベント,行事

 明日10月1日から11月30日まで、田布施町郷土館で「國木田独歩生誕15年記念展示会」を開催します。2ヶ月程度準備に時間をかけて、150点もの資料を整理したり、説明分を付けたりして展示しました。準備中に展示物や説明文を何度も変更して頭が疲れました。そのため、開催できてほっとしています。
 なお、展示会開催に合わせて独歩に関わる史跡巡りを二度計画しています。旧麻郷と旧麻里布村コースと旧田布施町コースです。各史跡に着くごとに私が解説します。とは言え、コロナ惨禍が続いていますので、県外の方はまだ入館できないなど制限があります。残念ですが仕方ありません。

     入館時の受付を済ませると、國木田独歩の展示室が目の前に


 展示会は、大きく五つのコーナーから構成されています。一つは当時の旧麻郷村です。独歩が仮寓した吉見家を中心に、高塔山などの古写真などを展示しました。二つ目は旧麻里府村です。独歩が行き来した石埼家や馬島などの古写真などを展示しました。三つ目は旧田布施町です。独歩が開いた波野英学塾や小説「富岡先生」と題材になった富永有隣の定基塾などの説明しました。四つ目は平生,柳井,そして独歩が住んだ東京の資料を展示しました。ただし、展示会場が狭いためこの地区については全てを展示できませんでした。

独歩の一生が分かる年譜    旧麻郷村のコーナー   旧麻里府村のコーナー  
  

 最後五つ目は、独歩が生誕してから亡くなるまでの年譜(4mの長さ)にして展示しました。この年譜を見ると独歩の一生と田布施の歴史を辿ることができます。そして、この年譜に田布施町が生んだ岸信介元宰相と佐藤栄作元宰相の年譜も入れておきました。さらに、独歩と関りがあった富永有隣の年譜も繰り込んでおきました。この年譜を辿ると明治時代が分かると思います。 

   平生、柳井、東京コーナー        郷土館外の展示会案内図
 

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田布施町郷土館 國木田独歩生誕150年記念展示会の準備(1/2)

2021年09月17日 | イベント,行事

 今年は、國木田独歩生誕150年目に当たります。それを記念して、國木田独歩が多感な二十歳頃を過ごした田布施町で10月~11月展示会を開催します。独歩の小説である「帰去来」,「酒中日記」,「富岡先生」,「非凡なる凡人」などの田布施町に関わる資料を展示します。そして、独歩と親しく関わった人々や、独歩が親しんだ山,川,海,島などの古い写真なども展示します。また、当時に使われた明治の教科書や田布施町と独歩の年譜も展示もします。さらに、10月と11月に独歩に関わる史跡や地域を訪ねるウォーキングをします。私が歩きながら解説します。田布施町郷土館で、それらの準備をしている最中です。

      田布施仮寓時代の國木田独歩に関わる写真や資料を掲示中


 國木田独歩が田布施町に残した足跡がたくさんあります。それを、年代的に、地域別に分かりやすく展示しようと奮闘しています。私は博物館や歴史館に勤める学芸員ではありません。しかし、それに負けないような展示会になるように同僚と考えています。あと二週間後の展示会開催に間に合うよう努力しています。なお、コロナ惨禍のため9月末まで田布施町郷土館は閉館中です。コロナが収束せず、このまま閉館が続かないかと危惧しています。

   展示のためのワークスペース    展示するたくさんの古写真など
 

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令和3年度、田布施少年少女発明クラブの開講式

2021年04月11日 | イベント,行事

 昨年度の田布施少年少女発明クラブはコロナ蔓延のため9月に開講しました。そして、再度コロナ蔓延のため1月から3月まで閉校となりました。そのため、活動できたなのは9月~12月の四ヶ月間だけでした。今、都会では四次のコロナ蔓延になりつつあるようです。今年度も活動が制限されるのではないかと不安に思っています。

      令和3年度田布施少年少女発明クラブの新クラブ員達22名


 開講式が滞りなく終わると、新クラブ員と一緒に工作室に行きました。指導員さん達を子供達に紹介後、各班で自己紹介や今年度工作したい希望などを聞いたりしました。その後、私の方から今後の活動についてのルールやマナーなどについて話をしました。子供達が帰った後、指導員さん達とミーティングをして解散としました。今後どの程度コロナが蔓延するかによって、活動時期や内容が変えなければならず悩ましいところです。

  発明クラブ会長挨拶   子供達と工作室へ移動   指導員さん達の紹介
  

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良い年でありますように、田布施町の主要な神社を初詣

2021年01月04日 | イベント,行事

 午後晴れてきたため、田布施町の主要な神社を初詣しました。ちなみに、5年前に町内ほぼ全ての神社や祠77ヶ所を初詣しました。朝から晩まで、海から山まで走り回りました。一番疲れたのは、道のない山の上の方にあるお社です。登ったり降りたりの繰り返しで、ほとほと疲れました。今はそんな元気はないため、主要な神社だけを初詣しました。最初に氏子である高松八幡宮を初詣しました。そして、交通安全のお守りを購入しました。予想はしていましたが、コロナの関係でいつもより初詣する人が少ないように思いました。続いて麻里府の住吉神社に向かいました。ところが、中型バイクで初詣しようと思っていたらエンジンがかかりません。仕方なく原付バイクで出かけました。これも何かのご加護なのでしょうか、事故なく我家に戻ってくることができました。

        去年よりも初詣の方が少ない高松八幡宮


 麻里府に着くと、住吉神社が鎮座する山のふもとにバイクを止めました。そして、誰もいないお社に初詣しました。参道を登っていると、傾いている石の塀などが目につきました。倒壊しないか心配です。続いて、郷土館元館長のNさんの家に寄りました。ご在宅中で、暖かいコーヒーなどいただきながら談笑しました。ありがとうございました。温まった体で八尋石八幡宮を初詣しました。続いて、城南の石ノ口八幡宮に向かいました。

 麻里府 住吉神社     西田布施 八尋石八幡宮     城南 石ノ口八幡宮
  

 城南地区を南から北に横断して石ノ口八幡宮に着きました。やはり人が少なく、私以外は1組が初詣しているだけでした。続いて、小行司の多賀神社に行きました。小行司は田布施町の飛地です。そのため、途中光市を通り抜けないと行けません。去年はたい焼き屋さんがあったのですが、行くのが遅かったのか、畳んでいました。この神社は命の神様と言われ、戦時中に出征した息子の安全を祈る母親たちが毎日のように参拝していたそうです。

  多賀神社から見た瀬戸内海        とても静かな多賀神社
 

  多賀神社を初詣し終わると、山を下りて八幡八幡宮に向かいました。やはり誰もいない静かなお社が私を迎えてくれました。お賽銭を投げ入れてお祈りをしました。続いて八坂神社(祇園社)に向かいました。車の流れを見下ろしながら石段を登りました。振り返ると田布施街が見下ろせます。私が勤める郷土館も見えました。

 大波野 八幡八幡宮     見晴らし良い八坂神社     静かな菅原神社
  

 最後に、菅原神社に向かいました。私が幼児の頃、祖母がお祭りのたびに連れて行ってくれた神社です。かつては市とお祭りが一緒に開催され、道端に所狭しと物が置いてあり売っていました。牛が引く牛車のギリギリする車輪の音を今でも覚えています。お祭りは今でもありますが、もう牛車がありません。菅原神社の参拝を終えると我家に戻りました。寒空の中を走ったため、体が冷えてきってしまいました。すぐにこたつに入って体を温めました。さて、今年はどんな年になるでしょうか。良い年になればと願っています。

         初詣をした、田布施町内の主要な神社

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シイタケ用原木の伐採と、しめ縄作り講習会(2/2)

2020年12月25日 | イベント,行事

 クヌギを伐採してシイタケ栽培用の原木を取ると、しめ縄作り講習会に入りました。公民館などで教えるような立派なしめ縄ではなく、私が20年以上前から作り続けている素朴なしめ縄です。飾りも、ウラジロやゆずり葉などしか使いません。それ以上の飾りは、各自が自由に取り付けます。例えば、昆布,橙,または御幣などを取り付けます。今回は、どのしめ縄も共通な編み方を教えました。三等分したわら束をそれぞれ巻きながら、その三束を組み上げます。私は左手で三束を押さえるため、何本もしめ縄を作ると左手の指又が痛くなります。そのため足で押さえてもかまいません。・・わらのみご取り,束にしたわらの締め方,わら束の押さえ方,そして編み方や組み上げなどを順番に教えました。

   作成途中のしめ縄、このあとウラジロやゆずり葉などを取り付け


 まず初めに、わらを木槌で叩いて、手櫛や千歯を使ってみご取りをします。こうして、わらの芯だけを取り出します。次に、細いわらを数本撚ってわら紐を作ります。私が手本を見せましたが難しいようでしたので、今回は麻紐で代用しました。束にしたわらの根本を麻紐で巻き結びして強く縛ります。そのわら束を左手で持ち、わら束を三分割します。その三分割したわらの根本を、親指-人差し指,人差し指-中指,中指-薬指の三ヶ所の指又で挟むように押さえます。続いて、それぞれのわら束を左巻きに巻きます。一番大切なことは、巻いたわらが解けないように指又で強く挟むことです。このようにしながら、わら束の先端に向かって編み上げていきます。

     わら束を木槌で叩く         わら束の根本を縛る
 

 先端まで編み終えると、火で軽くあぶります。こうすることによって、ひげのようにはみ出たわらくずを燃やし取ります。そして、わら束でごしごし擦ってつやを出し、最後にしめ縄らしく丸めます。その後は、各人が自由にウラジロ,ゆずり葉,橙,昆布,御幣などを取り付けます。これで各自オリジナルのしめ縄の完成です。

しめ縄らしく編み上げる  Tさんの昆布付きしめ縄   Sさんの御幣付きしめ縄
  

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年末恒例の郷土館大掃除、展示ケース磨きや蛍光灯交換など

2020年12月22日 | イベント,行事

 一年は早いものです。あと十日後には年が変わります。毎年のことですが、郷土館は年明けに備えて大掃除をしました。なお、しばらくは休館中で来館者は無いのですが掃除だけはしておきました。最初に掃除したのは、メインの展示会場である、元宰相岸佐藤展示室,田布施町の偉人紹介室,そして古代遺跡展示室です。泡状のガラスクリーナーを展示ケースのガラスに吹き付けて、そのガラスを布で何度も丁寧に拭きます。最後に、乾いた布でから拭きしました。ガラスについていた指紋などの汚れを綺麗に取り去りました。

       田布施町紹介コーナーの蛍光灯を新品に交換


 展示ケースをピカピカに磨き終わると、少し休憩しました。続いて、この一年間に劣化した蛍光灯などの照明の点検・交換をしました。ちらちらする蛍光管はいずれ点灯しなくなります。そのため、どんどん交換しました。ただし、気をつけなければならないのはグローランプです。蛍光管を新品に交換したのに点灯しないのは、蛍光管の不良ではなくグローランプの不良です。今回の大掃除でたくさんの蛍光管とグローランプを交換しました。新年早々、蛍光管とグローランプの補充をしようと思います。今回の大掃除の対象外ですが、今年の工事で屋上は見違えるように綺麗になっています。

    新品の蛍光管を取り出す       綺麗になった郷土館の屋上
 

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西田布施公民館で歴史講座 今年度最後の移動郷土館

2020年02月18日 | イベント,行事

 今年度最後の移動郷土館を、西田布施公民館の生きがい教室で開催しました。今年度は6回の移動郷土館でした。移動郷土館は、公民館や集会所などで地域の古代からの歴史や史跡の由来などを紹介します。移動郷土館を開催するのあたって、事前にその地域の歴史などを調べておく必要があります。そのため、私自身の歴史の勉強にもなります。来年度もこのペースで開催できればと思います。

  西田布施公民館の生きがい教室での移動郷土館「地域の歴史講座」


 今回は西田布施で発掘された弥生時代の遺物,古墳時代の遺跡,神社仏閣の由来などを中心に紹介しました。また、身近な存在である小中学校の統廃合の歴史も紹介しました。「西田布施小学校」から「田布施西小学校」へ改名した理由は、興味深く聞いていただけたのではないでしょうか。
 ただ、私のお話が15分位長くなってしまったため、懐かしの幻燈機を上映することができませんでした。西公民館の館長さんや主事さんにせっかく事前に練習していただいたのに、上映できずご迷惑をおかけしました。

    古墳時代の西田布施      明治時代以降の小学校統廃合の歴史
 

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今年も田布施各地区の神社を初もうで

2020年01月02日 | イベント,行事

 毎年のお正月のとおり、田布施町各地域の神社を初詣しました。今年は、去年初詣した神社を逆回りに初詣してみました。最初に行ったのは隣の川添地区に鎮座する浮島神社です。この神社、なぜ浮島と呼ぶのか分かりません。同じ名前の神社が全国にもあります。由来で多いのは、島や半島に鎮座しているため遠くから見ると水に浮かんでいるように見えることです。川添の浮島神社、古代においては島でした。江戸時代に干拓されて半島になり、最後には今のように陸続きになっています。平生町の竪ヶ浜などから遠望すると、かつては水に浮いて見えたのではないかと思います。続いて菅原神社に行きました。

        去年は最初に今年は最後に、初詣した高松八幡宮


 菅原神社は、去年の菅原天神祭の子供神輿と一緒に街内を歩いて回りました。このお祭り、今から60年前私が幼児の頃はもっと賑やかでした。牛車が練り歩いたり、道では市場が開かれていました。お正月の今日、初詣していたのは私とある母娘だけでした。お互い見知らぬままに新年のご挨拶をしました。次に八和田八幡宮に向かいました。少し人が多くなり、ざっと見て10人位が初詣に来ていました。

  静かな浮島神社     下田布施 菅原神社    大波野 八和田八幡宮
  

 続いて、田布施町飛地の小行司にある多賀神社に行きました。飛地であるため、途中光市を通って向かいました。この神社はふだんは訪れる人が少ないのに、お正月はいつもたくさんの人が初詣にきています。車が何台も並んで駐車していました。この神社にだけはお店(しゃっぽ焼き)が開いているのです。私は五つ買いました。一つはその場で食べて、残りはお土産に持って帰りました。ここから遠望すると、馬島,佐合島,長島,祝島などの島々がよく見えました。

   小行司の多賀神社           石城山麓の石ノ口八幡宮
 

 小行司から戻ると石城山麓にある城南宿井地区の石ノ口八幡宮に行きました。去年はそれなりに人が多かったのですが、初詣する時間帯が悪かったのか総代さん以外誰もいませんでした。しかし、本殿前に供えられた門松は一番立派だったように思います。続いて、城南西山地区の妙見神社に向かいました。呉麓山麓の曲がりくねる林道をしばらく行くと本殿が見えました。誰もいない静かな本殿でした。妙見神社の日溜まりで体を温めてから八尋石八幡宮に向かいました。

  城南西山 妙見神社   上田布施 八尋石八幡宮    麻里府 住吉神社
  

 八尋石八幡宮を出ると、田布施町郷土館元館長のN氏宅を訪れました。ちょうどご在宅中でしたので1時間ばかり談笑しました。コーヒー等ありがとうございました。今年もよろしくお願い致します。その後、麻里府の住吉神社に行きました。その昔、神社の麓近くが海岸でした。当時は、海岸にたくさんの船が舳先を連ねてお祓いを受けたそうです。そして、暴れ神輿が練り歩いたとのこと。続いて、最後に高松八幡宮に初詣しました。さすがに、この神社は数えきれない参拝者で溢れていました。交通安全のお札を買った後、本殿に向かい拝礼しました。今年の初詣はこれで無事終了しました。明日からは、掃除や簡単な野良仕事でもしようかと思います。

          初詣に訪れた田布施町各地の神社

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山口県立美術館 岸田劉生展を鑑賞ほか

2019年12月23日 | イベント,行事

 山口県立美術館の岸田劉生展は今日22日で終わりました。先週、友達と岸田劉生の作品を鑑賞するために山口県立美術館に行ってきました。山口県立美術館に来たのは毛利敬親展以来です。久しぶりの山口市で、私の車で行ってきました。当日はあいにくの雨でしたが、トラブルもなく予定通り行きました。ただ、私の車にはETCが付いていないので、インターのゲートでそのつど手を伸ばしてカードを取らなければなりません。インターを出る時はさらに悲惨です。お金を入れておつりを受け取らなければなりません。今の車は亡き父の形見で、ETC無しのまま10年以上乗っていることになります。車を買い替える時にはETC付きの車にしようと思います。

          小雨の中、山口県立美術館の岸田劉生展


 展示は思っていたよりも良かったです。岸田劉生の生い立ちや一生の説明があり、劉生の年齢ごとに作風が変わっていくのが良く分かります。私は岸田劉生は洋風画家とばかり思っていましたが、年齢を重ねるにつれて和風にも目覚めていることが作品に現れています。水墨画の作品もあることを初めて知りました。有名な作品「麗子微笑」は残念ながら8日に広島の美術館に移っていました。

 山口県立美術館受付   趣のある旧山口藩庁門    旧山口県会議事堂
  

 山口県立美術館の後、埋蔵文化センターに寄ろうと思っていました。しかし、時間がないためスルーしました。大きく趣のある旧山口藩庁門をくぐり、旧山口県会議事堂を横に見ながら現山口県庁に行きました。そして、2階にある食堂に入りました。各自食券を買い昼食タイムにしました。その後、県庁最上部にある喫茶に行って談笑しました。窓から、山口県立山口博物館や埋蔵文化センターが見下ろせました。1時間位和んでから田布施に帰りました。

   久しぶりに来た山口県庁        県庁最上階の喫茶からの眺め
 

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