東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

上関町 尾国~皇座山~上関を散策

2012年12月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

 上関の皇座山は、周東地区にある山の中で私の好きな山の一つです。子供の頃から何度も登りました。最近では、この夏にバイクで、4年前に5年前にも登りました。40年ほど前の大学年のときに、友達と上関までバスで来て歩いて登ったこともありました。それ以前は、小学生頃に親戚の叔父さんに連れられて何度か登りました。近隣の山では一番多く登った山ではないかと思います。

      山頂手前の尾国と上関の分岐点      山頂手前の駐車場付近
 

 今回皇座山に登ったのは、ウォーキングする場合の歩程を計測するためです。バイクの距離計を使っておよその距離を測りました。この山は、車で登ればあっという間に到着しますが、歩いて登ると1.5時間程度かかります。山頂付近の駐車場を中心に、山頂と展望台へは反対の道を歩きます。山頂への道に加え展望台への距離も測りました。

      駐車場から約1Kmの山頂、この巨岩の上から平群島などが見渡せる


 山頂までバイクで行ってみました。途中、相ノ浦からの登山口があります。この夏山頂に来た時、あたりは身の丈ほどある草がボーボーに生えていました。地面が草で覆われ、岩しか見えないほどでした。今回は、草がきれいに刈り払われていました。山頂で眼下に見える平群島やその向こうに見える四国を見下ろしながら休憩しました。

     駐車場近くの休憩所               休憩所から0.7Km先の展望台
 

 いったん駐車場に戻ると、こんどは0.7Kmほど離れた展望台まで歩いて行ってみました。ここからは、瀬戸内海を遠望することができます。遠く、四国や九州をはっきり確認できます。四国は街や工場の形さえ確認できるほどよく見えます。ここは、あらためて四国が近いことを確認できる良い場所です。

              周防大島が眼下によく見渡せる、その先には四国の街も


 展望台から西を見ると、祝島やその向こうに九州がよく見えます。九州はさすがに遠いので、街は見えませんが山の形ははっきり見えます。国東半島、由布岳や阿蘇と思われる峰々が分かります。また、眼下に上盛山が見下ろせます。上盛山も高い山だと思っていましたが、皇座山の方がより高いことを実感できます。

          西方向には、上盛山(丸),祝島,そして九州の山々が見える


 展望台から皇座山を振り返ると、そのなだらかな山の形がよく分かります。柳井市の琴石山は岩だらけの上り下りが激しい男性的な山ですが、この皇座山はなだらかで女性的な山だと言えます。駐車場,山頂,神社の位置関係が、この展望台からよく分かります。

 展望台から皇座山を振り返って、駐車場(左),山頂,神社(右)の位置がよく分かる


 展望台で眼下の景色を堪能していると、日が沈みかけてきました。急いで下山することにしました。途中、上関の研修所跡に寄ってみました。研修所の前は牧場か何かの跡地だったようです。さらにその前は、父親の話では昭和20年代初期に開拓団が住んでいたそうです。私が子供の頃、父親は牧場を経営していました。このため、父親の知り合いがこの皇座山で開拓団として牧場か何かを経営していたのかも知れません。

 研修所跡、それ以前は牧場や開拓団跡      皇座山登山口、傍にバス停
 

 皇座山から下山すると、バス停でバスの時間を調べました。ちなみに皇座山へは尾国から室津半島スカイラインを通って皇座山に行きました。尾国から駐車場手前の上関からの道との出会いまで6.3Km、出会いから駐車場までは0.5Km、駐車場から頂上まで1.1Km、駐車場から展望台まで0.7Km、上関からの道との出会いから上関登山口まで4.6Kmの距離でした。上関から歩いて登る場合、皇座山駐車場まで2時間かからないと思います。
 下山後、登山口から0.4Km先にある高校同級生の経営するガソリンスタンドに立ち寄りました。ちょうど同級生がいたので、少しの時間ですが談笑しました。そして日が傾く道路を一気に我家に帰りました。

               皇座山で通ったGPSポイント、どこも歩きやすく快適

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田布施、たくあん用の大根を干す

2012年12月15日 | 野菜:根菜



 この4月に山口県の田布施に帰って初めての冬です。田布施で初めてのたくあん作りをしようと思います。東京の八王子市に住んでいた時は、広島菜などの漬物をいくつか作りました。今回、最初にたくあんから漬物を作ろうと思います。広島菜や白菜はたくあん用大根を干している間に作ろうと思います。まずは、たくあん用にする大根を抜くことから始めました。抜いたのは、9月末に種まきした大根です。

  霜があたる大根を一つ一つ抜く     大根の葉を包丁で切り落とす
 

 早朝に大根を抜いたのですが霜で白くなっており冷たいこと。手がすぐに痛くなってきました。大根を抜き終ると、葉を包丁でバッサリと切り取りました。そして、大根を水に付けて綺麗に洗いました。洗った水は、地下水をくみ上げたものです。素手で大根を洗っても暖かくて助かります。綺麗に洗った大根を、一輪車に乗せて軒下に持っていきました。

       暖かい地下水で、葉を切り取った大根をせっせと洗う


 洗った大根を、日の当たる風通しの良い軒下にぶら下げました。ワラ縄で大根を6個程度を一組にして数組をぶら下げました。掘り上げた大根の中には、形が悪いものが少しありました。それらの大根は小さく刻んで、やはり干すことにしました。カンピョウのようなものにします。

       ワラ縄を使って、洗った大根をぶら下げるように干す


 ところで、この田布施では大根を干している光景を見ません。たくあんは作るのではなく、購入する漬物になってしまったようです。洗った大根30個位を次々にぶら下げました。この軒下は西日がよく当たり風通しが良いので、一週間もすれば大根は干されてしなるようになると思います。

         ぶら下げた大根、西日が当たって白く光る


 大根の葉も無駄にしません。同じように干して大根と一緒に漬けます。また漬けないで、さっと湯がいて冷凍すれば毎日の葉物野菜に使うこともできます。都会では、ふだん葉付き大根はあまり見ませんが、野菜の価格が高騰すると葉付き大根が出回るようなります。

    大根の葉を洗って集める        大根と一緒に葉も干す
 

 ところで、変わった形の大根を収穫できることがあります。根が伸びる個所に石ころがあるか、土中で虫に食われたのか、原因はよく分かりません。時々、人の足のような大根や、動物の形をした大根が見つかります。今回、とてもセクシーな形をした大根がありました(笑)。
 大根以外に干したものがあります。クチナシです。家の庭にクチナシの木が生えており、その実をたくあんの色づけに使ってみようと思いました。実は小さいのですが、ちゃんとした黄色をしているので使えると思います。

セクシーな大根、食べると元気が出る?     クチナシの黄色い実
 

 クチナシを食材の色づけに使うのは初めてのことです。乾かして粉にして使うそうです。粉にする機械ですが、高校生に田植え後全粒粉小麦粉を作ってもらった時子供達に体験的に使ってもらった手回し製粉機があります。それを使ってクチナシの実を粉にしようと思います。そして、たくあんを漬ける時に、ヌカに混ぜて使ってみようと思います。ただ、どのくらい混ぜてよいのか分かりません。

         収穫後、ザルの上で干しているクチナシの実

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木製の古い唐箕をいただく

2012年12月14日 | 農機具,工具



 10日、中学高校時代の同級生に木製の古い唐箕をいただきました。製作年代を見ると昭和5年に購入と墨で本体に書かれていたので、その頃のものだと思われます。私は、20年ほど前に唐箕が欲しくて、農家を訪ねたことがありました。しかし、ほとんどの方が処分していました。あるのは博物館ばかりでした。このため、仕方なくブリキ製の唐箕を買いました。同級生の家に残っているとのことでいただきました。ありがたいことです。

      同級生にいただいた木製の唐箕、丸部分の木製ジョウゴを紛失、残念!!


 軽トラックを、幸運にもうどん店の「克」の店主に借りることができました。久しぶりの軽トラック運転です。しかし、唐箕を運んだ当日は風が強かったため唐箕のジョウゴを落としてしまいました。ジョウゴが唐箕本体に乗せてあるだけとのことを知らなかったため、紐で抑えておかなかったことが原因です。幌かシートを被せておけばよかったと思いましたが、後の祭りでした。落としたと思われる箇所を何度も往復して探しましたが見つかりません。誰かに拾われたのではないでしょうか。見つかる可能性は低いでしょうが、警察に遺失物の届けを出しておきました。見つからない場合、自作するつもりです。

     通った橋の下を探すも無し           通った道脇の藪を探すも無し
 

 遺失物の届けを出した後、家にもどりました。そして、いただいた唐箕本体の傷み具合や可動箇所を調査しました。ざっと見た感じでは、埃を少しかぶっているだけで傷みやジョウゴ以外の紛失部品はありません。埃を簡単にはらって、調査することにしました。

           黄色の線部分のジョウゴを運搬中に紛失、痛恨の極み


 この唐箕を見て最初に気が付いたのは、唐箕の前後に取手が引き出せるようになっていました。この取手を持って唐箕を持ち運びします。このような引き出し式取手は他の唐箕にはあまりないので、この唐箕を作った木工製作所の工夫でしょう。

        手持ち用の取手              取手は引き出せる
 

 唐箕を使って風選した穀物の出口は三つあります。一つは、殻が取れたた玄米の出口,殻と玄米が混じったいわゆる屑米や実が少し入ったシイナが出る出口,そして、風と一緒に殻が吹き出す出口です。屑米や実が少し入ったシイナは、もう一度唐箕を通して再度風選します。

       玄米が出る出口              屑米や実が少し入ったシイナの出口   
 

 次に、風を絞る工夫がされていました。これは、お米以外の豆などを風選することができるようにした工夫ではないか思います。想像ですが、大豆などの重い穀物は風を絞らないように、粟や黍などの軽く小さな穀物は絞っていたのではないかと思います。

      風の出口を絞って狭く                風の出口を開けて広く
 

 次に、唐箕で一番重要な穀物投入口を調べました。ここは、大豆や籾などの穀物を入れる場所です。ここは、穀物を定量的に分散して落とすメカニズムになっています。ここも特に傷んでいる様子はありませんでした。

             風選する大豆や籾などの穀物を入れる投入口


 まず、投入口を開けたり閉じたりする部分です。穀物の大きさにあわせてここを操作して、投入口を開けます。大豆のように大きなものは大きく開き、粟のように極小の穀物は狭く開けます。どの箇所も均等に開けられるかも大切です。

     投入口を閉じた状態              投入口をわずかに開けた状態
 

 次に投入口に入れた穀物の落下速度を決めたり分散させる板がありました。普通の唐箕にはこのような装置はありません。投入口の真下に、その板が出たり引っ込んだりします。穀物をゆっくり落としたい場合は、この板を出して当てます。すると穀物が一度当たって跳ねて落ちる仕掛けです。しかも、調節がスライド式なのは面白い工夫です。

     右にスライドすると板が隠れる        左にスライドすると板が出てくる
 

 次に、風をおこす回転部分を見ました。面白いのは、普通の唐箕はプロペラを回転させるハンドルの持ち手は木のままです。しかし、この唐箕はその持ち手部分に竹の輪っかがはめ込まれています。同級生の祖父が工夫してはめ込んだのかも知れません。この竹があると、スムーズに回転できます。その竹の表面はつるつるに光っていました。何十年も、家族がこの唐箕を大切に使っていたことが分かります。

                プロペラを回転させる取手、つや光りする竹の持ち手


 この唐箕には製造と購入に関する情報が墨で書かれていました。まず、製造は田布呂木の川端製作所です。田布呂木は平生と柳井市の境界にある峠の地域名です。田布呂木に昔、木工製作所があったのですね。次に購入の情報も墨で書かれていました。購入日は今から82年前の昭和5年(1930年)9月3日です。購入者名は、同級生の祖父の名前とのことでした。この唐箕を購入して家に運び込んだ当時、同級生の祖父は若く希望に燃えていたのではないでしょうか。そのほころぶ顔が目に浮かぶようです。

      購入に関する墨書                製造に関する墨書
 

 いただいた木製の唐箕の内部を確認しました。内部を見ると唐箕の仕組みがよく分かります。手でハンドルを回すと、ハンドルに連結する内部のプロペラが回って風が発生します。その風で、落下中の穀物が実と殻とに分離される仕組みです。
 「唐箕」と言うくらいですので、中国から伝来したのでしょう。それまでは、「箕」(または「手箕」と呼ぶ)と呼ばれるザルを使って穀物を風選していました。私の父方祖母は川の土手の風の強い場所に行って、箕をふるうようにして大豆などの穀物を選別していました。箕は熟練しないとうまく使えません。唐箕は素人でも使える上に自然の風を使う必要がありません。風が吹かない室内でも穀物を選別できる当時画期的な農機具でした。父方祖母は唐箕を持っていませんでしたので、唐箕を借りることができない場合に箕を使って穀物を選別していました。

                唐箕の内部構造、穀物を選別する仕組みが分かる

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桃の木を低く剪定

2012年12月13日 | 樹木,果樹

 天気が良かったため、桃の木を素人なりに剪定してみました。この春、我家の小さな青い桃の実に袋掛けをしました。その結果、美味しい桃を収穫することができました。しかし、数年間剪定をしなかったため、枝が込み入ってしかも枝が高くなっていました。このため、高い脚立を使わないと袋掛けや収穫ができませんでした。枝が込み入った所には手が入りませんでした。

                  枝が高く込み入っていた桃の木(剪定前)


 桃の剪定は初めてです。芽のある枝を取っていいものか、どの枝を剪定すると樹勢が衰えないのか、など全く分かりません。とにかく、樹木の高さを低くすることにしました。低い脚立に乗って軽く手が伸ばせる範囲となるように枝を切り落としました。そして、枝下や樹木の中心部にも、十分日が当たるようにしました。

   剪定中の桃、丸は剪定した枝の一つ     傷が広がらないようにスッパリ切る
 

 2本ある桃の木の剪定を終えました。時間があれば、果樹の剪定に関わる本を読んでみようと思います。そして。今回の剪定で足りない点があれば再度剪定するつもりです。
 ところで、桃の背後に生えているスモモの実はとても美味しいのですが、屋根より高く成長しています。このため、梯子や脚立を使っても手が届かない所に成る実がたくさんありました。幹も直径が20cm以上に太くなっています。このスモモも剪定したいのですが、あまりに太くなってるので、切ると枯れるのではないかと心配しています。このため、まだ剪定できずにいます。

                  剪定が終わった結果、樹高が低くなった桃の木

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通信販売で購入のタンスを組み立て(1/4)

2012年12月12日 | 建設,工事,修繕

 いつも使っているタンスがだいぶ壊れてきました。引出しが正常に引き出せず、一番下の引出は壊れて動きません。安かったタンスのようで、10年以上使えたため元はとれたようです。同じ大きさのタンスを近くのDIYのお店や家具屋さんで探しましたが、同じサイズのものは2万円以上するため躊躇します。そこで、インターネットを使って通信販売のものを探しました。すると、1万未満で全く同じサイズのものを見つけることができました。

            通信販売で注文し、届いたタンス(自分で組み立て要)


 そこで、さっそく通信販売で注文しました。しかし、入金後数週間も配送を待たされました。どうも通信販売メーカーは、まとまった数をタンス製作会社に注文するようです。仕組みはよく分かりませんが、その注文サイクル期間がうまくかみ合わないと注文と配送がずれるようです。単に、注文が殺到して配送が遅れたのかもしれませんが。

      とても細かい組立マニュアル         部品を一つ一つ確認
 

 届いたタンスは自分で組み立てなければなりません。配達後すぐに、入っている板や部品を確認しました。すると、困ったことにタンスの側板が凹んでいました。配達中に傷んだようです。すぐに、通信販売メーカーに電話すると、傷んだ側板を埼玉県から再度配送するとのことでした。タンスの組み立ては、その側板が届いてからにしました。
 最近の通信販売は、すぐに対応してくれるので助かります。以前、デジカメを通信販売で購入したことがあります。しかし、ピントがわずかに合わない不良品だったのですが、ちゃんと交換してくれました。

               配送中の事故でしょうか、窪んだタンスの側板

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小麦畑で最初の麦踏み

2012年12月11日 | 麦,穀類,雑穀

 冬に入って、さらに寒さが厳しくなってきました。このところ、畑は毎日のように霜が降りています。また、畑の表土が凍っているので、昼と違って歩くとゴツゴツと硬くなっているのが分かります。雪もちらつくようになりました。そろそろ麦踏みをしなければなりません。麦踏みをする理由をあまりよく知りませんが、一説には、霜柱が麦を押しあげる時に根を傷めるそうです。確かにそうかも知れません。

              朝日が当たる中、せっせと麦踏みをしている私


 私が小学生の頃(昭和30年代)稲刈りが終わると、お百姓さんはせっせと田んぼを切っていました。そして、その切れ目に沿って三本クワで掘るようにして、土を積み上げて畝を作っていました。田んぼは湿気が強いので土を積み上げたのでしょう。この積み上げた畝で、麦を作るか,ソラマメを作るか,菜種を作っていました。
 朝早く小学校に通っていると田んぼで麦踏みをしてる人をよく見かけました。白い息を吐きながら、せっせと足先を踏み代えながら少しずつ畝を進んでいました。今や、田んぼで麦を育てている光景は稀有です。この春、田布施から岩田に行く途中の田んぼで麦を見たことくらいです。

              別の小麦畑も麦踏み、踏んだ個所にはいくつもの靴跡が

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草刈り用チップソーの研磨にトライ

2012年12月10日 | 建設,工事,修繕



 山の下刈りをしていますが、草刈機に取り付けているチップソーがだんだん切れなくなってきます。チップソーは切れ味が良いのですが、高価(安くても1000円)なため新たに購入するのをためらいます。亡き父親が使い終わったチップソーがたくさん残っていました。雑誌「現代農業」にチップソーの研磨の記事が載っていたことを思い出しました。今回、使い終わったたくさんのチップソーを研いでみる事にしました。

                摩耗し丸くなっている使い終わったチップソーの刃先


 最初、今あるグラインダの丸砥石で研磨できないか試してみました。すると、普通の鉄板などでは火花が激しく飛ぶのに、チップソーの刃先はほとんど火花が出ません。そのまま研磨し続けていると、摩擦熱で刃先が赤熱してきました。普通の砥石ではチップソーの刃は研磨が難しいようです。
 そこで、DIY店に行って必要な工具を購入しました。グラインダはもともとあるため、チップソーなどを専用に研磨する丸砥石(ダイヤモンド粉が吹き付けられるもの)を買いました。そしてもう1つ、チップソーを固定する台を購入しました。

  台に固定したチップソーを研磨開始          研磨すると小さな火花が出る
 

 チップソーの研磨は、尖ったチップ刃の外側と内側を磨きます。このようにして、10枚くらいのチップソーを研磨してみました。研磨が終わった丸刃を草刈機に取り付けて草や笹を刈ってみました。草は軽く刈ることができるようになりました。しかし、笹や小枝は刃が新品時のようにはかろやかに刈ることができません。まだまだ研磨が甘かったようです。研磨するための適切な角度や方向があるようです。何度か研磨しているうちに、上手に研磨できるようになるのではないかと思っています。

               研磨が終わったチップ、刃が光って見える

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椎茸用(しいたけ)栽培用の原木(コナラなど)を伐採

2012年12月09日 | 樹木,果樹

 そろそろ椎茸(しいたけ)用の原木を伐採しなければなりません。椎茸用の原木には、通称どんぐりの木を使います。私の家の裏山には、どんぐりの木であるコナラらやクヌギなどがたくさん生えています。その中でも特に大きくなった数本の木を伐採することにしました。今は初冬のため寒い日が続いています。日が照る暖かい日に伐採するに限ります。

         ※下の写真は4月から下刈りを継続している山の斜面
         我家の東に隣接する下刈り済みの斜面、日が当たってポカポカ


 どんぐりの木が生えている山は数年、父親が体調不良だったため手入れがされていませんでした。このため、笹がびっしりと生えています。この晩秋から少しずつ下刈りをしているのですが、なかなかはかどりません。全ての山の下刈りを済ませるには3年程度はかかるようです。まずは、家の近くから下刈りしています。下刈り中の山で、大きなどんぐりの木を今回3本伐採しました。

      伐採した一本目のどんぐりの木        伐採した幹の年輪を見ると18年
 

 私は、今年の3月まで東京の住人でしたのでしいたけ栽培は全くの素人です。せいぜい、去年まで父親の原木伐採を手伝いをしていた位です。今年からは、すべて私一人でこなさなければなりません。チェーンソーを使って伐採するのですが、これまた素人の域を出ていません。正直、おっかなびっくり伐採しています。

        伐採したどんぐりの木は、乾燥のため2か月程度倒したまま置く


 どんぐりの木を伐採中に大きな失敗をしました。伐採して倒したと思った木が、他の木に引っかかってしまったのです。そこで、引っかかった相手もどんぐりの木でしたので、ついでにこの木も伐採しました。ところが、伐採した二本共に再び別の木にもたれかかったまま倒れないのです。やれやれだぜー(笑:ジョジョ 承太郎)。別の日にウインチを使うなどして横に倒そうと思います。

     二本目のどんぐりの木を伐採           二本共に別の木に引っかかる
 

 今回椎茸用に伐採した3本のどんぐりの木は、2月頃に90cmごとに輪切りにしようと思います。そして、専用の穴あけ器で穴を開けて椎茸菌を植え付けて伏せます。その年はしいたけは出ないようですが、2年後位に椎茸が出るようです。このように、毎年2,3本ずつでも原木を伐採して椎茸菌を植え付ければ、毎年のように椎茸を収穫できます。
 椎茸用の原木伐採を終わって、次に山の下刈りをしました。下刈りをすると体がホカホカします。上を見上げると、木々の上に青い空が広がっていました。

                   葉が落ちた木々の上に広がる青い空

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平生町~宇佐木~般若寺~大野長谷などの散策

2012年12月08日 | 歴史探訪他ウォーキング

 今回は、平生町のMaxValuをスタートして、旧旧国道188号線(旧188号線の前の188号線)をたどり、巨大なため池(天池)脇を通り、宇佐木から旧道を登り般若寺に上りました。そして、森の道に入り、平生荻原や大野長谷を通ってスタート地点に戻りました。先日通ったほぼ逆のコースです。しかし、なるべく同じ道を通らないように、なるべく古い道を、なるべく森の中を通る道を選んでみました。このため、どこを通ればよいか迷う道や不安になる道が多々ありました。

     大内川に沿う旧旧188号線              巨大なため池(あま池)

 

 最初、大内川を上流に向かって行きました。大きなため池(天池)で小休止した後、宇佐木近くを通って般若寺への道を進みました。しばらく行って山田地区に着きました。山田公会堂近くにある道路改修記念碑を見ると、昭和4年に今の般若寺に通じる道が出来たようです。今回は、道路改修前の細い昔道を通りました。

      般若寺への道標(宇佐木松尾)     昭和4年以前の古道(宇佐木山田)
 

 宇佐木の山田から古道などをどんどん登っていくと、般若寺に着きました。般若寺は10月にも来ました。今回は、単に道を調べるためだけ来ました。天気もあまり良くないため、小休止後折り返すように道を戻りました。ところで、般若寺周辺にはたくさんの新しいお地蔵様があります。しかも、十四,十五丁~などと番号がふってあります。昔はこのようなお地蔵様は無かったので、最近安置したのかも知れません。そして、これらのお地蔵様を巡礼するコースがあるようです。

            今回は小休止しただけの般若寺、周辺にたくさんのお地蔵様


 元来た道を宇佐木に向けて下りました。すると、般若寺直下に道路改修記念碑が立っていました。碑を見ると昭和10年に道が改修されたようです。暗い竹藪の向こうに延々と下り坂が続いていました。どこかに抜けているのか分かりません。獣道化していることがよくありますので、今回は用心して通りませんでした。そこで、宇佐木山田への下り道の途中から平生萩原に向かう細道に入りました。

  般若寺直下の道路改修碑(昭和10年)                 右の平生萩原への分かれ道
 

 般若寺~宇佐木山田のルートから分かれて、さびしい竹藪の道を延々と通りました。舗装はしてあるのですが、竹藪や樹木がトンネルのように道を覆っていました。しかし、軽自動車2台とすれ違いましたので少しは使われている道のようです。視界のない道をしばらくすると、左上の般若寺方面の山がひらけてきました。そして、畑で野焼きをする煙が上がっているのが見えました。人家が見えてきたのでほっとしました。

             平生萩原近く、見上げると畑に野焼きの煙がたちこめる


 ところで、般若寺から野焼きをしていた平生萩原まで大回りをしました。そこで、昔の航空写真を調査してもっと近道がないか調べてみました。すると、般若寺直下にあった道路改修記念碑が、般若寺と平生萩原を結ぶ近道でした。道路改修記念碑の暗い竹藪の道を降りれば平生萩原に降りれるようです。次回この道路改修記念碑の道を降りてみようと思います。

                昭和49年の平生荻原地区の航空写真
       赤矢印方向が上の野焼き写真、丸は道路改修記念碑(昭和10年)の場所


 平生萩原からは、まわりの風情を楽しみながら歩ける良い道が続きます。途中人家が絶える道を歩きますが、歩きやすい道が延々と続きます。所々で、赤子山,大野,宇佐木方面を見下ろせました。舗装はしてあるのですが、落ち葉で道が埋まっていました。車のワダチを見て舗装してあることが分かります。

   所々で、赤子山や石城山を遠望            落ち葉の上の車のワダチ
 

 宇佐木から大野北に入ると、道から下に人家が見えてきました。面白いことに、平生萩原付近では道の山側に人家が点在します。ところが、大野北の大野萩原や長谷後に来ると、だんだん人家が道の下に見えてきます。長谷後近くに来ると、下にとても古い人家が点在していました。よく見ると、小さな子供が見えました。もしかして「おうちえん」ではないでしょうか。私のウォーキング友達のお孫さんが「おうちえん」に通っているとの話を思い出しました。

              山道から下を見下ろすと「おうちえん」と思われる古民家


 長谷後からは、どんどん下りる道を選びました。午後だいぶ過ぎていましたので、西日がだいぶ陰っていました。このため、一部の道はすでに日陰に覆われていて寒い風が吹いていました。長谷前近くを降り切った場所に、3体のお地蔵様が立っていました。この付近は古来、山向こうの柳井市伊保庄との往来が激しかったルートです。このお地蔵さまは峠を往来する人々を、見守ってきたのではないかと思います。私の母親もこのルートを通って、嫁ぎ先の田布施町麻郷と実家の柳井市伊保庄山近を往復したようです。

   日が陰って暗くなった道            往来する人々を見守る3体のお地蔵様
 

 お地蔵様に分かれをつげて道を進むと、大野の浄円寺に着きました。すぐ近くに大野郵便局もあります。平生町と合併する前は、この付近が大野村の中心地ではなかったかと思います。浄円寺からは平野部を抜けてJAを通り、スタートしたMaxValuに着きました。次回は、少し道を修正し距離と時間を正確に測定しようと思います。

          大野の平野部から、般若寺,平生萩原,大野長谷方面を振り返って


 今回もGPS装置を持参しました。家に帰ってから自分がどのように歩いたか、地図上に表示してみました。すると、やはり無駄に道を行ったり戻ったりしていることが分かりました。特に、般若寺から平生萩原へ行く道、そして大野荻原から大野浄円寺へ行く道です。次回行く時は、迷わずに歩いてみようと思います。

       地図上にGPSをプロットすると、間違えた道や無駄に歩いた行跡が分かる

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我家の11月の気温変化

2012年12月07日 | 田舎暮らし


 一ヶ月ぶりに気温ロガーを我家裏から取り出してパソコンに取り込んでみました。そして、11月の我家の気温を表示してみました。すると、前半は比較的に暖かかったのですが、後半から寒くなっていました。特に、28日は初霜が観察されたとおり11月で最も寒い気温でした。気温計も朝6時頃に1.5℃でした。なお気温計は地面に近い所に設置しているため、0℃以下に下がらなかったようです。当日以降、里芋の葉などが一斉に枯れてしまいました。

        11月の気温変化、丸は11/28 6:00頃の気温(11月の最低気温)


 28日早朝外に出て畑を見回りました。冬野菜のキャベツや白菜は霜に強いので、葉全体が白く霜に覆われていました。天気が良かったため朝10時頃までには日が当たり、いつの間にか霜が溶けていました。
 
            霜で覆われ葉全体が白くなったキャベツ(11月28日早朝)

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椎茸(しいたけ)が収穫期に

2012年12月06日 | 野菜:果菜

 先日、椎茸(しいたけ)のほだ木を湿った林と竹林に移しました。11月末、そのほだ木から次々に椎茸(しいたけ)が生えてきています。今年の春に山口へ帰った時にも、食べられないほどの大量のしいたけが生えていました。だいぶ近所にあげました。この冬も我家では食べきれないため、隣り近所にあげないと腐らせてしまいそうです。

                  ほだ木から次々に生えてきているしいたけ


 これまで、単発に生えてきたしいたけはすでに食べました。傘が大きくなったしいたけを、ステーキのようにバターで炒めて食べました。食べる量以上のしいたけが生えてきているので、一部は近所や友達にあげたりお歳暮に付けて贈りました。一部は干ししいたけにしようと思っています。しいたけ栽培に適した原木も伐採しなければなりません。一部の木は太くなりすぎていますので伐採を急がないといけません。今後定量的に収穫できる見込みがたてば、交流館などで販売してもよいかも知れません。なお、真冬になるといったんしいたけは生えなくなり早春にまた生えてきます。

                    こちらのほだ木にも、しいたけがぎっしり生える

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田布施町~臥龍梅~柳井市の散策

2012年12月05日 | 歴史探訪他ウォーキング

   田布施から熊毛南高校近くの道を通り,赤子山北面直下に沿う山道に入り,臥龍梅に寄り,そして柳井に向けて散策しました。暇ができると、このように新しいウォーキング/ハイキングルートを考えながら散策しています。私が熊毛南高校生だった頃、赤子山北面にある学校林で授業か何かで同級生達と山の下草刈りをしたことがあります。今回は、その時に通ったはずのルートをたどって柳井方面に行ってみました。

     熊毛南高校の校舎                  赤子山に沿う山道に入る坂道
 

 熊毛南高校が見えなくなってしばらくして、坂本病院手前の坂道を上りました。民家に行くような舗装した普通の坂道です。私が高校生の頃はまだ道が整備されていませんでした。坂本病院もありませんでした。今の坂本病院を過ぎた頃の坂道を上ったような記憶があります。40年も経つと、自分の記憶の曖昧さと、すっかり変わってしまった道にとまどうばかりです。

      しばらく竹林の中を進む            途中、巨岩が道横に寝そべる
 

 舗装された坂道を進むと、暗い竹林に入りました。手入れがされていない山や古民家はすぐに竹に覆われてしまいます。この竹の茂りようから判断すると、この山道が十年以上は手入れされていないことが分かります。しばらく歩くと道の横に巨岩が寝そべっていました。道しるべにちょうど良い岩です。

          北側に大平山やそのふもとに柳井ウェルネスパークが見える


 暗い竹林の中は全く視界がありません。どこを進んでいるかさっぱり分かりません。どんどん進んでいると、北側に視界が晴れた場所がありました。そこからは、大平山が見え、ふもとには柳井ウェルネスパークや山口フラワーランドが小さく見えました。再び視界が全くない竹林の山道を進みました。しばらく進むと、道が二つに分かれていました。どっちに行って良いか分からないため、右の登り道を進みました。すると、赤子山登山口らしいがれ場が右にあり、さらに進むと行き止まりでした。

       二股に分かれた山道            赤子山への登山口らしいがれ場
 

 行き止まりだった道を戻り、再び二股に分かれた山道に戻りしました。今度は左の山道を下りました。すると、沢らしい場所に何段にも積まれた石垣跡がありました。砂防ダムにしては、一段が長く段数も多く規模が大きいので田んぼか何かの棚田跡ではないかと思います。近くの人に聞いてみましたが分かりませんでした。相当昔に放棄されたのでしょう。

     何段にも積み重ねられた石垣跡          中村林道碑、昭和50年完
 

 古い石垣跡を過ぎてしばらくすると、中村林道碑が道横に置かれていました。昭和50年完成のようです。昭和50年と言うと私が22歳の頃です。この山道は、私が高校卒業以降に作られた山道です。これで、私がこの山道を知らない理由が分かりました。

          広い舗装道に出る、柳井市街の向こうに三ヶ岳や琴石山がよく見える


 林道碑からすぐのところが、山道の終点です。いったん広い舗装道に出ました。そこから、数百メートル先の十字路に臥龍梅の案内板が立っていました。その十字路から一路、臥龍梅に向けて進みました。臥龍梅は6月に余田や大波野を散策した時に来て以来です。

       臥龍梅の案内板が立つ十字路           天然記念物の臥龍梅
 

 臥龍梅があるこの梅園は歴史が古く、室町時代頃からあるとの話を聞いたことがあります。私の母親は「柳女時代、この臥龍梅を清掃に来たことがある。」と言っていました。昔から、地域の人に大事にされてきたからこそ、今でもこの梅園があるのでしょう。初代の臥龍梅は枯れて、その枝から分かれた二代目の臥龍梅があるそうです。そして、三代目,四代目などの臥龍梅がこの梅園のあちこちに植えられているようです。なお「臥龍梅」とは固有名詞とばかり思っていたら普通名詞でした。龍のように臥せった梅の古木とのことで、全国的に「臥龍梅」と呼ばれる梅の古木があるようです。

             二代目,三代目などの臥龍梅が植えられている古い梅園


 なお、今回の散策にGPS装置を持っていきました。散策から帰って今回のルートを地図上にプロットしてみました。この地図上のプロットを見ると、中村林道碑から臥龍梅までのルートは再考の余地があることが分かりました。もっと近道があったのです。次回通ることがあれば、短いルートを通ってみようと思います。

            今回の臥龍梅散策ルート(地図上にGPSポイントをプロット)

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5穴黒マルチにタマネギ苗を移植(4/4)

2012年12月04日 | 野菜:根菜

 12月に入ってしまいましたが、タマネギの最後の植え付けをしました。もう少し早くすればよかったのですが、いろいろ忙しくてこの日になってしまいました。今回が4回目の植え付けです。時期が少し遅くなったため、玉の大きさが小さめになるのではないかと思っています。

    十分成長したタマネギの追加苗       植え付けのため抜いたタマネギ
 

 今回のタマネギ苗は追加育苗したもので、種まきがやや遅かったためやや小さ目の苗です。春に挽回するかどうか心配ですが、少なくともとう立ちする心配はありません。玉は小さめになるのではないかと思います。それでも肥料を十分ほどこし、日当たりも十分であれば立派なタマネギになるのではないかとも期待しています。

                苗床から抜いたタマネギ苗を、黒マルチの穴に移植


 今回の植え付けで、タマネギ用の黒マルチ穴は全て埋まりました。穴の数が300以上あるので、すべてが玉になれば一年中タマネギを欠かすことなく食べることができます。収穫はまだだいぶ先のことですが、どこにどのように干そうか考えています。ところで、だいぶタマネギの苗が余りました。空いている場所があったら、とりあえずそこに植え付けようかと思っています。せっかく自分で作った苗ですので。

                 すべて埋まったタマネギ用の黒マルチ穴

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パン用小麦などがようやく発芽

2012年12月03日 | 麦,穀類,雑穀

 先日、小麦など麦類の種をまきました。例年いろいろな種類の麦の種をまいていましたが、今年はパン用小麦とオート麦だけです。大麦,裸麦,二条大麦,ライ麦,燕麦は作りませんでした。まず、パン用小麦は二か所の畑に種をまきました。一か所は我家前の畑です。もう一か所は高塔公会堂近くの畑です。

                我家前の畑、発芽したパン用小麦


 高塔公会堂近くの畑は、種をまくのが一週間ほど遅れましたが無事発芽していました。また、我家前にまいたパン用小麦の、一番西側の1畝にまいたオート麦もなんとか発芽していました。麦類は肥料をまかないと、なかなか成長が進まず、収量も多くなりません。近いうちに化成肥料をまこうと思います。

    我家前の小麦畑、いっせいに発芽         オート麦はポツポツ発芽
 

 高塔公会堂近くの小麦畑は、打ち抜き式手押し播種機で種をまきました。この播種機械は株まきのため15cm位ごとに種をかためてまきます。株まきは種をかためてまく方式のため、在来のすじまきやドリルまきのような散まきと比べて霜柱に強かったり、遅まきができる利点があるようです。これら発芽した麦、今後肥料をまいた上で12月中旬~下旬に麦踏みをしようと思います。

        株状(丸のように)に点々に離れて発芽した、高塔公会堂近くの麦畑

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種まきが遅くなった春咲く草花

2012年12月02日 | 花,野草

 先週、春に咲く草花の種をまきました。11月末では遅いのですが、なんとか間に合いそうな花の種をまきました。種をまいたのは、スイトピー,ルビナス,キンセンカ,そしてストロベリートーチです。スイトピーは、背が高くなる品種でエンドウ豆に似た花が咲きます。春先にどんどん背が伸びるので、竹か網をかけてつるが絡みつくようにします。ルビナスは一度八王子で作ったことがありますが、害虫にやられてダメになったことがあります。

     手前の畝から、ルビナス,ストロベリートーチ,スイトピー,キンセンカを播種


 これらの中で、初めて種をまくのがストロベリートーチです。たまたま11月末に種をまける花を探していたらこの花がありました。赤い花が咲き乱れるようです。どんな花か今から楽しみです。なお、これら以外にも、余っていたヒナゲシとビオラの種をまいておきました。しかし、時期が遅いのでダメかも知れません。

     花柄が大きなマメ科のルビナス      初めて種をまくストロべリートーチ
 

 キンセンカは以前、亡き父親がよく花を咲かせていました。私も久しぶりに花の種をまきました。いつもは野菜を作っていますが、気分転換にこれらの花を咲かせてみようと思います。これらの花がちゃんと生育してきれいな花を咲かせるように、畝を作るときにたっぷりと鶏糞肥料を施しておきました。発芽後、ちゃんと冬を越せるでしょうか。種まきが遅かったので心配です。

     高性品種のスイトピー           亡き父親がよく作っていたキンセンカ
 

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