すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

国語教育としての音読

2006年03月24日 | 読書
国語教育としての音読は、意味を無視してはいけない。意味を重視するあまり、他を無視してもいけない。意味をとらえ、意味を伝えるものでなければならない。
高橋俊三「国語教育 2006.4」(明治図書)


どこで意味をとらえるか、という問題である。
「どこ」とは、一つは学習者の感覚であり
もう一つは学習の段階である。
繰り返し読んだり、速く読んだりして
言語の身体化をはかることは効果的であると感じている。
どの段階で意味に近づいていくか
どの段階で意味を持ち出してみるか
タイミングのはかり方が指導者の裁量である。