すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

可能性の表現としての言語

2008年06月05日 | 読書
 われわれは現実に生きるしかない。この現実の中で、空気振動やインクの染みや塩化ビニールの塊を適当に操りながら、さまざまな可能性を表現するのである。
 野矢茂樹 『本』(2008.5 講談社)

 「語りえぬものを語る」という題の連載に、少しハマッテいる。難解な部分もあるのだが、それをまた繰り返し読んでいると、味わい深く感じたりしている。
心の中で、さまざまな場面とつき合わせてみたり、他の言葉に置き換えられないか探ってみたり…。
 そういう自分もまた現実であること。この現実は、言語によって形をなしえていること。言語が分節化されているからこそ論理が生まれること。などと、今更ながらに考えたりしているのである。

 そして「可能性の表現」という面で、自分の言語はあまり運用できていないなあ、萎んできているなあと思う。
 それは同時に自分の可能性を萎ませていることだと思う。