すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

自然に対するために

2008年06月27日 | 読書
 少し長い時間を列車で過ごすことになったので、文庫本を3冊ほどバッグに入れた。
 最近、熊谷達也の著書を続けて読んでいて、今回も代表作の一つらしい『ウェンカムイの爪』(集英社文庫)をその中の一つとした。

 主人公吉本とヒグマの遭遇から始まる冒頭場面が、なんとも迫力がありぐいぐい引き込まれた。
 以前読んだ『邂逅の森』にしても、アウトドアからっきし駄目の自分にとってはかなり遠い世界なのだが、読み進める手がとまらないほど魅力的に思えた。きっと山などの自然に親しみ関心を抱いている人なら、もっと違った深みを持って感じることができるのでは…そんな予想もできる。

 ところでこのところ、自然が重要な対象となっているこうした本を読むと「圧倒的な体験の強さ」について考えを巡らすことが多い。同時に、体験を踏まえていない人間のひ弱さも際立ってくる。この自分も含めて、という話になるが。

 この小説には、若者のグループがヒグマに襲われるシーンがある。
 ありがちな展開といえばそれまでだが、明らかに毒された世代、傍若無人な人間のふるまいへの警告と捉えられる。自然とはいったい何か、自然に向かう我々の構えはどうあるべきか。
 作者はまっこうからこの問いに応えているわけではないが、いくつか印象深いフレーズがある。

 人間が自然の中で生き抜いていくために神々と取り交わした掟を守ろうとする強靭な意志の存在

 逃げることをやめ、大地の上にしっかり踏み留まったその時、初めてラムアンの野生の美しさに魂が動かされた。

 商業ベースで言われるそれとは別次元で、本来の意味として「自然の中に暮らす」ことはもう不可能のように思う。しかし、日常に見える自然やちょっとだけ非日常の自然にふれる機会であっても、我々の身の処し方ひとつで、少し力を得る体験にはなるだろう。
 
 たとえば、人工物で汚さないこと。
 たとえば、じっと佇んでみること。