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大人の「明日」と「百年」

2020年12月22日 | 読書
 年に二、三度あるだろうか、書評に促されて読みたいと思うのは…。いや書評よりも、最初はPR誌『波』表紙の筆蹟の言葉に惹かれたのだった。この「明日死んでも、百年生きても。」に何がどう続くか、想像をかき立てられるし、ある程度の年齢なら、決まっていることかもしれない。さらに、この書名もいいなあ。

『自転しながら公転する』(山本文緒  新潮社)



 まさに等身大で描かれる日常の物語といってよいだろう。世間を揺るがすような事件が設定されるわけでもないし、信じられないほど強烈な個性の人物が登場するわけでもない。予想される、あり得る程度の出来事が起こるべくして起こり、それぞれの人物が見せる反応や抱く思い、考えも「そうか」と納得できる。


 主人公の都を含め家族、恋人や友人、上司、同僚等々…誰一人、読み手である自分とは違うけれど、理解できる範疇にあり、もしかしたら自分もそんな言葉を言うかもしれない、そんな行動をしてもおかしくない、そんな気持ちが時々わき上がり、共感度の高い読書となった。「小説」の醍醐味の一つと言えるだろう。


 書名は、主人公「都」が「貫一」と知り合った頃に、貫一が語る言葉のなかにある。地球の自転、公転の理屈はある程度知っていたが、確かに人間の生き方と似ている。様々な物事の中で回り続ける日常と、重なる大きな社会という対比だけでなく、「軸が少し傾いて」「同じ軌道には一瞬も戻れない」ことも暗示的だ。


 「何かに拘れば拘るほど、人は心が狭くなっていく」という名言は、「幸せに拘れば拘るほど」につながり、現実の難しさを教える。ただ雑誌連載をまとめたこの小説は、プロローグとエンディングを書き下ろしたことで一抹の希望を念押ししてくれたようにも感じた。「明日…百年…」の場面は、明るく話を結んでいた。


 立ち食い寿司屋で主人公の傍にいた会社員たちの言葉に頷いてしまう。

明日死ぬかもしれないって思ったら、ウニだの大トロだのもっと食べちゃえって気になるけど、百歳まで生きちゃうかもしれないなら、そんな値段もコレステロール値も高いもん食べている場合じゃないって思うわ

その矛盾を受け入れてこその大人だ!