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笑いは最後の砦だ

2020年12月03日 | 読書
 『笑う脳』(茂木健一郎 アスキー新書)から、もう一つ備忘録として記しておきたい。漫画家しりあがり寿との対談で触れられている内容だ。この部分を読んでいて思い起こしたことが二つあった。「怒られている子どもがふっと笑う場面」そして、俳優竹中直人が昔披露した「笑いながら怒る人」のギャグである。


 「笑いが攻撃性の解毒剤」という見方をしていて、そう考えると竹中のあの演技の面白さの訳がストンと落ちた気がした。もちろん、怖い人が微笑みを浮かべながら銃を撃つシーンなどはよくあるが、竹中のそれは明らかに表面上の笑いと、内面の怒り(言語を発して)を対比させ、そのアンバランスさを見せつける。



 何か事をしでかして、教師に呼ばれ叱られるときに、神妙な顔つきが並ぶなかで、笑みをもらす子がいる。若い頃は「ふざけているのか!」と一喝していたが、そのうちに「ああ、これは緊張に耐えられず誤魔化しているんだな」と考えるようになった。対談では「緊張を解くための解放としての笑い」とされている。


 特に「攻撃性=男性性」という点は興味深い。ビートたけしや松本人志など明らかに攻撃性を上手く「脱構築」したお笑い芸人は、結構存在していることに気づく。対象をどこへ向けるか、その点は芸人の意識の差であると同時に国の文化レベルとも言える。そこから連想するのは、最近の政治家の芸人化という問題だ。


 内田樹が「政治家にも今は脊髄反射的な切り返しで『受ける』ことに非常に貪欲になっている。『政治化するお笑い』と『政治のお笑い化』が同時に進行している」と語るのは、震災もコロナもまだの10年前の対談だ。とすればメディアから流れるその有様自体をもっと笑っていい。それこそ力だ。笑いは最後の砦だ。