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本と書物はちがう

2020年12月09日 | 読書
 図書館から借りて読んだ本を、自分で買い求めて手元に置いておきたくなるときがある。昨年から数冊そんな本に巡りあった。その一冊が『本を読めなくなった人のための読書論』だ。しかし、実は書棚に収めてからまだその本に手は伸びていない。もちろん、それでいい。そこに何か安心感が漂っている気がする。


 その著者である若松英輔のインタビューをある冊子で読み、自分が書いた意味が、そっくりと語られているようで嬉しかった。デジタル書籍の隆盛のなかで紙の媒体の意義を問われ、「本」と「書物」との違いを、書店に積まれている「」、書かれた内容が物になった「書物」と意味づけをした後に、こんなふうに語った。

「物になるとは、命を吹き込むこと。『本』は、私たちに読まれることによって『書物』になります。」

そして、デジタル書籍にその痕跡が残しにくい点や、データの便利さが役立ちはするが結局消え去っていくことを挙げながら、「物の価値」をこう記している。

「書物は私たちの部屋にあり続け、思わぬときに自分を励ましてくれたりする。それが物の力です。」

 
 本棚に並ぶ書物の背表紙を見れば、その人がどんな人か、どんな生き方をしてきたか想像がつくという言い方は、まんざら嘘ではない。もちろん、余程の読書家でない限り、すべてを理解した、味わったということではないだろう。ただ、その本の世界に入り抜けてきた経験が、心身に何かしらの影響は与えている。


 そう思うと、ずいぶんと本を処分したけれど今の自分に必要な「書物」だけが残っているということになる。仕事との関係性は弱くなったが、教育書もまだわずかに残っている。それはきっと、どこか自分を作りあげた、精神的な糧の存在を認めているからだ。年末に少し整理できれば、めくり直してもいいだろう。