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ブッダとブタをお手本に

2022年06月26日 | 読書
 呼吸法に興味を持ったのはいつだったか。日本語ブームの折の「斎藤孝本」もずいぶん読みこんだが、それよりもっと早い時期だった気がする。そう書いていたら、大学時代の保健体育か、と思い出した。息と身体の動きについて想起できるものが結構ある。器械体操やとび縄運動、そしてドル平泳法もそうだった。


『息の発見』(五木寛之・玄侑宗久  角川文庫)




 「息」が発音から「生きる」に通ずるとはよく言われる。死んでいることを「息をしない」と表すし、当然と言えば当然。慣用句にも「息を引き取る」があり、逆の「息を吹き返す」を考えれば、まさに息こそ生である。呼吸法はロングブームなのは、自然な行為を意識化して活動を高めるか、筋道が見えやすいからだ。


 だから、多種多様な呼吸法の教えがあり、書籍化などもされている。私も複数の本を持っている。この対話で二人が語っている大切なことは、まずその点だ。「どの呼吸法が正しいと言ってしまってはいけない(玄侑)」「どの呼吸法も、創始した人にとっては、ベストなものだけれど万人に向くものではない(五木)」


 何かに縋りたいと思っている者(自分も含め)にとっては、のっけからそう言われると迷いが生ずる。しかし、この二日にわたったという対話は、ただやみくもに個人に合う方法を探せと言っているわけではない。芯はある。まずよく言われるが「息を深くする」ことの大切さだろう。深呼吸ほど万能なものはない。


 次に呼吸に「イメージをもつ」こと。その例が様々に紹介されている。玄侑氏は「色」を挙げていた。お手本に魅力を感じたら「一定時間の集中」も必須だ。何よりユニークな具体例は、禅の呼吸の話題で「ブッダ」ではなく「ブタの呼吸をお手本に」という点。吸う息が速く、吐く息が長く豊かだから、筋肉が赤いと…。