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「飲む」ことはエネルギーの証し

2022年06月28日 | 読書
 巻末にある「初出一覧」をみると、2020年3月号の「小説新潮」が7編、あとは2021年1月号と書き下ろしがそれぞれ1編ずつである。小説だけでなくエッセイもあり、書名から予想されるように「酒のある風景」が共通している。「飲む」は酒に限る語彙ではないが、連想として圧倒的であることを今さら思う。


『もう一杯、飲む?』(角田光代、他  新潮文庫)


 冒頭の角田の小説「冬の水族館」もなかなか渋いが、個人的にはラズヴェル細木と小泉武夫のエッセイが好みだ。つまりは、様々なシチュエーションで登場する多様な酒や、珍しい酒、それらまつわる実話の方が興味深い。まあ、酒に関する恋愛沙汰のエピソードなドラマのようなことはなく、平凡な人生ゆえなのか。


 ただ、現職教員時代の思い出話はかなり多い。現状の世間の目があまり厳しく、暴露(笑)するのは控えるが、今となっては実に楽しく、痛快めいた気持ちにもなる。それはやはり「酒」は人を愉快な気持ちにさせるからだろう。ミスチルの曲にもある「世界一のお酒」を味わう、仕事上の経験も何度かできたように思う。




 「酒の力を借りて」といった表現がある。これは、例えば精神を高揚させ何かの行動に踏み切る場合に使われる。その結果がどうあれ、強い味方になる。いや待て、「泣き上戸」や「絡み酒」等を考えれば、そうは断言できないか。ただ精神を解放しているのは確かなので、人格の一つを引き出すことだけは間違いない。


 訳あって現在断酒中。二日三日ではない期間はおそらく30年ぶりだ。アル中にはなってはいなかったなという安堵感、結構飲まなくとも大丈夫なものだなという自信と、裏腹に寂しい気持ちも湧いてくる。これは「飲む」行為は一つのエネルギーの証しと言えるからだ。末永く飲んでいたいという欲が湧いてくる。