学校での読み聞かせ、今年度分を振り返ってみる。
「コロナ禍」(この語もずいぶん一般的になったなあ、一年前は使っていなかった)により、若干遅れたものの5月19日にスタートしていた。
この時の時間や準備は印象深く、ブログにも記してある。
Spirit of St.Louisを噛み締める
そこに記した「工夫と挑戦」はどの程度達成できたのだろうか。
量的な点を最初に記すと、21回延べ54冊(重複があり実質38冊)ということになる。
本県、本地区でも感染者がいたとはいえ、拡大するに至らなかったので、9割方実施できたこと、また校内では距離をとりながらマスクなしで語らせてもらったことは有難かった。
さて、改めて「工夫と挑戦」という観点を考えてみた時、これは結局、他からの刺激が重要だったとつくづく思う。
その点で、秋に主催した「読み聞かせワークショップ」で、隣県から講師をお招きして学んだことと、自ら県で開催した講座に参加し、得たことは非常に大きい。
読み方、語り方についてある程度の素養はあったものの、「絵本」となるとそこには当然、それなりのテクニックが存在する。
例えば、次のページをめくるタイミングだ。
「めくってから読む」だけではない、という技一つでも大きな違いがあった。
また、世の中に数多溢れる絵本のどれを取り上げるか。
専門家によってねらいや対象者による分類なども作成されている。
しかし、やはりアマチュアにとって必要なのは、自分自身がその絵本と「いい出逢い」ができるかどうか、だろう。
つまり、絵本のよさを心から感じ取れるかどうかだ。
年度後半、受講した経験を生かして、落語や講談の絵本を何度か取り上げた。
自前で本も購入もした。
それは、きっと「声」に対する興味の強さが残っているからだろう。純然たる「絵本」の良さと言い切れるかは、少し疑問も残る。
ただ、「語り」の強調と考えると、この選択は間違っていなかったとは思う。
通常より練習量も必要であり、自分に発破をかけないとなかなか厳しい結果になることも思い知らされた。
その意味で、青臭いとしても挑戦が努力や工夫を導くといってもいいか。
他から見れば些細な挑戦でも、意欲のあるうちはボケないだろう。
「コロナ禍」(この語もずいぶん一般的になったなあ、一年前は使っていなかった)により、若干遅れたものの5月19日にスタートしていた。
この時の時間や準備は印象深く、ブログにも記してある。
Spirit of St.Louisを噛み締める
そこに記した「工夫と挑戦」はどの程度達成できたのだろうか。
量的な点を最初に記すと、21回延べ54冊(重複があり実質38冊)ということになる。
本県、本地区でも感染者がいたとはいえ、拡大するに至らなかったので、9割方実施できたこと、また校内では距離をとりながらマスクなしで語らせてもらったことは有難かった。
さて、改めて「工夫と挑戦」という観点を考えてみた時、これは結局、他からの刺激が重要だったとつくづく思う。
その点で、秋に主催した「読み聞かせワークショップ」で、隣県から講師をお招きして学んだことと、自ら県で開催した講座に参加し、得たことは非常に大きい。
読み方、語り方についてある程度の素養はあったものの、「絵本」となるとそこには当然、それなりのテクニックが存在する。
例えば、次のページをめくるタイミングだ。
「めくってから読む」だけではない、という技一つでも大きな違いがあった。
また、世の中に数多溢れる絵本のどれを取り上げるか。
専門家によってねらいや対象者による分類なども作成されている。
しかし、やはりアマチュアにとって必要なのは、自分自身がその絵本と「いい出逢い」ができるかどうか、だろう。
つまり、絵本のよさを心から感じ取れるかどうかだ。
年度後半、受講した経験を生かして、落語や講談の絵本を何度か取り上げた。
自前で本も購入もした。
それは、きっと「声」に対する興味の強さが残っているからだろう。純然たる「絵本」の良さと言い切れるかは、少し疑問も残る。
ただ、「語り」の強調と考えると、この選択は間違っていなかったとは思う。
通常より練習量も必要であり、自分に発破をかけないとなかなか厳しい結果になることも思い知らされた。
その意味で、青臭いとしても挑戦が努力や工夫を導くといってもいいか。
他から見れば些細な挑戦でも、意欲のあるうちはボケないだろう。
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