すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

状況と言葉の結び目をみる

2021年04月16日 | 雑記帳
 愛読雑誌『通販生活』夏号で、「言葉のプロたちが違和感を覚えたコロナ新語・流行語」というページがあった。作家や国語辞典編纂者などの名前が連なっていた。今号はまずはそこからだなとさっそく読み始めた。コラムニストの小田嶋隆と社会学者古市憲寿の二人は「不要不急」と同じ言葉を挙げた。やはり、ね。


 自分も「対語は何か」とブログに記したように、あまりに流行ったため?に、喰いつきたくなる語だ。小田嶋がこの言葉を広めようとした人々が「選択と集中」という語で日本の産業を変貌させた者たちと同一だと予想したのは興味深い。しかし、本当に必要なのは何かという問いを真に持てたなら、これもまた貴重だ。


 これは三年前に撮った。今はあの小さな舎はない。桜は残っているが、今年はどうか。

 歌人の俵万智が「夜の街」を挙げた。「ちょっと文学的すぎ」という印象を持ったという。「思い浮かべる絵柄」は確かに様々で、この括り方は乱暴かもしれない。作家高橋源一郎は「ニューノーマル」を取り上げて、彼らしい喰いつき方をしている。「新しい○○」が喧伝される時に何が排除されるか、注意深さが必要だ。


 この他、三名がそれぞれ「三密」「ステイホーム」「GoToトラベル」について述べていた。違和感を持つ者にはそれなりの理由があり、単に個のこだわりと済ませていけない気がする。ところが、一番言葉にこだわりそうな国語辞典編纂者として名高い飯間浩明は「不適切、不愉快と感じることばはない」と言い切った。


 「どんな言葉も理由があって生まれ、かつ、必要がなくなれば人知れず消えていきます。」まさに、新語の記録と観察という仕事そのものを語っている。とすれば理由や必要そのものへの関心より、状況と語との結び目を焦点化しているのか。言葉の洪水とも言うべき今の社会を、淡々と岸辺で眺めているような姿だ。


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