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風呂場で「ちゃぶ台」

2023年07月24日 | 雑記帳
 ここ半月以上、風呂場での読書はもっぱらこの「ミシマ社の雑誌」となっている。ミシマ社の単行本をいくつか読んでいたが、こんな雑誌があることは知らず、バックナンバーを数冊買い求めた。創刊は2015年10月となっていて、現在11号発刊されているので、年1~2回のペースで出版されている。面白い。


 「最初から最後まで読み通したくなる雑誌をめざしました。―編集部」と創刊号の冒頭ページにある。手元にある5号まで共通しているのは、目次が裏表紙にあるという点が大きな特徴だ。それは「台割」という編集上の航海図(計画表と言っていいか)なしに作る「常識への『挑戦』」を示す象徴的なレイアウトだ。



 創刊号は「移住×仕事」号と銘打たれ、時系列で載せられていく編集だ。しかし、途中参加の読者としては結局どの号もつまみ食い的な読み方しかできていない。それでもこの雑誌に見られる精神を心地よく思えるからこそ、読み続けているのだと思う。その意図がよくわかる一節が、編集後記にこう記されている。


「編集=整理」という時代から、「編集=発見」もしくは「編集=生命の注入」という新たな時代へ。


 ガツンとくる一節だ。かつて、例えば「情報編集力」といった語に共感し、受信も発信もある目的を持って進むことに疑いを抱いていなかった。しかし明らかに時代の流れに追いついていけない、いや全貌がよく見渡せない、そんな意識が強くなり、根本的に揺さぶられている感がある。齢のせいだけではあるまい。 


 この雑誌からの発見・気づきは多い。自分の来し方には恥ずべきことが多く、ふと昭和のオヤジのように「ちゃぶ台返し」をしたい気分にもなる。ただ、それは決して編集にはならない。出来るとすれば、ちゃぶ台に手持ちや仕舞ったモノをもう一度並べてみて、そこにある(とすれば)、煌めきを磨くことしかない。


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