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「若返り」破門

2019年07月14日 | 雑記帳
 昨日は「老いるとは人間にとって何を意味するかについて、どんな自分の考えを持っているか、いないかで左右される」という言葉に圧倒されたと書いておきながら…、なんと翌朝行ったコンビニで、とある雑誌の表紙特集名に目を奪われ、思わず購入してしまうとは…。どうしようもない。その名は「『若返り』入門」。


 この手の結論は決まっている。「運動」「食事」そして「心の持ち方」、ほとんどの場合、三要素であることは健康オタクの自分でなくとも、常識化しているのだ。予想される内容を今さら読もうとしたのは、ひょっとして「若返り」というこの頃あまり聞かない言葉に惹かれたか。考えれば身体的には絶対無理なことだ。


 端的な比喩だろうが、見果てぬ夢だからこそ多くの人間は、言葉だけでも求めてしまうのだろう。ちなみに本町にはかつて、その名をつけた清酒があった。現在は饅頭がある。結構な人気商品である。「わかい」は広辞苑では「稚い」の漢字も当てられている。小ささや幼さに価値を求めるのは、成長が止まった証拠か。


 ところで肝心の雑誌のなかみはぺらぺらめくってみたが、案の定健康雑学的な話が多い。一昔前に流行ったアンチエイジングの焼き直しなのだ。そんななか、齋藤孝教授の連載「古典の名言」で取り上げられた西行の歌。「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」…難所を越えられたのは命あったからだ。


 若き日に旅した場所を再び歩いた心境だろうが、なんと言っても「命なりけり」の響きが強い。結局好きなことを続けたから、そこにつながったのではないか。茂木健一郎は「『賢さ』よりも『愚かさ』が大きな価値を生む」と書く。磨くべきは他から愚かに見えることかもしれない。若返りなど凡策か。さっそく破門だ。


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