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平凡な処世訓にこそ

2019年07月20日 | 読書
 慣れというものは怖ろしい。
 誰しもが、一度や二度はそんなことを感じた時があるはずだ。
 某週刊誌の連載で、作家橘玲が書いている。

Volume.169
 「幸福(不幸)を定義することができないとしても、そこには歴史や地域を超えた人類に普遍的な傾向がある。それは、『どんなことでも慣れてしまう』だ。」


 たとえば、こんな美味しいカステラは食べたことがないとF屋の五三焼きを口にしたのはいつだったろうか。
 その時は、間違いなく幸福感・満足感に浸ることができたのに…何度目かに食べる時は「やっぱり美味しいね」と言い合うけれど、やはり最初の感動からは著しくダウンしている。
 たとえば、贔屓にしているチームの試合であっても、勝ち負けがあるからこそ、応援に力がこもるのだろう。


 もっと日常的、いや根本的な事柄にも当てはまるに違いない。

 自分の置かれた境遇や身体的特徴など、どう考えどう感じているか、他者にその全貌は見えない。
 世間的な物差しでは測れない、それらは、きっと本人の中で渦巻いている。
 客観的に見て変化がなくとも、本人の中では「慣れ」によって、幸福度が日々違っている。


 とすれば、結論は一つ。

 不幸に慣れよ。幸福に慣れるな。

 そんな甘い、都合のいい言い方がどこにある!
 (自らを叱り、口を滑らす慣れを戒めよ。)

 まあ、別の言い方をすれば、
 仕方のないことはあきらめろ、恵まれたことには感謝せよ、というごく平凡な処世訓だ。


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