すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

その気になるような基盤

2005年07月11日 | 読書
「役に立つ」という実感が今の剣道をやっている人にはまるでない。本音では「こんな構でどうするんだ」と思いながらも「大事だ」と言われるので従っている。そんなことをやっていたらどんどん裏表のある人間になっていって人格修養どころじゃないと思います。(略)これも小さい頃からの教育の問題があるでしょう。つまり、その気になるような基盤を、小学校の頃に作るようにして、それからその意欲にうまく応じてやればいいのに、とかねがね言っているんですけれど…
甲野善紀「自分の頭と身体で考える」(PHP文庫)


その気になる、ということは
もっと学びたいということである。
その気持ちが具現化している姿は一様ではないが
授業者の手応えとして
「子どもたちがその気になった」と感じられるなら
その授業は成功と言えるに違いない。

話し合い過信の弊

2005年07月07日 | 読書
学習塾で子どもらの「話し合い」に力を入れているところなど一つもない。塾ではまっしぐらに「学力形成」を目がけた「授業」をしている。大方は説明と指示と作業と判定、そしてやりなおし、繰り返しである。話し合い過剰、話し合い過信の弊は改めなくてはならない。
野口芳宏「国語教育 2005.7」(明治図書)

なぜ、話し合いなのか。
その一点を考えるだけでも、おそらく授業は変わる。
自分が教えたいこと、育てたいことを明確に意識できる。
話し合いの意義は、疑われない位置を占めているが
それこそ、真っ先に検討してみなければならない。

幸運を逃してしまう集中力

2005年07月04日 | 読書
何かに集中するということは、視野を狭くすることにほかなりません。その結果、せっかくの幸運が目の前を通り過ぎていってしまう。集中力とは、「頑固さ」の別名でもあるのです。その意味で、集中力がない人のほうが創造性を発揮できるといえます。別の言い方をすれば、創造力が高い人というのは、集中力ではなく、"分散力"の高い人なのです。
池谷裕二「PRESIDENT 2005.7.18」


学習活動には欠かせない集中力は
ある意味では、もっとも子どもたちにつけたい力である。
しかし、それは効率という面の強調でもある。
天才の逸話によくあるエピソードは
ここでの脳科学の話に一致する。