すぷりんぐぶろぐ

桜と絵本と豆乳と

「夜明け」を待ちながら…

2024年01月07日 | 読書
 読了本の感想メモ。re02『夜明け前(が一番暗い)』(内田樹 朝日新聞社)は雑誌「AERA」連載を主として構成された一冊だ。2018年7月から22年11月までの原稿である。ここ5年ほどの論考だと思うと、改めてこの期間の目まぐるしさがわかる。米大統領選、コロナ感染、首相交代、東京五輪、ウクライナ侵攻…。





 様々なトピックに対して語られる、著者の声を納得して受けとめることが多い。そして、そうだよなあと目を見開かされる知見が必ずある。今回は「言論の自由」について深く頷いた。心に思っていることを何でも好きなように口にする権利があるといったような「底の抜けた放任主義」のことではないと、氏は語る。

P52「言論の自由」というのは、さまざまな人がそれぞれの思いを自由に口にできる環境では、長期的には、真理をより多く含む言説が淘汰圧に耐えて生き残るという歴史の審判力に対する信認のことである。

 我々に与えられた自由は何のためなのか。それを俯瞰する観点があって保障されるべき権利。この国では、近視眼的かつ自己利益誘導型の政治家がいかに多いことか。典型的な例は日本学術会議会員任命問題だった。学問や研究に対する敬意の欠如は明らかで、当然ながら教育全般にも多大なる影響が浸透している。


 第6章「成熟しない日本の教育」は、自分も当事者という反省を込めながら読んだ。ちょうど20年前に登場した「キャリア教育」のキーワードの一つは間違いなく「夢」。それは明るく希望ある語だったはずだが、今現実に進められている状況を垣間見る時、社会も文科省もそして私達も「病」に気づかず進んでいる

P201 「夢」は評価や管理と最も縁遠いもののはずである。人間を管理することへのこの狂気じみたこだわりはもはや日本社会に取り憑いた病という他ない。

今年初、それはいつもの…

2024年01月05日 | 雑記帳
 「今年初」シリーズで書き出す。最初の読了本(read a book to the end以下re№)は、なっなんとre01『残酷人生論』(池田晶子)。去年は序論程度だったが、今回は3日かけて読み通した。そしてまた、8割は理解できないで終わる。今年も2割を手がかりに暮らしていく。で自らに問う。そも10割を知っているのか。


 初仕事は、4日の9時開館前にエントランス掲示の貼り付け。もちろん昨年中に準備してあるので、確認とコピーのみだ。年度毎のコーナーなのであと2回は入替がある。行事等のカレンダーの他に「作家のことば」「昭和・平成の出来事(クイズ)」で構成するので、図書館の役割は担っていると思う。その後blog更新


 今年初の絵本練習は、体調を考慮しながら「張らない声」で『星につたえて』を読んだ。やはりいい物語。大切なのは「ことば」の「なかみ」なのだ。誰に伝えるかという対象より、何を伝えるか、それが本質だ。攻撃や拒絶ではなく、親愛や受容、共感…その方向へ力を注ぎたい。低く小さく語る時間も時には良い。



 初探し物(笑)。昨年末から舐め続けている「龍角散ののどすっきり飴」が見つからない。職場からは持ち帰っているはずと、あちこちひっくり返したが駄目。二日経って、なんとデスク横の手を伸ばせば届く位置に…一枚の紙に覆われて目に入らなかった。こんな些細な探し事の連続…ああ、夢の中へ夢の中へウフッフー♪

かように声の力は大きい

2024年01月03日 | 雑記帳
 大晦日の夜も22時前に就寝という健康的生活(笑)を送ってしまった。従って齢相応に紅白も録画で観ることに…。もちろん名前の知らない数多くの歌い手やグループなど早送りするわけだが、一応はお気に入りもいたりして、少し注意深く聴いた部分もあった。見終わってから当然のことかと思いつつ、感じたのは…。


 出演したベテラン勢に声の衰えが目立つと感じた。上手下手という観点とは別にやはり若い声にはエネルギーがある。デジタル音響処理したような声ももちろんあるわけだし、一概に評価できないのはわかる。しかしキャリアのある者は以前との比較で判断してしまう。個別の差はあったにしろ、それが現実だと知る。





 「声の力」といえば、地震発生時のNHKアナウンサーの避難呼びかけが話題になった。家人も少し驚いていた。私は以前非常時におけるそうした訓練的場面をTVでみた記憶があり、その意図については理解できた。とはいえ、対象者以外が耳にしたら大袈裟に思えてしまうだろう。そこに問われるのは、想像力だ。


 賛否両論あったのは、否定的な人でさえ心が揺さぶられたわけだろうから、これは非常時の報道姿勢として正しいと判断していい。警戒音の強度等はさておき、かように「声の力」は大きい。こうした場合と混同するのはふさわしくないかもしれないが、ずっと抱いてきた声へのこだわりが印象付けられた出来事だ。


 一方で、歳末に罹った咽頭炎が完治できない我が状況が寂しい。「あまり声を出さないように…」という医師の指示は快癒するまでと思いたいが、こども園で周囲が騒がしい場合には、声の力をフル回転する時が求められるので少し心が曇る。齢だけは「ベテラン」間違いなしの自分は、維持に努める策を練るしかない。

覚悟と真と祈りと

2024年01月01日 | 雑記帳
 Mr.childrenが【es】~Theme of es~♪何が起こっても変じゃないそんな時代さ覚悟はできている♪と唄ったのは1995年。言うまでもなく、阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件によって衝撃をうけた年である。もちろんそこが区切りではないが、「何が起こっても変じゃない」は年々加速してきているように感じる。


 元日は2014年から雑感等をブログに綴っていた。10年続けたことを止めるのもどうかと思い、初詣の天気の良さから書き出そうとしたら、部屋の戸がカタカタ鳴り出した。「あれ地震か」とTVをつけたら少し長い揺れが続き、これは大きいとわかった。また石川能登か。ここ数年、心休まる時がないのではないか。


 天災であれ、個人的な災難であれ、「覚悟」が出来ているかと言えば正直心許ない。頭ではわかっていても、実際遭遇した場合に冷静でいられるか。そうした場に何度も出遭い、経験値を高めてきたわけではない。ただ基礎的な防災、減災に関する優先順位は時々確認しておくべきだ。知識から技能へを意識することだ。


 今日は午前中に図書館ブログも更新した。そこに書いた種田山頭火の名言をもとに、今年の一字を「真」と決めた。幅広く解釈できる語である。心構えとして、大切なことを見失わないように、嘘やごまかしがないように…と平凡なことを念じたい。「真実」は自分にしかないけれど独りよがりになってはいけないと戒める。




 ピントは少し甘いが、初日からこんないいショットが撮れるとは思わなかった。自然を慈しみ、神仏を敬う…自分には少々足りない部分にも感じるので、その点も何かの形にしていくことで一年を歩んでいきたい。報道を注視しながら、地震・津波災害がこれ以上大きくならないこと、被害に遭われた方々の無事を祈る