ポンポン山に登ってきた。
雪はあまりないが一部凍結しているので、スパイクラバー装着
熊の目撃情報有り
山頂
神峰山寺で「厄除けぜんざい」をいただいた。
今年一年無事に過ごせるように、と。
昨年ほど混雑していなかったので、椅子に座ることもできた。甘酒もいただいた。
(昨年は、成人の日が「厄除けぜんざいの日」であったが、今年は少しズレたようだ)
【追加】
関係者に聞いたところ、今年は10日(水)に行われる『初寅会』の絡みで、延びたそうだ。
ポンポン山に登ってきた。
雪はあまりないが一部凍結しているので、スパイクラバー装着
熊の目撃情報有り
山頂
神峰山寺で「厄除けぜんざい」をいただいた。
今年一年無事に過ごせるように、と。
昨年ほど混雑していなかったので、椅子に座ることもできた。甘酒もいただいた。
(昨年は、成人の日が「厄除けぜんざいの日」であったが、今年は少しズレたようだ)
【追加】
関係者に聞いたところ、今年は10日(水)に行われる『初寅会』の絡みで、延びたそうだ。
「昭和史裁判」半藤一利/加藤陽子
被告人は軍人以外の昭和史のリーダーたち。
彼らを俎上に載せてその罪を問う。
検事役が半藤一利さん、弁護人が加藤陽子さん。
二人が議論しながら、心情や状況を掘り下げていく。
こうして「日本のいちばん長い昭和反省会」が始まった。
第1章 広田弘毅↓
第2章 近衛文麿↓
第3章 松岡洋右↓
第4章 木戸幸一↓
第5章 昭和天皇↓
P127
近衛は遺書で「僕は支那事変以来、多くの政治上の過誤を犯した」と自ら認めておりますが、その失敗の責任はあまりに大きい。泰淳は同情したかもしれないけれど、天皇はこれを許さないのです。
NHK、ジョン・ダワー「日本人はなぜ戦争へ向かったのか」第四回「開戦・リーダーたちの迷走」
P135-136
「人が死ねば死ぬほど兵は退けなくなります。リーダーは決して死者を見捨てることが許されないからです。この死者への『負債』はあらゆる時代に起きていることです。犠牲者に背を向け『我々は間違えた』とは言えないのです」
P184-185
蒋介石にとっては戦争の責任者の断罪などどうでもいいのです。中国における日本人の個人の私有財産も含めた日本の現物財産、あれをとにかく置いていってくれればいいと。
P194
当時、上海の日本人社会には序列というのがありまして、いちばん偉いのが外務省。次が日銀や横浜正金といった銀行系です。三井物産はそのつぎだったようですね。
南部仏印進駐についての天皇のコメントby木戸幸一の日記
P205
「フリードリヒ大王や、ナポレオンのような行動、極端に云えば、マキャベリズムのようなことはしたくないね」
P227
それにしても、天皇はなぜあれほど松岡を嫌ったのか。昭和天皇という人は不思議なくらい個人の悪口は言わない人なのですが。
P233
「東亜新秩序」というのは近衛文麿がいいだした言葉ですが、では「大東亜共栄圏」はだれがいいだしたかといいますと、これが松岡なんです。昭和15年(1940)8月1日だそうですよ。
P252
木戸と近衛は学習院、京都大学法学部の同級生。この同級生づき合いと華族ネットワークが木戸を表舞台に押し出したわけですね。
P295
「戦争中は羊を飼って自家製の食物での食事療法をしていました」と、のちに秩父宮妃殿下が語っていますが、秩父宮夫妻も白州次郎・正子夫妻と同じようなライフスタイルで戦中を過ごしていたのですね。白州夫妻は太平洋戦争が始まると、あっという間に鶴川の田舎に引っ込んで、お米や麦やジャガイモを作って暮らすわけですから。これが真の上流階級の、第二次世界大戦期の過ごし方でした。(武蔵と相模の間に位置することから、無愛想をもじって邸を「武相荘」と命名した。いまでは一般公開されている)
P332
戦争責任については、政治的責任と道義的責任という分け方で考えるのが通常の発想です。天皇に政治的責任がないのはむろんのことです。けれども「天皇陛下の御ために」と、死んでいった将兵の家族に対しては申し開きがたたないという意味で、道義的責任はあるのではないかという議論。
天皇の無答責について
P388
つまり政治的、行政的な責任は政府が有しており、君主個人に帰するものではないというわけである。いっぽう昭和天皇の戦争責任を「有り」とする立場からは、天皇は開戦を承認し、終戦を決断しており、政治的決定過程において最終的な決定権者としてふるまっているとする。そのことからも政治的責任があるとされる。
P398
木戸と近衛は仲がいいように思われがちですが、じっさいは違ったのでしょう。
【おまけ/ツーショット特集】
このツーショットはレア
近衛は長身だ
やはり、近衛は長身(木戸が低いだけ?)
【ネット上の紹介】
「軍部が悪い」だけでは済まされない。松岡洋右、広田弘毅、近衛文麿ら70年前のリーダーたちは、なにをどう判断し、どこで間違ったのか―昭和史研究のツートップ・半藤さんと加藤さんが、あの戦争を呼び込んだリーダー達(番外編昭和天皇)を俎上に載せて、とことん語ります。あえて軍人を避けての徹底検証は本邦初の試み!
第1章 広田弘毅(開廷に先立って
東京裁判と『落日燃ゆ』 ほか)
第2章 近衛文麿(天皇の次に偉い男
金はなかった、人気があった ほか)
第3章 松岡洋右(外務省「大陸派」
伏魔殿、帝国外務省 ほか)
第4章 木戸幸一(自称「野武士」、ゴルフはハンディ「10」
名家の坊やが抱えたルサンチマン ほか)
第5章 昭和天皇(初陣の日中戦争
勃発からひと月で海軍の戦争に ほか)
「鬼平犯科帳」(23)池波正太郎
短編1編と長編が収録されている。
短編も良かった。
長編は今までの中で一番面白く感じた。
本郷の根津権現は当時から賑わったそうだ
P17
そうなれば、これまた当然のように、岡場所(官許以外の娼婦を置いた遊里)が発生する。
いまの根津の岡場所は、幕府公認の新吉原以外の、品川、新宿、板橋、千住、深川とならぶ繁盛ぶりを見せている。
【ネット上の紹介】
謹厳実直な亡父・長谷川宣雄の隠し子出現に、平蔵は苦笑い(「隠し子」)。夜鴉がしきりに鳴いた翌日、おまさは旧知の盗賊・峰山の初蔵に声をかけられる。「新しい荒神のお頭を手伝ってもらいたい。二代目は女だ。先代の隠し子さ」。先代の助太郎親分を思い、おまさの心が騒ぐ(「炎の色」)。二人の隠し子登場で、新たなる物語が始まる。
「神の子」薬丸岳
IQ161以上の町田博史が主人公。
戸籍もなく、虐待されて育つ。
その後「殺人」で少年院へ。
さらに脱獄…。
一体どのような人生を歩むのか?
上巻559ページ、下巻557ページで、読みごたえあり。
【おまけ】
読んでいて、中村文則さんの「掏摸」「王国」を思い出した。
こちらは、本作品ほど分厚くないので、未読なら先に読んでみては?
「掏摸」中村文則
「王国」中村文則
【ネット上の紹介】
少年院入所時の知能検査でIQ161以上を記録した町田博史。戸籍すら持たぬ数奇な境遇の中、他人を顧みず、己の頭脳だけを頼りに生きてきた。そして、収容された少年たちと決行した脱走事件の結末は、予想だにしなかった日々を彼にもたらすこととなる―。一方、闇社会に潜み、自らの手を汚さずに犯罪を重ねる男・室井は、不穏な思惑の下、町田を執拗に追い求めていた。
「不屈の小枝 日系移民ヤスイ家三代記」ローレン・ケスラー
アメリカに移民した三代の記録。
ヤスイ家をとおして戦前・戦中・戦後の歴史を辿る。
上下2巻で読みごたえがあった。
上P108
日本人はプロテスタント的な労働倫理とたぐいまれな集中力で、白人の隣人たちを圧倒していた。熱心に働き、こどもたちに労働の大切さをo教え、自分たちの満足はあとまわしにした。彼らはまさに、ピューリタンだった。「昔のピューリタン」たちは、「新しいピューリタン」が気に食わなかった。
上P138
フッドリバーの日本人キリスト教徒は、同じ信仰をもっていても、白人社会に受け入れられることはなかったのである。彼らは白人メソジスト教徒が構成する主流派には入れてもらえなかった。日系のメソジストたちは独自の牧師を探して後援し、白人の信徒たちとは別々に礼拝しなければならなかったのだ。
下P199
親の手で、強引なまでにアメリカ化させられるというのは、三世に共通する幼児体験である。「出る杭は打たれる」という日本のことわざがある。二世には、このことわざが同化を促す戒めに聞こえた。
下P206
60パーセントから70パーセントといいう高い割合で、日系アメリカ人が日系以外の相手と結婚しているという事実には(異人種との結婚は、中国系のアメリカ人の場合は13パーセント、メキシコ系移民では16パーセントである)、なにかほかの要素もからんでいるようである。つまり、人種の混合であるそうした異人種間の結婚こそが、アメリカの人種差別が生んだ皮肉な結果だったという側面だ。
【おまけ】
本作は、先日読んだ「星ちりばめたる旗」の元ネタのひとつ。
戦中の苦しい頃が、しっかり描かれている。
ノンフィクションとしてもレベルが高い。
参考→「星ちりばめたる旗」小手鞠るい
【ネット上の紹介】
二十世紀初頭、アメリカン・ドリームに魅せられて、岡山からオレゴンに移民したヤスイ・マスオ。“人種”の壁に屈せず、農園主として成功するが、1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃の直後、FBIに逮捕され、強制収容所へ。ヤスイ家の歴史をとおして、日本とアメリカの戦前・戦中の歴史を辿る…。
第1部 一世の時代(広大な夢
楽園
深く根をおろして
黄禍
零細企業家、マット・ヤスイ
失われた楽園)
第2部 二世の時代
[カンバスを覆う影]
「がんばり屋の二世たち」
「大好きな東洋の囚人さんへ」
「毒ヘビは毒ヘビ」
鉄条網のなかで
帰郷
二百パーセント、アメリカ人)
第3部 三世の時代(ウィロー・フラット農場
過去はプロローグ)
再びポンポン山に登ってきた。
本山寺からの一般ルート。
先日の雪は消えていた。
代わりにドロドロ状態。
帰りは、悪路を敬遠して、水声の道から下山。
水声の道
昨年は成人の日に登った時には、厄除けぜんざいがあった。今回はなかった…。
「大人のための昭和史入門」半藤一利/船橋洋一/出口治明/水野和夫/佐藤優/保阪正康
半藤一利がメインに書かれていると勘違いして借りてしまったが、
実際は、昭和史をテーマにしてアンソロジーのようなもの。
多くの方が執筆されているので、文章力もそれぞれ。
P167
ウォルツァーもまた戦争倫理学の押しも押されぬ世界的権威であり、『正しい戦争と不正な戦争』は合衆国陸軍士官学校で教科書に採用されている。原爆使用を倫理的に断罪する本が、エリート士官養成のテキストになっているのだ!(この本は、「キリスト教と戦争」「ハーバード日本史教室」でも言及されていた)
P183
「自国民(ユダヤ系ドイツ人)に対する行為」=内政問題であること、「戦争開始前における行為」も含むことの二点で、それは既存の戦争犯罪に収まらない行為だった。こうした特殊性のために、一般住民に対する非人道的行為を国際犯罪とする「人道に対する罪」がつくられるのである。
P186-187
真珠湾の奇襲攻撃があることから、日本については特に「平和に対する罪」を重視し、この侵略の罪状で起訴できない者は裁判にかけないことにした。「平和に対する罪」(A級犯罪)と「人道に対する罪」(C級犯罪)がともに重視されたドイツと違い、連合軍が日本の主要戦犯=指導者の被告人だけを「A級戦犯class A war criminals」と呼んだのは、このためだ。
【ネット上の紹介】
満州事変から歴史認識まで最強メンバーが論じる。教科書で習わなかった昭和史16の結論。第1章 特別座談会 世界史の中の昭和史
第2章 第二次世界大戦前夜(リーダーに見る昭和史 日本を滅ぼした「二つの顔」の男たち
満州事変 昭和6年(1931)―永田鉄山が仕掛けた下克上の真実
張作霖爆殺事件 昭和3年(1928)―軍閥中国は「イスラム国」状態だった
国際連盟脱退 昭和8年(1933)―松岡洋右も陸相も「残留」を望んでいた
五・一五事件 昭和7年(1932)―エリート軍人がテロに走るとき
二・二六事件 昭和11年(1936)―特高は見た「青年将校」の驕り)
第3章 第二次世界大戦勃発(日中戦争 昭和12年(1937)~20年(1945)―蒋介石が準備した泥沼の戦争
三国同盟 昭和15年(1940)―「幻の同盟国」ソ連に頼り続けた日本
日米開戦 昭和16年(1941)―開戦回避 チャンスは二度あった
原爆投下 昭和20年(1945)―ヒロシマ・ナガサキこそ戦争犯罪だ)
第4章 戦後とその後―第二次世界大戦の遺産(ポツダム宣言 昭和20年(1945)―日本は「無条件降伏」ではなかった
東京裁判 昭和23年(1948)―東京裁判の遺産
GHQ占領 昭和20年(1945)~27年(1952)―日米合作だった戦後改革
人間宣言 昭和21年(1946)―天皇・マッカーサー写真の衝撃
日韓歴史認識 和解が今後も進まない三つの理由)
「名画で読み解くロマノフ家12の物語 」中野京子
P18
またマリヤの子ドミトリーは――ギリシャ正教が妻は四人までと定めていたので――庶子とされ田舎へ追放された。(同じキリスト教系でも、4人もOKとは…いろいろあるなぁ)
ワシーリー・スリコフ/歴史画「フョードシヤ・モロゾワ」
ロシア正教の宗教改革…ルターのそれとは大違い
P31
たとえば、二度のハレルヤ斉唱を三度にする、祈禱の間ずっと起立していたのを座ってよいことにする、神への礼はわざわざ跪く必要はなく、腰を曲げるだけ…と、ここまで書けば、スリコフの絵の二本指のわけも明らかであろう。大昔から延々古儀式を守ってきた人々にとっては、十字を切るやり方は指二本こそが絶対的に正当であるのに、ニコンは指三本で行えと強制する。(上絵・右下の男が指二本を立てている。見える?…このことである。それにしても、「お茶」の作法の違い程度に感じるが、裏千家と表千家の違い?)
P29
そんなことをして逮捕されないのだろうか?
されない。
なぜならこの男は単なる浮浪者ではなく、ユロージヴィ(=聖愚者)だからだ。苦行用の重い首輪をぶら下げているのが証である。ユロージヴィとは、いっさいの財産を放棄し、痴愚として狂人として生きることを選んだ苦行者で(後略)。
ピョートルはモスクワからペテルブルクへの首都移転を考える
P61
ネヴァ川河口の三角州、バルト海への出口に位置する湿地帯だった。「ネヴァ」とはフィンランド語で「泥」の意。
P63
「サンクト」は「聖」、「ペテル」は「使徒ペテロ」、「ブルク」はドイツ語の「城市」。「聖ペテロの町」という意味だ。ちなみにペテロは英語でピーター、ロシア語でピョートル。(後に、ペトログラード→レニングラード→サンクト・ペテルブルグに戻って現在に至る)
P70
マルタにとってエカテリーナ一世の生涯は、本人にとって夢のようなものであったろう。もし親が若死にしなければ、もしロシア兵たちといっしょに戦地から戦地をめぐっていなければ、チャンスもまためぐってこなかった。陽気な娼婦時代、いったい誰が想像できたろうか、ロシアの君主になる運命が待っているなどと。
P204
しかしアレクセイは、ニコライの母マリアの心配したとおり、曾祖母ヴィクトリア女王の遺伝子を受け継いで、重い血友病を発症する。アレクサンドラの神経はささくれだち、優しい夫はいっそう妻子第一となり、そこへ――まるでロマン主義の小説みたいに――「怪僧」ラスプーチンが登場するのだった。
アレクサンドラ、アレクセイ、四皇女(オリガ、タチアナ、マリア、アナスタシア)とラスプーチン(1908年)
P216
後年、「第一次世界大戦」と名づけられたこの国家総力戦は、ハプスブルク、ロマノフ、ホーエンツォレルン、オスマンという四王朝に幕を引いたことでも知られる。
P225
つくづく人間は歴史に学ばない(学べない)のだなあということ。学んでいるつもりでも、いざ己のこととなると、身近に迫る変化の気配すら感じなくなるのかもしれません(巨大恐竜が足元に目がゆかないように)。絶対君主制はおそらく滅びるべくして滅んだ。そんな中、どこよりもロマノフ王朝の終わり方が衝撃的なのは、連綿と続いてきた不気味な秘密主義に根ざしているからでしょう。水面下で密やかに物事が処理されるため、人々はもはや公式発表も通達も信用しなくなる。飽きもせず語られてきた、「実はまだ生きている」貴人伝説の源もここにあると思われます。
【ネット上の紹介】
全点オールカラー。ロマノフ家、愛と憎しみの300年史。
ワシーリー・スリコフ『フョードシヤ・モロゾワ』
シャルル・フォン・ステュイベン『ピョートル大帝の少年時代の逸話』
ニコライ・ゲー『ピョートルと息子』
カルル・ヴァン・ロー『エリザヴェータ女帝』
コンスタンチン・フラヴィツキー『皇女タラカーノヴァ』
ウィギリウス・エリクセン『エカテリーナ二世肖像』
ニコラ=トゥサン・シャルレ『ロシアからの撤退』
ジョージ・ドウ『アレクサンドル一世』
イリヤ・レーピン『ヴォルガの舟曳き』
山下りん『ハリストス復活』
ボリス・クストーディエフ『皇帝ニコライ二世』
クロカーチェヴァ・エレーナ・ニカンドロヴナ『ラスプーチン』
「昭和の名将と愚将」半藤一利・保阪正康
高度な内容の対談。
読んでいて感心した。
(宮部みゆきさんも、別の作品--「昭和史をどう生きたか」で本書を褒めていた)
P18
日本人は今でこそ最後の一兵まで戦い、絶対に降伏しないと思われているが、本来はそんなことはなく、戦国時代では誰も玉砕せずに主将が腹を切るとすぐ城を明け渡している。だから、日本人はメンツが大切なのであって、それさえ留意すれば降伏するはずだ、と言う認識がアメリカ側にはあったんですよ。だから、特攻とか玉砕というのは、日本の文化にはないわけで、どこかで日本人は変調をきたしたに違いない。
P18
薩長は攘夷を決行しようとして、薩英戦争や下関戦争で、列強にコテンパンに負けます。このままではダメだから、文明を取り入れて、富国強兵をしてから改めて攘夷をしようと方針転換をするんです。これは西郷隆盛も言っています。そして明治維新以降も、攘夷の精神は死んでいない。
(中略)
だから、昭和の初めあたりから、列強入りした日本に欧米から圧力がかかると、実際にはたいした外圧ではなくて日本が自ら招いたものにもかかわらず、すぐに過剰反応している。
P62
米内(光政)、山本(五十六)、井上(茂美)というのは会社組織にたとえるなら、米内がのんびり社長、山本が歯に衣を着せぬ専務、井上が厳格な経理部長といったところですよ。
P94
勇士の勇敢敢闘は作戦のまずさを補うことはできない。作戦がいくら巧緻でも大本営の戦略の失敗を補うことは誰もできないんです。
「生きて虜囚の辱めを受けず…」が有名な「戦陣訓」について
P158
軍人勅諭があるのに、また「戦陣訓」なんて、屋上屋を重ねるようなことをしたのは、東條の周りにいた師団長クラスの連中が、ゴマすりのために作らせたという側面があるように思う。
(中略)
石原莞爾なんかは部下に読むなと言っていたそうですからね。
P194
しかし結局服部(卓四郎)は戦後、再軍備の最高の旗振り役になりましたね。「服部機関」が中心になって、再軍備の路線を突っ走っていった。
P252
保阪:僕は「特攻」というのは文化に対する挑戦だと思っています。あの時代の指導者の、文化に対する無礼きわまりない挑戦だったと。
半藤:「特攻」に対する考察がし尽くされぬままなら、日本は軍隊なんかつくっちゃいかんと思いますよ。
【おまけ】
名将として宮崎繁三郎と今村均がよかった。
軍人にもこんな方がいたのか、と。
同じように戦争に行っても運不運は紙一重。
【ネット上の紹介】
責任感、リーダーシップ、戦略の有無、知性、人望…昭和の代表的軍人二十二人を俎上に載せて、敗軍の将たちの人物にあえて評価を下す。リーダーたるには何が必要なのか。
名将篇(栗林忠道
石原莞爾と永田鉄山
米内光政と山口多聞
山下奉文と武藤章
伊藤整一と小沢治三郎
宮崎繁三郎と小野寺信
今村均と山本五十六)
愚将篇(服部卓四郎と辻政信
牟田口廉也と瀬島龍三
石川信吾と岡敬純
特攻隊の責任者―大西瀧治郎・冨永恭次・菅原道大)
「山怪 山人が語る不思議な話」田中康弘
山にまつわる不思議な話を集めてある。
山なのにヤマもオチも無く、淡々と語られる、それが心地よい。
知っている場所が複数出て来て、興味深く読んだ。
P26
「(前略)まあ狐の話はよう聞きましたよ。そいでも近江の商人だけは騙そうとした狐を逆に騙して、捕まえて襟巻きにしたそうですわね」
近江商人、恐るべし。
P46
揚げものは山行きには御法度らしいが、持参すると良いものもある。
「ニンニクだな。生ニンニクを一つポケットに入れておくんだ。そうすっとよ、変なもんは寄ってこねえのよ」
P81
あの時起こったことはこうだ。列の最後尾を歩いている人のリュックを何者かがぐっと掴んだのである。そんな時は絶対に振り向いてはならない。そして大声を出しても騒いでもいけない。静かに少し待つのである。そうすれば、かならずその何者かは去っていくらしい。
「山になれていない人ならパニックを起こすでしょうねえ。それが滑落事故なんかに繋がるんじゃないでしょうか」
天川村洞川地区の話。
P195
艶子さんの娘さんは、子供の頃に近所の人が急にいなくなったのを覚えていた。
(中略)
「あれは狐、狸にいらわれたんやろね」
艶子さんが言う“いらわれる”とは、触るの意味である。
(私なら、“いらわれる”とは、“もてあそぶ”の意味も追加する。著者は関西の方ではないので微妙なニュアンスが分からない…これはしかたないことだ)
P248
実はありふれた存在だった妖怪は、今や絶滅危惧種なのだ。それが未だに多く存在し得るのが山である。
【ネット上の紹介】
山で働き暮らす人々が実際に遭遇した奇妙な体験。現代版遠野物語。
1 阿仁マタギの山(狐火があふれる地
なぜか全裸で
楽しい夜店
生臭いものが好き
狐の復讐
見える人と見えない人
狸は音だけで満足する
消えた青い池
人魂、狐火、勝新太郎
親友の気配
辿り着かない道
蛇と山の不思議な関係
汚れた御札
マタギの臨死体験
叫ぶ者
白銀の怪物)
2 異界への扉(狐と神隠し
不死身の白鹿
来たのは誰だ
もう一人いる
道の向こうに
響き渡る絶叫
僕はここにいる
謎の山盛りご飯
山塊に蠢くもの
鶴岡市朝日地区
出羽三山
鷹匠の体験
奈良県山中・吉野町
ツチノコは跳び跳ねる
足の無い人
巨大すぎる狐火
山から出られない
行者の忠告)
3 タマシイとの邂逅(帰らない人
死者の微笑み
迎えに来る者
ナビの策略
椎葉村にて
テントの周りには
幻の白い山
なぜか左右が逆になる
不気味な訪問者
天川村の事件
帰ってくる人
固まる爺婆
お寺とタマシイ
飛ぶ女
帰ってくる大蛇
呼ぶ人、来る人
狐憑き
真夜中の石臼
狐火になった男)
「残酷な王と悲しみの王妃」(2)中野京子
美術絵画に詳しい方は多い。
歴史に詳しい方も多い。
しかし、両者とも詳しくて、文章力、表現力がある方は少ない。
当時の状況とそこで生きた人びとが生き生きと再現される。
ルートヴィッヒを生んだヴィッテルスバッハ家について
P11
今で言うなら、力はあるのにコングロマリット化せず、格式ある暖簾を守り続けた老舗、といったところ。大きすぎれば政治的ストレスに押し潰され、小さすぎれば生き残りが大変なので、君主としてはこのくらいの規模が一番気楽なのかもしれない。(分かりやすい表現だ)
エリザベートとルートヴィッヒについて
P17
どちらも途轍もない浪費家だった。貧民を顧みない散財に腹立たしさを覚える者も少なくなかろうが、歴史の面白みというべきか、結果的にふたりは浪費額以上に国を潤した。今に至る彼らの世界的人気が、ウィーンやミュンヘンにどれほど観光客を運んでいるかを考えれば明らかであろう。
父が暗殺され、アレクサンドル三世が皇位継承する(妃はマリア)
P100-101
また暗殺者の中にユダヤ人がいたことから、キエフなどの南部で大々的なポグロム(ユダヤ人に対する集団迫害行為)が起こっても放置した。ちなみにこの時のポグロムを背景にしたのが、ミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』である。
『カルロス4世の家族(スペイン語版)』(1800-1801年、プラド美術館所属)
P173
およそ半世紀後の作家ゴーティエは、「富籤にあたったパン屋の一家のようだ」と表現している。
ちなみに、前列左から2人目で目立っているのが、後のフェルナンド七世である。
P158-159
かつてこの王の妃は母親宛の手紙にこう書いていた、「鈍感で、何もせず、嘘つきで、卑しくて、腹黒く、(中略)読まず、書かず、考えず、要するに無です」。
【ネット上の紹介】
彼らには許されなかった。平穏な日々も、愛も、死も…。人気シリーズ『怖い絵』『名画の謎』の著者が、ルートヴィヒ二世ほか、王族たちの壮絶な人生を辿る好評歴史読み物第2弾。図版多数掲載!
第1章 ルートヴィヒ二世
第2章 アレクサンドル三世妃マリア
第3章 カルロス四世
第4章 カロリーネ・マティルデ