百醜千拙草

何とかやっています

急がば回れ

2008-04-08 | 研究
3/28日号のScience誌のEditorialで、新しくChief Editorとなった生化学者、Bruce Albertsが「Shortcuts to Medical Progress?」というタイトルで、最近のTranslational Research偏重傾向を批判しています。「私たちは二点間の最短距離は直線であると教えられてきたが、医学研究の進歩においては、これが正しくないことは繰り返し示されていている」と書き出し、その理由については、生物についてわかっていることが余りに限られているからであると述べています。多くの科学政策に携わっている当事者が、科学研究の成果を臨床応用していく上で必要な知識が多く欠如していることを理解していない(ように見える)とあります。(応用研究ではなく)基礎研究が臨床応用につながる科学発見の牽引力であると述べ、例として最近ノーベル賞となったRNAiが線虫の研究で発見され、現在その技術を使った医薬品の開発が多くのバイオテク、製薬会社で進行中であることをあげています。このことは、昨年亡くなったノーベル賞科学者のアーサーコーンバーグも繰り返し述べており、基礎研究こそが医学の進歩に最も貢献してきているという歴史上の事実を指摘してます。企業などでは多くの分野で精力的に応用研究やtranslational researchが遂行されているが、基礎研究に金を出せるのは政府やごく限られた財団のみであることを指摘し、臨床的に有用な技術、発見を促進するには、公的研究資金は、臨床応用研究ではなく、基礎研究に投資すべきであるということを、広く一般に理解してもらう必要があると結論しています。
私にとっては、この当たり前の事実を、一般の人はともかく、どうして科学政策を決定する人々が軽視するのかわかりかねます。基礎研究の重要性という歴史的事実を単に知らないのか、あるいは知っているが一般国民の臨床応用への強い希望があるので、それにしたがって政策を決めているのか、いずれにせよ、より良い科学政策を施行するという観点からは、賢くないです。前回のムネオカさんの研究のように、長年基礎研究の観点で研究してきたテーマから臨床応用の可能性が出てきて、応用研究へと発展していくならともかく、政府が基礎研究に回す資金を削ってまでtranslational researchに金を回すのは本末転倒も甚だしいと私は思います。アメリカNIHは、国民の健康増進を最終目標に研究資金を供給する機関ですから、人の健康や病気と絡んだ議論が必要なのはわかります。資金が乏しくなってきている現在、だからといって、人の健康や病気に直接関係した研究を優先しようとするのは、最終的には、国民の健康増進という目的の達成には、全く逆効果であることを関係者はあらためて認識すべきであると思います。日本においては、もう一層の困難があると思います。科学政策に携わる政治家官僚が、科学について無知であるというだけでなく、更にアメリカのマネをしておればよいだろうという無責任主義があるからです。失敗しても、お手本のアメリカが失敗したのだからしょうがなかったと責任転嫁をするわけです。そのアメリカがこうして失敗を重ねているのを見ながらも、同じ失敗を重ねて行ってしかも反省する所がないのですから、救いようがないです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする