フランス南西部の Sarpourenx村では、墓地が一杯になってしまったので、Lalanne村長が260名の住民に対し、緊急通告を出したというひと月ぐらい前のニュースを知りました。墓地に土地を持っていない者で、Sarpourenxに埋葬されたいと考えている者は、村内での死亡を禁止するという通告です。違反者は厳罰に処すとのことです。冗談だろうと思いましたが、いい線いってます。あるいは、これは半分真面目な通達であって、墓地のない人が死ぬと本当に処分に困るのかも知れません。死ぬ前にどこかに墓地を確保しろという住民への通知なのでしょう。違反してうっかり死んでしまった場合の厳罰というのがどういうものなのか想像するのが難しいです。死んでしまったものは地上の罰など何も怖くないでしょうし。罰金をとるのが市としてはベストでしょうが、罰金をとったところで死体の始末にはやはり困るはずです。その辺に遺棄するわけにもいかないでしょうし、生ゴミ扱いにするしかない様な気もしますが、しかし生ゴミとして死体を処理することが許されるのかという問題もあると思います。ドイツかどこかの解剖学者で、中国で死体を手に入れて、組織を樹脂で固めた人間の解剖標本を作り、各国で展示会をして回っている人がいましたが、そういった人に死体を引き取ってもらって、使ってもらうというのが良いかも知れません。
私は死んでも墓に入りたいとも葬儀をしてもらいたいとも思いません。抜け殻となってしまえば、標本でも生ゴミでも有機肥料でも何らかの役に立つ死体になれば幸いであると思います。大輪寺東京別院の住職のブログを折々見ていますが、そこに書いているように、「死んで魂までもが墓に居れば、地獄界に居ることになる」のだと思います。死んで肉体が滅びれば、あの世にいくべきであって、墓地などをうろうろしていてはいけません。墓は単なる記念碑に過ぎないのですから。死んだら天国へ行くのが本当であって、墓や生前の住処にしがみついていたら魂は不幸になるだけなのです。
フランスの村長の「死亡禁止令」の通達、そのおおらかさが私は大好きです。「死」というものを毎日の生活の一部のように扱っているところがいいです。死んでも魂は不滅であると多くの人が考えていると思いますが、死というこの世での生活の終わりを迎えても、切れ目なく魂は生き続け、「ああ、墓地もないのにうっかり死んじゃったよ」と死者がため息をついている絵が頭に浮かびます。
私は死んでも墓に入りたいとも葬儀をしてもらいたいとも思いません。抜け殻となってしまえば、標本でも生ゴミでも有機肥料でも何らかの役に立つ死体になれば幸いであると思います。大輪寺東京別院の住職のブログを折々見ていますが、そこに書いているように、「死んで魂までもが墓に居れば、地獄界に居ることになる」のだと思います。死んで肉体が滅びれば、あの世にいくべきであって、墓地などをうろうろしていてはいけません。墓は単なる記念碑に過ぎないのですから。死んだら天国へ行くのが本当であって、墓や生前の住処にしがみついていたら魂は不幸になるだけなのです。
フランスの村長の「死亡禁止令」の通達、そのおおらかさが私は大好きです。「死」というものを毎日の生活の一部のように扱っているところがいいです。死んでも魂は不滅であると多くの人が考えていると思いますが、死というこの世での生活の終わりを迎えても、切れ目なく魂は生き続け、「ああ、墓地もないのにうっかり死んじゃったよ」と死者がため息をついている絵が頭に浮かびます。