百醜千拙草

何とかやっています

卵の側に立つ(2)

2009-03-06 | Weblog
聖マリアンナ医大で科研費を業者にプールしたことを、不正使用とされて学長の解任となった事件を知りました。メディアも「不正使用」という言葉を連発していますが、なんだかなあ、と思います。日本でいう「不正」という言葉には、どんなレベルでも、例えば、道徳のレベルでも、悪いこと、というような絶対悪的含意があると思います。不正、不正と言われると、今回、槍玉にあがった研究者の人たちがまるで、数代前の首相なみの悪人にように聞こえます。確かに、余った科研費を業者にプールすることは、余った研究費は返すこととする規範に反するという点で、正しくないのは間違いないです。しかし、これを皆がする(してきた)のは、その規則が、はっきり言って「悪法」であるからです。悪法でも法である以上、それを破っては法治国家としての建前が立たない、そういう理由でソクラテスは毒杯をあえて口にしました。しかし、破ったり、悪用したりするために法律はあるとしか考えていないような政治家や官僚を戴くこの国が、研究者が研究のためにやむなくコッソリと犯している規則違反をそんなに叩いて何の益があるのか、と思わざるを得ません。研究費が余りそうな場合に国に返すことを考えている大学などどこにもありません。年度末で余りそうになったら事務から電話がかかって来て、「使いきってくれないと困ります」と苦情がくるわけで、それであわてて必要も無いものを買って、無駄遣いするのです。そんな無駄遣いをするぐらいなら、将来ももらえるかどうか分らない研究費なのですから、業者にプールして、将来困った時に備えよう、と思うのは、自分の研究を第一に考える研究者としては当然の考えでしょう。家計をやりくりする主婦が、万が一、収入が途絶えた時に備えて、貯蓄をするのと同じ考えと思います。一方、国の方は余っている金は返しなさい、というわけですが、上述のように、大学事務は国に返すぐらいなら、無駄遣いする方がまし、と思っているわけで、文部省と大学事務という二つの官僚構造の間にそもそも、研究費の使用についての喰い違いがあることが問題だと思います。研究者に限らず、誰でも、一旦、もらったお金を返すのは嫌です。とくに研究など先の見えないものですから、いつ急に金が必要になるか、わかりません。せっかくの機会に遭遇したのに、金が無くて、みすみす、指をくわえて実験をあきらめないといけないのは悔しいものです。
 村上春樹の喩えではないですが、この官僚主義的規則を振りかざして、アカデミアの自由な研究の発展を阻むものが「壁」であるならば、自らの壊れ易い研究を守ろうとする研究者は「卵」です。仮に卵が規則の上で、間違っていたとしても、卵の側に立たないと、アカデミアの研究は益々逼塞していくでしょう。こういう時に、誰か発言力のある人で、文部省を怒らせることが怖くない人が、「研究の発展のために心を砕いている研究者を、こんな下らない規則で縛ろうとする方が間違っている」とでも言ってくれませんでしょうか。学長解任を決めた大学理事長は、「公的研究費という税金をずさんな管理をしていて申し訳ない」と謝罪したそうです。立場を考えれば、何らかの謝罪の言葉を口にせざるを得ないのは分かります。しかし、税金のずさんな管理、云々という言い訳は、いただけません。ずさんどころか、むしろ、研究費を無駄遣いしないように、研究の足しになるようにと、昔なら誰でもやっていたことをやって、下らない規則に反したというだけのことです。理事長も、槍玉に上がった学長その他を切って問題を小さく収めようとするのではなく、きっちり調査した上で、「研究費をより有効に使用しようとした結果、時代遅れの下らない規則に反してしまった」とでも弁明してもらいたいと思います。ついでに、「研究でノーベル賞ものの大発見をするのと下らない規則を守らせるのとどっちが大事ですか!」とでも一喝してもらえたら、愉快なのですけど。そういうことをすると、弱いものの揚げ足をとることしか考えていない日本のマスコミの餌食でしょうが。
 本来、大学では、普通の社会の人がやれないことを存分に研究し、それを教育を通じて伝えていくという特別な場所であったはずです。また、そうでなければ研究の発展など期待できません。それが、今や大学は教育ビジネスと成り下がり、二言目には、税金を使って研究しているから社会に還元しろ、と騒ぎ立て、社会は大学人の自由な活動を制限しようとばかりしているように見えます。研究という投資活動の性質を一般の人がよく理解できないのはしかたないのですが、それを守るべき立場の人間でさえ、「税金を使った研究だから」という枕詞を平気で使うようになっています。税金を使おうと使うまいと、良い研究は良いし悪いものは悪いし、国民への還元を考えても考えなくても、還元されるような研究はでるときには出るし、出ないときには出ないのです。優れた研究者が細かい金の心配をしないで、研究に打ち込めるような環境を作って、自由にやらせることが国民にとって、もっとも役に立つ研究成果を得る最良の方法でありますし、大学での研究に最大限の自由を保証することが、国の本来の役割であると思います。(国がやっていることは全く逆ですね)さもなくば、まもなく、日本からまともな大学はなくなり、優れた人材は皆、海外へ流出してしまうでしょう。

民主党、小沢一郎の公設秘書の献金疑惑での逮捕、自民党が特捜にやらせたのでしょうが、ひどいものです。小沢氏、毅然として疑惑を否定しましたが、当然です。そもそも西松建設からの迂回献金を受け取っていた多くは自民党議員で、その総額も民主党の二倍近くあるわけですから、なぜ今このタイミングで、小沢氏なのか、鳩山幹事長が言う通り、余りにあからさまな自民党がらみの小細工であるのが丸見えで、鼻白んでしまいます。国民も既に、アホウがトップにしがみつく死に体の自民党には愛想をつかしているでしょう。それに加えて、今回のような見苦しいやり方、逆効果と思います。(私の知る限り、今回の事件を自民党の陰謀による国策捜査であると読まなかった人は一人もいません。)しかし、自民党(というか、小泉竹中政権時に売国政策で散々おいしい思いをした連中)はもうなりふり構っていられないのでしょう。少なくとも、小沢氏は自民党議員と比べたら、はるかに金銭にクリーンな人ですから、間もなく首相となった時に行われるであろう、汚職システムの一掃に、小泉竹中を使って売国政策を押し進めた連中は戦々恐々としているはずです。
 この事件と上の科研費不正使用事件、多少の共通点があると思います。科研費を業者にプールすることなど、以前は誰でもやっていたことだし、迂回献金など自民党の得意芸です。そういう構造的な違法があること自体、法の方に問題があるわけです。現実には殆ど全員が規則違反しているのにもかかわらず、一部の人だけを槍玉に上げて非難するのは、法治国家がやってはいけないことである、と私は言いたいのです。ネズミとりをするなら、違反者全員を捕まえる気持ちでやって欲しい、違法駐車をレッカー移動させるのなら、移動させやすい車ではなく、本当に邪魔になっている車を移動させて貰いたい、わけです。一部の人だけを槍玉にあげて、見せしめに使うようなセコいまねを国がするから、国民もセコくそれを逃れようとするのだと思います。
三権独立のはずなのに、司法に手を回して、ライバル党党首の事務所をガサ入れし、それを、癒着新聞社などのメディアを使って、騒ぎ立てる「卑怯者のチンピラ」が政権を握っている日本の現況は、日本人として恥ずかしい限りです。また多くのこの事件を扱った新聞の社説のレベルの低さにあきれました。いまどき、こんな小学生なみの作文を読んで、なるほどと思ってくれるような読者がいるのでしょうか。これでは、誰も新聞を読まなくなるのも不思議ではないです。いくら、洗脳記事だからといっても、もう少し書きようがあるだろうと思います。
 小沢氏の今回の事件は、もう一つの冤罪事件、田中角栄のロッキード事件を思い出させます。今回は、次期首相の可能性が極めて高い野党党首への選挙前の失脚をねらったという点で、むしろロッキードよりもタチが悪いかもしれません。日本はこの30年間、政治的に何の進歩もないどころか、悪くなる一方でした。今回のような自民党のセコい陰謀(陰謀と言うには余りに露骨ですが)で、日本が成長できるチャンスを潰してしまうようなことにでもなれば、私は本当に日本の政治に未来はないと思います。
(と、書きましたが、私は今回の事件は楽観視しています。国民は、自民党を見限っていますし、それにかわって日本を立て直してくれるのは、現時点では小沢一郎しかいないことを十分理解していると思います。結局、マスコミは騒ぐだけ騒いで、検察は立件できるだけの証拠が揃えられずに、振り上げた拳の行き場に困ることになります。そして、特捜の担当者はどこかに移動にでもなって、尻すぼみに事件は収束し、自民党に対する後味の悪さだけが残ることになります。そして秋には大差で民主党政権となり、小沢内閣がかなりの高支持率で発足する、というよう進むであろうと予測しています。)
コメント
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