百醜千拙草

何とかやっています

世間じゃない、あなたでしょう?

2009-03-13 | Weblog
日本が警察国家で、経済界、政界、官僚の一部の利権者がつるんで、恐怖政治を行おうとしている傾向を感じるという話を前回しました。柳田先生のブログでも同様の意見が述べられているのを読みました。それで、もう少し「国」というものについて、(以前も「国家の品格」に関してちょっと同じようなことを書いたと思いますが)思うところを書きたいと思います。

以前、ロシアからアメリカへ移住した人と話をしていたとき、「自分はアメリカという国に大変、感謝している」と言ったのを聞いて、ちょっとびっくりしたことがあります。アメリカで暮らす外国人がアメリカのことを良く言うのを聞いたことが余りなかったからです。アメリカが移民を受入れているのは、もちろん移民が国益につながるからです。アメリカの社会は、最初に移住してきた人が、後から移住してくる人を利用する、ねずみ講のようなシステムによって成り立っています。それでも、アメリカに移住してくる人がいるということは、自分の国にいるよりはましだからです。このロシア人の場合も、アメリカに感謝するというのは、つまり、この人がロシアでは満足な職がなく、食べていくことも困難であったのに、アメリカが自分を受入れてくれて、よりよい生活を送る機会を与えたくれたから、という理由でした。私は、感謝の気持ちを持つことは(持たないよりは)はるかに精神衛生上、素晴らしいことであると思いますが、この人が感謝している「アメリカ」とは、そもそも一体なんであるのか、と疑問に思いました。世界の他の国を侵略し、日本の経済をコントロールし、その名の下に数多くのアメリカ人も含む世界の人々を殺し続けて来た「アメリカ」と、このロシア人に、より良い暮らしの機会を与えてくれた「アメリカ」はどういう関係なのでしょうか。
 昔、「人類は皆兄弟」という意識に目覚めず、お互いに侵略し、殺し合っていた時代は、「国家」というメタ共同体概念は有効なものであったであろうと容易に想像できます。第二次大戦でも「お国」のために、片道分の燃料と爆弾だけを積んで、敵艦に向かってつっこんでいった若者も多くいました。その「お国」とは何だったのか、天皇陛下を象徴に使ったその実体とは何だったのか、「日の丸」とか「君が代」とか「日本!チャチャチャ」とかの裏にあるものとは何なのか。私は一種の宗教心であろうと思います。宗教がしばしば、犯罪や洗脳に使われるのと同様、愛国心は色々な目的で利用され、ヒューマニズムを侵害してきました。カトリックの家に生まれたからカトリックとなり、真言宗の家に生まれたので寺で法事をするのと同様に、多くの国民は「日本人」であることを当然とし、日本人が世界で活躍することを喜び、オリンピックで日本人がとったメダルの数を気にします。しかし、私にとっては、オリンピックでメダルをとった日本人もノーベル賞をとった日本人も、都会の雑踏ですれ違う人と同じ、知らない他人です。
 「日本人は、日本という国が持っている社会システムの中で育ち、教育を受け、食べさせてもらって来たのだから、日本という国に感謝しなければならない」とか言う人が必ずいます。私は「感謝する」ことは大切だと思いますが、「日本という国」に感謝をするのはむしろ、良くないことであると思います。それはまるで、仏像を拝むようなものです。挑発的に言うと、錦旗を守るのに命をかけたり、天皇陛下万歳と叫んで自爆テロを行うと同様です。日本の社会のシステムを利用して育ったのはその通りです。しかし、それは「日本」という実体不明のものが、育ててくれたのではなく、自分の父母や、近所の人や、故郷の土地や、そんな具体的な様々のものの中の関わり合いの中で、私が育ったということで、私の感謝の対象の中には、それらが仮に日本の領土内での出来事であったとしても、少なくとも「日本」という実体不明のものは含まれません。日本の社会の有り様に関しては、事実、感謝するどころか、恨みに思っていることも多いのです。

太宰治の「人間失格」の中で、主人公が心の中で言います。

それは世間が、ゆるさない。
世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?
そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ。
世間じゃない。あなたでしょう?

この文脈で、「世間」が「日本」であるとしたら、「あなた」とは誰に当たるでしょうか、私は、Nationalist であろうがPatriotであろうが、「愛国心」を振り回す人を見ると、常に「日本」という実体不明の言葉の裏にある具体的なものの存在に気を回してしまいます。
かつて、戦争のため、国民の洗脳に「お国」や「天皇陛下」が使われましたが、今も変わっていません。「国家」という概念は、国民をワクにはめ、コントロールするために使われています。それ以外には無用なものです。まして、権力側でもない一般国民にとっては、「国家」など「いわしの頭」です。でも、そこに信心がつくととても危険なものに変わり得ます。その裏にある実体は、規制緩和という名の元に国民を搾取し、郵政民営化と名のもとに国民の富を外国に横流しして、日本を世界最大の借金国にした連中であり、また、自らの存在意義を権力闘争の中に求めるような者です。
 んー、暗い話になりそうなので、もう止めておきます。
コメント
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