どうして締め切りというものがあるのでしょう?私は仕事が重なるとパニックになるので、できないことは引き受けない、いつも余裕をもってスケジュールを組む、ことを心がけています。それで、やると決めた仕事がいつ頃、終わるか予想しながら、計画を組むのですが、どういうわけか、大抵、締め切りぎりぎりになります。ならない時は締め切りより1ヶ月も前に終わってしまって、時間を持て余したりします。引き受けた時、締め切りはあんなに遠くに霞んで見えるのに、気がつくと顕微鏡で覘いたような圧迫感で、明日に来ています。締め切りの姿が見えない間の研究活動は波間に漂うかのような自由さがあっていいのですが、突如現れる締め切りの間際には、とりわけ、色々な他の事まで重なるようで、妙に忙しくなって、全てに不完全燃焼感が残ったりします。それが丁度、今日のことです。それで、このようなタイトルにしたのですが、考えてみたら、それでもこんな駄文を書いている閑があるのだから、やはり、忙中閑あり、ですかね。
二三、覚え書き。
Natureの前EditorのSir John Maddox氏死去。ワトソン、クリック、ウィルキンス、フランクリンのDNA構造についての1953年の一連の論文をレビューなしで掲載した時のEditorが彼でした。論文が真にオリジナルな場合にピアレビューはしばしば障害となると考えていたそうです。その通りですけど、それには、卓越した論文の価値を専門家以上に見抜く眼力が必要ですね。誰にでもできることではありません。
話し方についての本で読んだ、姿勢を良くするこつ。首のうしろがいつも襟についているようにする。これは、効果あります。なぜ、シャツには襟があるのか納得しました。
追記:John Maddox氏が、ワトソン、クリックの論文投稿時のEditorであるというのは間違いでした。当時のNatureはピアレビューというものがそもそもなく、誰かの推薦によって採用されていたということを、当のNatureのMaddox氏追悼号で読みました。Maddox氏がNatureのEditorに初めてなったのが1966年で、彼はピアレビューのシステムをむしろ定着させたとあります。彼がEditorを引き受けた時のNatureは発行部数も少ない弱小雑誌だったようで、現在のNatureの最高峰の科学雑誌としての権威の確立に彼が寄与したということだそうです。
二三、覚え書き。
Natureの前EditorのSir John Maddox氏死去。ワトソン、クリック、ウィルキンス、フランクリンのDNA構造についての1953年の一連の論文をレビューなしで掲載した時のEditorが彼でした。論文が真にオリジナルな場合にピアレビューはしばしば障害となると考えていたそうです。その通りですけど、それには、卓越した論文の価値を専門家以上に見抜く眼力が必要ですね。誰にでもできることではありません。
話し方についての本で読んだ、姿勢を良くするこつ。首のうしろがいつも襟についているようにする。これは、効果あります。なぜ、シャツには襟があるのか納得しました。
追記:John Maddox氏が、ワトソン、クリックの論文投稿時のEditorであるというのは間違いでした。当時のNatureはピアレビューというものがそもそもなく、誰かの推薦によって採用されていたということを、当のNatureのMaddox氏追悼号で読みました。Maddox氏がNatureのEditorに初めてなったのが1966年で、彼はピアレビューのシステムをむしろ定着させたとあります。彼がEditorを引き受けた時のNatureは発行部数も少ない弱小雑誌だったようで、現在のNatureの最高峰の科学雑誌としての権威の確立に彼が寄与したということだそうです。