アイスランドのゲノム情報会社、deCODEが破産申請とのこと。資産70億に対し、負債がその約5倍らしいです。10年ほど前、deCODEが華々しくデビューしたころのことを覚えています。以来、ゲノム遺伝学において数々の業績を一流雑誌に発表してきましたが、ビジネスとしては収益を上げることに失敗しました。
島国、アイスランドは遺伝的に比較的均一な人々が住んでおり、疾患と遺伝子型相関をゲノムレベルで調べるヒト遺伝学(Genome-wide association study; GWAS)を行うにはうってつけの対象に恵まれています。そこから住人の大量の遺伝型データ、疾患データを蓄積し、糖尿病や高血圧などの汎在疾患の遺伝的基礎を明らかにすることで、治療法を開発していこう、というアイデアで出発しました。結局、治療法としての開発はゼロ、情報サービスとしての製品は10余りという結果でした。治療法の開発がゼロというのは、決して会社が怠慢であったとかそういうのではなく(事実、高インパクトの論文を百以上も出しているのです)、ゲノム情報と治療との間を橋渡しするのはそう簡単ではないという経験的事実に即しているだけのことだと思います。医学の進歩がどのようになされてきたかを振り返れば、deCODEのように、アイデアは良いが成功の見込みが読めないプロジェクトをビジネスとして展開していこうとすることに無理があるのです。グラント申請と同じで、アイデアよりもデータ、理論よりも現物がものを言います。そして、ビジネスである以上、顧客と商品を具体的に押え、そのマーケットを前もって読む必要がありますが、deCODEは理念先行型で、その辺の末端のビジョンがあいまいなまま見切り発車したことが、今回の破綻につながったと思われます。
最近では、個人のゲノム解読サービス、deCODEmeを提供していたそうですが、これは既に、末期的症状であったといわざるを得ません。同じような個人ゲノム解読サービスを提供するカリフォルニアの会社、23andMeも数年前の鼻息の荒さはもうなく、人員整理を繰り返しています。結局、経済が沈滞すると、直接何かに役に立たない情報に金を払う人は減ってくるということです。事実、このような個人ゲノム解読サービスを指して、「recreational genomics (娯楽ゲノム学)」と呼ぶ人もあり、こういうサービスはいわば贅沢品なわけで、経済状況が悪くなれば真っ先に打撃を受ける分野であるのは納得できます。マーケットのニーズが減っているのに、deCODEは他に直接収益に繋がるサービスを提供することができないという理由でdeCODEmeを始めたということで、こういう苦しまぎれのビジネス展開を行うこと自体、既に負け戦であるのを示しています。
しかし、学問的には、deCODEのデータはヒト遺伝学上、極めて貴重なものです。現在、直接ビジネスのネタとして収益につながらなくても、将来的にそのデータが多くの面で大変役立つであろうということは、容易に想像がつきます。もし、deCODEの破産後、そのデータが霧散してしまうようなことになれば、世界にとって多大な損失であることは間違いありません。それで、イギリスのWellcome Trustが手を差し伸べて、資金援助をしようとしたらしいのですけど、結局、アイスランド市民の個人的情報が深く含まれたデータであることから、外国の会社が、deCODEプロジェクトに係わることが法的にできないという事情があるそうです。
学問とビジネスというのは大抵、両立しないと思います。deCODEはきっとそのアイデアの美しさのために関係者が、ビジネスプロジェクトとしての現実を直視することを軽んじたのではないでしょうか。学問的には大成功と言ってもよいdeCODEでしたが、ビジネスとしては失敗しました。
deCODEの歴史を振り返って、日本の研究現場を思い浮かべました。現在、日本の大学研究界では、例の事業仕分けで悪化するであろう研究環境に危機感を表している関係者が多くおります。私は事業仕分けという茶番は利よりも害の方がはるかに大きいと思っておりますが、一方、これは、税金によって支援されている多くの研究活動は国の経済状況に依存しているということを研究者にあらためて示したという点で多少の意味はあったのではないかと思います。今の日本の大学研究現場は、基本的にはビジネスではありませんけど、どこからか資金を得ないと研究活動がなりたたないのは同じです。昨今の厳しい経済状況をみると、そのうち多くの大学が破産申請して、活動停止になってもおかしくないという気分になってきます。そんな時に研究者ができることは大してありません。金がないのなら直接、金を生み出さない研究をしばらく休むのもやむを得ないと私は思います。私はビジネスに繋げるつもりで大学で研究すべきではないと思っておりますし、研究はそもそも、金にならないものだと思っています。だからこそ、苦しいときは研究者自ら身を屈めて、出来る範囲の中で、研究を継続する努力をするべきだと思っております。しかし、無理をしてまでやるようなものではありません。研究資金が切られれば、それで支援されているポスドクや研究者の生活に直接影響が及び、研究界やそれに属する人が多大な損失を被るというのはその通りだと思います。でもビジネスなら失敗すれば店を畳んで夜逃げするのは普通のことです。それはハーバードのビジネススクールを出てMBAを持っていようと経営学者であろうと無関係です。研究者も国の財政事情の悪化で研究費が得られなくなったら、それに応じて対応策を練るしか仕様がない、私はそのように思っています。
deCODEのこれまでの仕事とデータは貴重なものです。しかし、それはダイヤモンドが貴重なのと同じで、空腹の時には、それよりも一片のパンの方がもっと貴重です。アイスランドや世界の景気が良くて人々の日常の生活が充足していた時には、deCODEの活動に資金提供しようとする人はいくらでもいたでしょう。しかし、今の社会状況では、直接役に立たないゲノム遺伝学研究は、無くてもよい贅沢品とみなさざるを得ないということなのでしょう。
島国、アイスランドは遺伝的に比較的均一な人々が住んでおり、疾患と遺伝子型相関をゲノムレベルで調べるヒト遺伝学(Genome-wide association study; GWAS)を行うにはうってつけの対象に恵まれています。そこから住人の大量の遺伝型データ、疾患データを蓄積し、糖尿病や高血圧などの汎在疾患の遺伝的基礎を明らかにすることで、治療法を開発していこう、というアイデアで出発しました。結局、治療法としての開発はゼロ、情報サービスとしての製品は10余りという結果でした。治療法の開発がゼロというのは、決して会社が怠慢であったとかそういうのではなく(事実、高インパクトの論文を百以上も出しているのです)、ゲノム情報と治療との間を橋渡しするのはそう簡単ではないという経験的事実に即しているだけのことだと思います。医学の進歩がどのようになされてきたかを振り返れば、deCODEのように、アイデアは良いが成功の見込みが読めないプロジェクトをビジネスとして展開していこうとすることに無理があるのです。グラント申請と同じで、アイデアよりもデータ、理論よりも現物がものを言います。そして、ビジネスである以上、顧客と商品を具体的に押え、そのマーケットを前もって読む必要がありますが、deCODEは理念先行型で、その辺の末端のビジョンがあいまいなまま見切り発車したことが、今回の破綻につながったと思われます。
最近では、個人のゲノム解読サービス、deCODEmeを提供していたそうですが、これは既に、末期的症状であったといわざるを得ません。同じような個人ゲノム解読サービスを提供するカリフォルニアの会社、23andMeも数年前の鼻息の荒さはもうなく、人員整理を繰り返しています。結局、経済が沈滞すると、直接何かに役に立たない情報に金を払う人は減ってくるということです。事実、このような個人ゲノム解読サービスを指して、「recreational genomics (娯楽ゲノム学)」と呼ぶ人もあり、こういうサービスはいわば贅沢品なわけで、経済状況が悪くなれば真っ先に打撃を受ける分野であるのは納得できます。マーケットのニーズが減っているのに、deCODEは他に直接収益に繋がるサービスを提供することができないという理由でdeCODEmeを始めたということで、こういう苦しまぎれのビジネス展開を行うこと自体、既に負け戦であるのを示しています。
しかし、学問的には、deCODEのデータはヒト遺伝学上、極めて貴重なものです。現在、直接ビジネスのネタとして収益につながらなくても、将来的にそのデータが多くの面で大変役立つであろうということは、容易に想像がつきます。もし、deCODEの破産後、そのデータが霧散してしまうようなことになれば、世界にとって多大な損失であることは間違いありません。それで、イギリスのWellcome Trustが手を差し伸べて、資金援助をしようとしたらしいのですけど、結局、アイスランド市民の個人的情報が深く含まれたデータであることから、外国の会社が、deCODEプロジェクトに係わることが法的にできないという事情があるそうです。
学問とビジネスというのは大抵、両立しないと思います。deCODEはきっとそのアイデアの美しさのために関係者が、ビジネスプロジェクトとしての現実を直視することを軽んじたのではないでしょうか。学問的には大成功と言ってもよいdeCODEでしたが、ビジネスとしては失敗しました。
deCODEの歴史を振り返って、日本の研究現場を思い浮かべました。現在、日本の大学研究界では、例の事業仕分けで悪化するであろう研究環境に危機感を表している関係者が多くおります。私は事業仕分けという茶番は利よりも害の方がはるかに大きいと思っておりますが、一方、これは、税金によって支援されている多くの研究活動は国の経済状況に依存しているということを研究者にあらためて示したという点で多少の意味はあったのではないかと思います。今の日本の大学研究現場は、基本的にはビジネスではありませんけど、どこからか資金を得ないと研究活動がなりたたないのは同じです。昨今の厳しい経済状況をみると、そのうち多くの大学が破産申請して、活動停止になってもおかしくないという気分になってきます。そんな時に研究者ができることは大してありません。金がないのなら直接、金を生み出さない研究をしばらく休むのもやむを得ないと私は思います。私はビジネスに繋げるつもりで大学で研究すべきではないと思っておりますし、研究はそもそも、金にならないものだと思っています。だからこそ、苦しいときは研究者自ら身を屈めて、出来る範囲の中で、研究を継続する努力をするべきだと思っております。しかし、無理をしてまでやるようなものではありません。研究資金が切られれば、それで支援されているポスドクや研究者の生活に直接影響が及び、研究界やそれに属する人が多大な損失を被るというのはその通りだと思います。でもビジネスなら失敗すれば店を畳んで夜逃げするのは普通のことです。それはハーバードのビジネススクールを出てMBAを持っていようと経営学者であろうと無関係です。研究者も国の財政事情の悪化で研究費が得られなくなったら、それに応じて対応策を練るしか仕様がない、私はそのように思っています。
deCODEのこれまでの仕事とデータは貴重なものです。しかし、それはダイヤモンドが貴重なのと同じで、空腹の時には、それよりも一片のパンの方がもっと貴重です。アイスランドや世界の景気が良くて人々の日常の生活が充足していた時には、deCODEの活動に資金提供しようとする人はいくらでもいたでしょう。しかし、今の社会状況では、直接役に立たないゲノム遺伝学研究は、無くてもよい贅沢品とみなさざるを得ないということなのでしょう。