百醜千拙草

何とかやっています

オクラホマの砂嵐

2009-12-25 | 研究
オクラホマといえば、ミュージカルでも知られる通りの中西南部の典型的「田舎」です。スタインベックの「怒りの葡萄」では、1930年代におきた耕作地の荒廃のため、オクラホマの農民が土地を捨ててカリフォルニアへ移動する際の困難が描かれています。これらの持たざるオクラホマ農民は貧乏な田舎者として「オーキー」と呼ばれ、蔑まれました。土地の荒廃は、機械化農業のための土壌の疲弊によるもので、結果、耕地は半砂漠化し、季節風によって巨大な砂嵐(Dust Storm; Dust bowl)を引き起こし、その砂嵐は遠く、東海岸にまで達したといいます。
12/11のScienceでは、そのオクラホマで「霊長類を用いた炭疽菌の研究が、大学の事務レベルで中止決定させられた」というしばらく前の事件が、とりあげられています。表題の「Rejection of Anthrax Study Kicks Up a Dust Storm in Oklahoma」は、おそらく、この「怒りの葡萄」の時代の土地の荒廃とそれに伴うオクラホマ農民の脱出をきたした、砂嵐、Dust Bowlに因んでいるのでしょう。オクラホマ農民がよりよい場所を求めてオクラホマを脱出したように、今回の研究者(Shinichiro Kurosawaという名前から想像して日本人であろうと思います)もオクラホマの大学を脱出して他州の研究施設へと研究を移そうとしてしています。
 オクラホマにはOklahoma Medical Research Foundation (OMRF) という田舎にしては立派な研究所があります。OMRFは大学ではないので、オクラホマ州立大学(OSU)などの周辺の施設と連携して研究を進めているようですが、Kurosawa氏はもとOMRFの研究員でした。現在、Boston Universityへと移っており、今回、サルを使って炭疽菌毒を研究する計画を、アメリカNIHに認められ、レベル3の動物施設をもつOSUで研究を施行することを計画したということのようです。
 アメリカNIHの研究費は、研究費支給の判断が下されても、Just-In-Timeと呼ばれる、研究施行準備の完了を証明する書類の提出をしなければ降りません。中でも動物実験のプロトコールの承認を得る手続きは最も面倒なものです。このKurosawa氏の場合は、NIHが研究計画を承認、OSUの動物実験委員会がその研究プロトコールを承認したにもかかわらず、OSUの学長のレベルで、「霊長類を死亡させる必要がある研究」であるということで、却下されました。これは、きわめて異常な自体であり、この事件は、研究界にかなりの反応を引き起こしました。即ち、国の研究費支給団体であるNIHも、施設の動物実験委員会も研究を承認したにもかかわらず、大学の事務レベルがそれを棄却したということは、研究者の立場から言えば、越権行為に近いものです。
 Kurosawa氏本人は、「大学の決定である以上、従うのが筋である」として、他の施設を探すとのコメントを出していますが、これは学問の自由に、本来、すべきでない政治的な干渉を加えたということで、私は憂うべきことであろうと思います。 この事務決定の一つの事情は、OSUに多額の寄付をしている人が動物愛護運動にかかわっているからであるという話も書かれています。普通、研究者がNIHから研究費をもらうと、その額の7割ほどの金が大学側にindirect costとして支払われます。例えば、5年で総額、一億二千万円ほどの通常サイズ研究プロジェクトですと、加えて8千万円ほどが大学に支払われることになります。こうして、所属研究者がグラントを獲得すると、大学も潤うというわけです。しかし、そのNIHからの収入が見込めるにもかかわらず、あえて、大学がその研究を却下したのは、その動物愛護活動家がその額の500倍ほどの金を最近、寄付したという事情があるのではないかと思われます。大学としても、NIHからの金よりも、その寄付者の気持ちを尊重する方が得だと思ったのかも知れません。あるいは単に、霊長類を使った動物実験で刺激することになるかもしれない過激動物愛護団体からの暴力的な攻撃の的になるのを嫌って、日和ったということなのかも知れません。
 OSUの内部の研究者は、今回のような事務レベルでの研究計画の拒絶は、将来の共同研究にかなりの悪影響を及ぼすであろう、と危惧を表明しています。大学は研究を守る場であり、学長はそのために尽力するのが筋です。この動物実験プロトコールは、動物実験に関しての倫理的問題を含む諸問題について、動物実験委員会が全国のガイドラインに沿って議論し、その結果、承認されたものです。「霊長類を殺すことを認めない」というアドホックなルールを動物実験承認プロセスが終了してから後出しにし、委員会での議論を無視して、事務レベルで一方的な研究不承認の決定は、議会制民主主義で法治国家たる国の大学にあるまじき態度であると思います。(アメリカでは、大統領の拒否権でさえ、2/3以上の議会の賛成によって覆さえるのですから)大学が学問の自由を守る場所である以上、大学関係者の委員会の決定を政治的意図で干渉することは、大学の精神そのものに対する冒涜であると私は思います。
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