百醜千拙草

何とかやっています

腐った検察、幇間マスコミ

2010-01-19 | Weblog
例の政治資金規正法違反疑いで、前回衆院選前に小沢氏の秘書が国策操作で狙い撃ちされたと同じ手口で、今回も東京地検特捜が小沢氏の資金管理団体の元事務担当者で現職議員を逮捕した事件、この特捜の行動に私は怒りを覚えると同時にその幼稚で身勝手で悪質なやりかたが本当に情けなく思います。
  仮に何らかの違反があったとしても前回同様の事務手続きの不備による形式犯、しかも5年も前の話で、担当者本人も捜査に協力しているのに、わざわざ国会前に、派手にマスコミに宣伝してから、ガサ入れの様子をテレビや新聞に流した上で、逮捕して身柄を拘束するとは、普通の常識のある人間からみれば、信じられない暴挙であります。これを見た一般人の多くで、小沢氏と民主党へのイメージダウンを狙った三文芝居と、却って特捜とその背後の連中に対する嫌悪感をあおられたのではないか思います。
 本来、守秘義務があるはずの取り調べの内容を、マスコミに意図的に流し、ゴミメディアはそれを無批判に垂れ流すという犯罪が国家権力を後ろ盾に堂々と行われています。しかも、そのリークの内容は前回の西松事件の時と同様、直接接見する弁護人でさえ知らない、でっちあげのウソ八百であったりします。これは検察の犯罪であると同時にマスコミの犯罪(違法行為)です。良識ある人は、これまでの検察の行動を散々と非難してきましたが、それを知ってか知らずか、彼らの陰湿な行動は全く治る気配がありません。
  マスメディアではない一般市民によるメディアのJANJANでの論調を拾ってみると、大体、7割ほどが検察とマスコミの行動に対する批判、のこり3割が「政治と金」という問題に対する批判といった感じです。先週の「ここに来て東京地検特捜部の全面敗北は決定的」という記事では、週刊朝日からの「小沢VS検察 最終戦争」という記事を引いて、特捜の嫌疑は言いがかりであること、検察は、とにかく、民主党の霞ヶ関解体で検察へ及ぶ影響を阻止するために、民主党の参院選過半数を何としてでも止めたい、という見え透いた自己保身的意図のもとに行動していること、そのためには、ガセネタのリークでも無根拠の逮捕でも、自ら法を犯すことを厭わない体質であること、をあらためて強調しています。その通りだろうと私も思います。
 検察は国家権力でこれまで守られてきたために、すっかり腐敗し、遵法のための機関であるというプライドを失い、自ら法を犯しても罰せられない特権者だとでもと思い上がっているのでしょう。
 柳田先生のブログからのまたまた聞きですが、自身も国策捜査の被害者となった鈴木宗男氏の「検察のやっていることは平成の2.26事件」という言葉には共感を呼ぶものがあります。しかし、あの特捜トップの人の言動を見ていると、その行動の根拠にあるものは、2.26の青年将校の独善的正義感ではなく、自己保身を図り甘い汁をすうために国家権力を利用して他人を貶める、という正義感のカケラもない低次元の醜い欲望ではないか、という感じがします。
  その腐った検察のご機嫌取りしかできないゴミメディアはそれ以上に腹立たしいです。「社会の木鐸」として、こういう官、民が行う不正行為を見張るのが、本来の役割であったはずです。それが、あろうことか、逆に権力側の違法行為に加担して全く恥じるところなし、これまたプライドのカケラもない幇間芸を炸裂させています。国民の目線を忘れた検察とゴミメディアは、既に国民の信頼を失っていることを自覚していないのでしょう。
 前回は選挙前、そして今回は国会前というタイミングで、小沢氏を狙い撃ちしての、デタラメな逮捕劇、これらの無茶であからさまな検察の行動は、あるいは検察が逆に追いつめられていることを示しているのではないかとも思います。なり振り構っていられないのでしょう。政権交代によって顕在化してきた社会の病巣が捨て身の抵抗をしようとしている、そのように見えます。とすると、これは、参院選では、衆院選でおこったと同じことが起きるという前兆かも知れません。そうなれば、いよいよ腐敗した検察にメスが入ることになるでしょう。
  私はどうも正義感が人並み以上に強い方なので、こういう検察やマスコミの卑怯で不公平な行動を見ると、怒りがこみ上げてくるのです。日本は仮にも「法治国家」のはずです。法を守らずに行う活動は、その意図が純粋に善であったとしても慎まれなければなりません。世の中には自分の基準でしか考えられない独善家がたくさんいますから。検察は法遵守を強めるのがその目的でありながら、自ら違法行為を堂々と行うという異常事態が以前から繰り返されてきました。日本がまだまだ民主主義からほど遠いという証拠です。その健全な日本の社会の成長を阻む検察とマスコミの罪は極めて重いと思います。
 マスコミや自民党は小沢氏の「政治責任」とか「説明責任」とか連呼していますが、本当にばかばかしくて見ていられません。言っている本人たちも政治責任とか説明責任とかいう言葉が具体的にどういう意味なのか何も知らないに違いありません。 彼らは政治家を攻撃するときに使う便利な言葉とぐらいにしか思っていないのでしょう。
 「説明責任」の意味をきちんと説明できるマスコミの人間などおそらく皆無であろうと思います。ある民主党議員が言うように、「そもそも存在しない犯罪が本当に存在しないことを証明するのは難しい」のです。小沢氏の「説明責任」といいますが、本当にやましいことがないのなら「やましいことはしていない」という以上の説明ができるわけがありません。それでも「説明責任を果たしていない」というのなら、これは、「無罪だったら証拠を見せろ」という屁理屈と同じです。科学者であれば、この手の「不在の証明」が大変困難なことは知っています。「無罪だったら証拠を見せろ(見せれないなら有罪だ)」という理屈でいうのなら、生まれたての赤ん坊ででも無い限り、国民全員、有罪です。
 「おまえ、人を殺しただろう」と言いがかりをつけられて、「殺していない」という証拠を示すことができる人は、まずいないでしょう。私たちに、「人を殺した」というpositiveな証拠がないので、とりあえず「有罪とはいえない」と考えられているだけなのです。そして世間は一般に「有罪とはいえないこと」を「無罪」と呼ぶようにと慣わしているだけのことです。すなわち、無罪というのはすべからく「推定無罪」なのです。
 一方、検察のやっていること、意図的に捜査情報(しかも、しばしばウソのでっち上げ)をマスコミにリークしたり、恣意的な基準でガサ入れしたりすることは、犯罪行為です。つまり、検察には犯罪行動を行っているpositiveな証拠があります。一方、小沢氏側には不正献金を示唆する証拠はありません。西松事件では、検察にとって都合のよい証拠を見つけて、犯罪に仕立て上げようと、強制捜査の根拠も無いのにガサをいれたわけです。こういうのをFishing expeditionといって、やってはいけないこととされています。しかも、今回のガサ入れに到っては、そもそも昨年のガサ入れで資料はすでに特捜がほとんど押収済みなわけです。その去年より前の資料に関しては殆どからっぽの事務所をわざわざ7時間もの時間をかけて、仰々しくあたかも捜査したフリをし、空っぽのダンボール箱をさも重そうに持ち出す様子をマスコミを使って報道し、まるでなんらかの証拠を押収したかのような猿芝居をかましたわけです。これは、やっている本人も、アホらしかったのではないでしょうか。7時間もの間、ろくな資料も残っていない事務所で大の大人が時間つぶししながら、空っぽのダンボールの箱を組み立てている様子を想像すると、情けなくなります。多分ダンボール箱の中にはトイレからでも押収してきたトイレットペーパーぐらいしか入っていないでしょう。
 あらためて強調しておきたいと思いますが、検察とマスコミの行為は明らかな犯罪です。取調べ中の検事しか知らないはずの情報が、マスコミに「関係者によると」という怪しい匿名のソースからリークされ続けています。マスコミはこういう報道をするのなら、一体「誰がその関係者」なのかを明らかにする義務があると思います。ウソの情報を垂れ流すのは犯罪です。こういう根拠を明らかにしない情報をそのウラをとる努力もせず、無批判に公器を使って垂れ流すマスコミ、自らに都合によい情報をでっちあげてまで意図的に漏洩する検察には、まったく反吐がでます。検察やマスコミは、彼らをしょっぴく権力が実質的にないので、やりたい放題やっているわけで、こういう連中は本当にどうしようもないと私は思います。
  本当の民主主義国家としての日本を実現するには、まず、この国家権力をかさにきた腐った連中とそのタイコ持ちゴミメディアを一掃する必要があると思います。それは現政権が民主主義の手続きを正当に踏んで、法的に疵瑕のない方法で実現しないといけません。それが、日本の近代民主主義国家へむけての第一歩だと思います。それを期待しています。
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