グラントようやく終わりました。と思ったら、論文がリジェクトされて返ってきました。今度はレビューアまではいきましたが、リジェクトするためにこじつけたかのような余り建設的でないコメントしかもらえず、がっかりしました。5分ほど落ち込んでから、次の雑誌への投稿準備を始めました。前回は編集室で突き返されて10分落込みましたが、今回はレビューまで回り、落ち込みも5分でしたから、進歩しています。次は通るような気がしてきました。
ところで、気になる福島原発の情報をなかなか得ることができません。マスコミは多分、意図的に報道を避けていますし、官邸前デモの規模もかなり小さくなってしまったと聞いています。しかし、今の日本で、この原発事故以上に重大なことはあるのでしょうか。本来、国の政治力を動員して、被害者の救済と、原発事故の収束に全力を傾けないといけない状態なのに、この国の政治家は、まるでこの国家の滅亡のかかっている重大事があたかもなかったかのように見て見ぬふりをしているようにか思えません。心から思いますけど、今の日本はもう一度、アメリカに占領してもらって、GHQに政策を決めてもらう方がましだと私は思っています。福島の現場で命をかけて、事故の収束に向けて働いている人々の犠牲を、この国の政治家や東電の管理職の連中は理解しているのでしょうか。原発事故のせいで故郷の土地を追われて住処も職も失った人々のことを少しでも考えているのでしょうか。すくなくとも今の首相はことの深刻さを本当に理解しているとは思えません。
原発関連の情報は東京新聞とかを除くとマスコミは役立たずで、個人のウェッブサイトなどで断片的に知ることができる程度です。原発情報をとりあげているまっちゃんのブログでは、放射能汚染がかなり広範で、汚染食材や汚染がれきなどを通じて全国に汚染が広がって行っている様子が読み取れます。
最近のエントリーで知ったこのニュース、ちょっと驚きました。
法令では100Bq/kgを越えると放射性廃棄物として管理対象になるようですけど、この話だと、最大8000Bq/Kgという超高濃度放射能汚染物質を使って食料生産のための肥料を作るのだそうです。それでできた食料食べても大丈夫とは思えませんが。放射能汚染食料はすでに全国に流通しているようです。安いですから業者が買ってこっそり流すのだそうです。チェルノブイリでももっとも健康被害を受けたのは、放射線の影響を過小評価したり、あるいは放射性物質の健康被害について余り知識のない人々でした。あと数年もしないうちに健康被害が全国で顕在化してきてくるのではないかと心配しています。責任所在もはっきりしているのに誰も責任をとらないで被害者が泣き寝入りするいつもの日本のパターンがかつてなかった規模で起こるのではないでしょうか。
それから、先日の体罰と従軍慰安婦に関するエントリーに関してコメントをいただきました。これらの許し難い行為に対して、どう対処するか、水に流すのか、認識して許すのか、あるいは怒り続けるのか、現実には難しい問題ですけど理論的には答えは簡単です。その罪を認識し、それが繰り返されないように対処を講じた上で、許す、しかありません。ケネディーも「敵を赦せ、しかし、その名を忘れてはいけない」と言っています。そういえば、英語でも「水に流す」に近い表現はありますね。「Water under the bridge」イメージが似ています。しかしながら、人間は感情の動物ですから、理屈で感情を押さえることは困難です。怒りがおさまらないのなら理性でおさめようとするのではなく、怒りを惹起する考えを捨て(忘れる)しかありません。前にも触れましたが「怒り」は猛毒です。怒りはそれを感じる方に悪い影響があります。
先日、15年ほど前にあった少年殺害事件の犯人の出所願いに関して、殺された子供の父親が犯人に対していまだに激しい怒りを見せているのを見ました。その気持ちはよくわかります。この人は自分の子供が殺されて15年たった今も、深い心の傷を負って苦しみ、犯人を許せない気持ちで一杯です。子供を無惨な方法で失っただけでも辛いのに、その上、その犯人に対する怒りで15年も苦しみ続けているのです。この人が幸せになるには、二度とこういうことが起こらないように対処をした上で、犯人に対する怒りと恨みを忘れる決断をして、その辛い思い出を過去に流しさるしかありません。聖書でも「復讐するは我にあり」と言います。復讐は神がしてくれます。人は罪を認識した上で許してやらねばなりません。
また、聖書には次のような言葉もあり、私は、コンピューターに貼付けています。
ひどいことをした人間を「許してやる」のは何よりも自分のためです。
ところで、気になる福島原発の情報をなかなか得ることができません。マスコミは多分、意図的に報道を避けていますし、官邸前デモの規模もかなり小さくなってしまったと聞いています。しかし、今の日本で、この原発事故以上に重大なことはあるのでしょうか。本来、国の政治力を動員して、被害者の救済と、原発事故の収束に全力を傾けないといけない状態なのに、この国の政治家は、まるでこの国家の滅亡のかかっている重大事があたかもなかったかのように見て見ぬふりをしているようにか思えません。心から思いますけど、今の日本はもう一度、アメリカに占領してもらって、GHQに政策を決めてもらう方がましだと私は思っています。福島の現場で命をかけて、事故の収束に向けて働いている人々の犠牲を、この国の政治家や東電の管理職の連中は理解しているのでしょうか。原発事故のせいで故郷の土地を追われて住処も職も失った人々のことを少しでも考えているのでしょうか。すくなくとも今の首相はことの深刻さを本当に理解しているとは思えません。
原発関連の情報は東京新聞とかを除くとマスコミは役立たずで、個人のウェッブサイトなどで断片的に知ることができる程度です。原発情報をとりあげているまっちゃんのブログでは、放射能汚染がかなり広範で、汚染食材や汚染がれきなどを通じて全国に汚染が広がって行っている様子が読み取れます。
最近のエントリーで知ったこのニュース、ちょっと驚きました。
法令では100Bq/kgを越えると放射性廃棄物として管理対象になるようですけど、この話だと、最大8000Bq/Kgという超高濃度放射能汚染物質を使って食料生産のための肥料を作るのだそうです。それでできた食料食べても大丈夫とは思えませんが。放射能汚染食料はすでに全国に流通しているようです。安いですから業者が買ってこっそり流すのだそうです。チェルノブイリでももっとも健康被害を受けたのは、放射線の影響を過小評価したり、あるいは放射性物質の健康被害について余り知識のない人々でした。あと数年もしないうちに健康被害が全国で顕在化してきてくるのではないかと心配しています。責任所在もはっきりしているのに誰も責任をとらないで被害者が泣き寝入りするいつもの日本のパターンがかつてなかった規模で起こるのではないでしょうか。
それから、先日の体罰と従軍慰安婦に関するエントリーに関してコメントをいただきました。これらの許し難い行為に対して、どう対処するか、水に流すのか、認識して許すのか、あるいは怒り続けるのか、現実には難しい問題ですけど理論的には答えは簡単です。その罪を認識し、それが繰り返されないように対処を講じた上で、許す、しかありません。ケネディーも「敵を赦せ、しかし、その名を忘れてはいけない」と言っています。そういえば、英語でも「水に流す」に近い表現はありますね。「Water under the bridge」イメージが似ています。しかしながら、人間は感情の動物ですから、理屈で感情を押さえることは困難です。怒りがおさまらないのなら理性でおさめようとするのではなく、怒りを惹起する考えを捨て(忘れる)しかありません。前にも触れましたが「怒り」は猛毒です。怒りはそれを感じる方に悪い影響があります。
先日、15年ほど前にあった少年殺害事件の犯人の出所願いに関して、殺された子供の父親が犯人に対していまだに激しい怒りを見せているのを見ました。その気持ちはよくわかります。この人は自分の子供が殺されて15年たった今も、深い心の傷を負って苦しみ、犯人を許せない気持ちで一杯です。子供を無惨な方法で失っただけでも辛いのに、その上、その犯人に対する怒りで15年も苦しみ続けているのです。この人が幸せになるには、二度とこういうことが起こらないように対処をした上で、犯人に対する怒りと恨みを忘れる決断をして、その辛い思い出を過去に流しさるしかありません。聖書でも「復讐するは我にあり」と言います。復讐は神がしてくれます。人は罪を認識した上で許してやらねばなりません。
また、聖書には次のような言葉もあり、私は、コンピューターに貼付けています。
祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。 また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば、天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます。」マルコ11:12~25
ひどいことをした人間を「許してやる」のは何よりも自分のためです。