私のブログはほとんど、誰かの書いたものを拝借してきて成り立っておりますが、思うに、研究という活動もそれに近いですね。誰かがやってきた仕事の上に、ほんの小さなものを足していく、そういうことを延々と繰り返して一滴の雨水が大河を作るように科学研究は続いてきました。ノーベル賞が一つ生まれる前に、そうした無名の先人の人々の気の遠くなるような積み重ねがあります。
学会の行き帰りにたまたま知り合いの教授と飛行機が一緒になり雑談となりました。十年近く前に、学会がえりに空港までのバスで偶然、隣り合って雑談したのが最初で、その時はこの人は別の大学にいましたので、今のウチの近所の機関に移って、しょっちゅう顔を合わせるようになることになるとは想像もしていませんでした。この人は今のウチの業界の主要トレンドとなった研究分野の切っ掛けを作った人ですが、その発見について「誰が発見したかはいずれ忘れさられる。しかし、発見そのものは教科書に残ると思う。信頼できる仕事をすることが大切だ」みたいなことを言いました。誰が発見したかは重要ではないのです。その発見のための知識、技術はすべて、無数の先人たちの仕事の上にはじめてなりたったものですから。われわれの仕事はその大河の流れに一滴の水滴を加えることです。
そんなことを考えていたら、アメリカポスドクの歩き方というブログの記事、「上から下へ伝わっていくもの」に遭遇しました。個人的にとても共感しましたのリンクしておきます。
ウチも自転車操業の零細研究室ですが、二人の女の子がいて、なんとか一人前になってもらいたい、と日々、心を砕いております。研究そのもののことより人生どう生きるべきか、みたいな話をすることの方が多いぐらいです。私自身が一人前だと感じた事がないのにおこがましいことです。
これは、多分、上のブログのボスが著者に言った「父親」の気持ちというのだろうと思います。研究を頑張って欲しいという気持ち同様に、彼女らに幸せになって欲しい、悪い男に騙されないで欲しい(といっても二人とも立派な三十路過ぎの大人で、一人は二人の子持ちですが)、そういう心配をしています。
そして、上のブログの著者同様、彼女らと話をしていると、私自身が、かつての私のボスと同じような口調で話しているのに気が付いてハッとすることが時々あります。昔はその前置きが長くて回りくどい喋り方にイライラしたものでしたが、私も、どうも、そうとう回りくどい話かたをしているようなのでした。彼女らはだまって聞いてくれていますが、内心は、かつての私同様、イライラしているのかもしれません。
学会の行き帰りにたまたま知り合いの教授と飛行機が一緒になり雑談となりました。十年近く前に、学会がえりに空港までのバスで偶然、隣り合って雑談したのが最初で、その時はこの人は別の大学にいましたので、今のウチの近所の機関に移って、しょっちゅう顔を合わせるようになることになるとは想像もしていませんでした。この人は今のウチの業界の主要トレンドとなった研究分野の切っ掛けを作った人ですが、その発見について「誰が発見したかはいずれ忘れさられる。しかし、発見そのものは教科書に残ると思う。信頼できる仕事をすることが大切だ」みたいなことを言いました。誰が発見したかは重要ではないのです。その発見のための知識、技術はすべて、無数の先人たちの仕事の上にはじめてなりたったものですから。われわれの仕事はその大河の流れに一滴の水滴を加えることです。
そんなことを考えていたら、アメリカポスドクの歩き方というブログの記事、「上から下へ伝わっていくもの」に遭遇しました。個人的にとても共感しましたのリンクしておきます。
僕が以前ボスにきいたことがある。仕事もできない僕をおいておくなんて得にもならないことをなぜしてるのか?と。
そしたら、ボスは笑顔でこうこたえた。
自分はお前の父親みたいなものだ。子供の幸せを損得関係なく考えるのは当然だろう。
僕もそうやって下に接することができる人間にならないと。
でもきっとできると思う。受けた愛情をそのまま与えればいいのだから。
そしたら、ボスは笑顔でこうこたえた。
自分はお前の父親みたいなものだ。子供の幸せを損得関係なく考えるのは当然だろう。
僕もそうやって下に接することができる人間にならないと。
でもきっとできると思う。受けた愛情をそのまま与えればいいのだから。
ウチも自転車操業の零細研究室ですが、二人の女の子がいて、なんとか一人前になってもらいたい、と日々、心を砕いております。研究そのもののことより人生どう生きるべきか、みたいな話をすることの方が多いぐらいです。私自身が一人前だと感じた事がないのにおこがましいことです。
これは、多分、上のブログのボスが著者に言った「父親」の気持ちというのだろうと思います。研究を頑張って欲しいという気持ち同様に、彼女らに幸せになって欲しい、悪い男に騙されないで欲しい(といっても二人とも立派な三十路過ぎの大人で、一人は二人の子持ちですが)、そういう心配をしています。
そして、上のブログの著者同様、彼女らと話をしていると、私自身が、かつての私のボスと同じような口調で話しているのに気が付いてハッとすることが時々あります。昔はその前置きが長くて回りくどい喋り方にイライラしたものでしたが、私も、どうも、そうとう回りくどい話かたをしているようなのでした。彼女らはだまって聞いてくれていますが、内心は、かつての私同様、イライラしているのかもしれません。