岩下おじさんのブログで、スイス、チューリッヒへの旅行者が増えているというという話を知りました。昔、「天国に一番近い島」というフレーズが流行りましたが、さしづめ、チューリッヒは天国に一番近い街、ということでしょうか。
誰でも苦しいのはイヤです。苦しんで死ぬことにも意味がある、というフロイトのような人もいますが、苦しいのが好きな人は少数派でしょう。回復の見込みのない末期の病気なら、最後は苦しまずに死んでいきたいという気持ちはよく分かります。そういうニーズは少なからずあり、それに答えるサービスがスイスにしかないのであれば、困った人はスイスへ行くでしょう。
スイスでも、医師の補助による安楽死の問題は議論になっているようですが、結局、住民の7割は安楽死に賛成だということらしいです。下種な勘ぐりですが、この安楽死を求めてやってくる旅行者たちの落とすカネが街を多少は潤しているのでしょう。そうい損得のレベルで賛成している人も少なくないだろうと想像します。しかし、"Suicide Tourism"という言葉はいただけませんね。地獄の沙汰もカネしだい、ちゅー感じがします。
私もそのうち死ぬのは頭ではわかっているのですが、そこに至るまでのプロセスがいまいち、具体的に想像できません。私はできたら一人で誰にも看取られずに自然の側で死んで行きたい、と思っておりますが、実際問題として難しいでしょう。心臓病とかでポックリいけばラクかも知れませんが、だんだんと衰弱して体の自由がきかなくなって死ぬというのもかなりありがちで、辛そうです。
また、死んだあとのこともつい気になるのです。無人島のジャングルでヒョイと死んだりしない限り、誰かが自分の死体を片付けてくれる必要があります。死んでしまえばどうでもよいような話ではありますが、発った後のことをつい心配してしまうのが日本人というものです。
それで、耳にしたのが、最近、献体希望者が増えているという話。人体の解剖実習は医学教育の大切な一環で、医学生のイニシエーション的な意味もあると思います。こういう経験を通じて学生は将来の医師、医学教育者、研究者としての自覚をも育んでいくのであろうと思います。遺体を提供する側は、多くはそうした医学教育に貢献したいという尊い気持ちからの行いだろうと思いますが、近年の献体希望者の増加というのには別の動機も混じっているようです。別に家族もいないし死ぬことに抵抗はないが、死んだ後の処理が心配だ、というような人々が献体を志願するのだそうです。死ぬと、死体を引き取ってくれて、解剖が終わったあとは、火葬してくれて、法要もやってくれる、人に迷惑かけるどころか医学教育にも貢献できる、といいことずくめだということだそうです。私も、なるほど、と思いました。そのうち献体登録しておきたいと思います。臓器ドナーでも問題ないようです。ただ、死体の引き取りを拒否されることもあるというのが多少心配です。死んだときに実習に使えるような良質の死体になれるよう普段から気をつけておこうと思います。
誰でも苦しいのはイヤです。苦しんで死ぬことにも意味がある、というフロイトのような人もいますが、苦しいのが好きな人は少数派でしょう。回復の見込みのない末期の病気なら、最後は苦しまずに死んでいきたいという気持ちはよく分かります。そういうニーズは少なからずあり、それに答えるサービスがスイスにしかないのであれば、困った人はスイスへ行くでしょう。
スイスでも、医師の補助による安楽死の問題は議論になっているようですが、結局、住民の7割は安楽死に賛成だということらしいです。下種な勘ぐりですが、この安楽死を求めてやってくる旅行者たちの落とすカネが街を多少は潤しているのでしょう。そうい損得のレベルで賛成している人も少なくないだろうと想像します。しかし、"Suicide Tourism"という言葉はいただけませんね。地獄の沙汰もカネしだい、ちゅー感じがします。
私もそのうち死ぬのは頭ではわかっているのですが、そこに至るまでのプロセスがいまいち、具体的に想像できません。私はできたら一人で誰にも看取られずに自然の側で死んで行きたい、と思っておりますが、実際問題として難しいでしょう。心臓病とかでポックリいけばラクかも知れませんが、だんだんと衰弱して体の自由がきかなくなって死ぬというのもかなりありがちで、辛そうです。
また、死んだあとのこともつい気になるのです。無人島のジャングルでヒョイと死んだりしない限り、誰かが自分の死体を片付けてくれる必要があります。死んでしまえばどうでもよいような話ではありますが、発った後のことをつい心配してしまうのが日本人というものです。
それで、耳にしたのが、最近、献体希望者が増えているという話。人体の解剖実習は医学教育の大切な一環で、医学生のイニシエーション的な意味もあると思います。こういう経験を通じて学生は将来の医師、医学教育者、研究者としての自覚をも育んでいくのであろうと思います。遺体を提供する側は、多くはそうした医学教育に貢献したいという尊い気持ちからの行いだろうと思いますが、近年の献体希望者の増加というのには別の動機も混じっているようです。別に家族もいないし死ぬことに抵抗はないが、死んだ後の処理が心配だ、というような人々が献体を志願するのだそうです。死ぬと、死体を引き取ってくれて、解剖が終わったあとは、火葬してくれて、法要もやってくれる、人に迷惑かけるどころか医学教育にも貢献できる、といいことずくめだということだそうです。私も、なるほど、と思いました。そのうち献体登録しておきたいと思います。臓器ドナーでも問題ないようです。ただ、死体の引き取りを拒否されることもあるというのが多少心配です。死んだときに実習に使えるような良質の死体になれるよう普段から気をつけておこうと思います。