百醜千拙草

何とかやっています

人生の孤独にしみじみしたい時

2014-11-21 | Weblog
どうでもいい話ですが、最近、明け方にふと目が覚めて、これまでの自分の人生と残された時間のことで胸いっぱいになってしまうことがあります。意識がはっきりしているときは、こういう考えに影響されることはありませんから、多分、これは無意識に抑圧された後悔やあせりみたいなものが出てくるのでしょう。
しかし、理性的、客観的に考えても、われわれが社会に出て活躍できる期間とのは思っているよりも短いのです。われわれができると思っていることも実は大したことはありません。死を目前にした多くの人がもっとも後悔することは、若いときに自分のやりたかったことを存分にするべきだった、ということだそうです。私は、過去のことは後悔しないと決めているので、これから死ぬまでの間に、アフリカに行けなくても、奥志賀第2リフト沿いのコブ斜面でもう二度とスキーができなくても、マルティニーク島でズークを踊れなくても、多分何とも思わないと思います。ただし、感情は理性とは別のところにありますから、夢は見るかも知れません。

死ぬまでの年数を数えていたら、ふと、大昔によく聞いたエルトンジョンのアルバムの中の曲、「60 years on」を思い出して懐かしくなりました。盲目の年老いた孤独な老人の悲哀が滲みだします。当時、二十歳ほどの若者(作詞 Bernie Taupin)が、孤独な老人を見る目は残酷で傲慢です。しかし、(年齢に関係なく)人間の孤独、誰でも独りでその人生を歩み、年老いて死んで行くという事実から漂う悲しみは歌から感じ取れます。そのTaupinもエルトンジョンも今はとっくに60歳を過ぎていますが、幸せそうにしています。

(筆者、意訳)

六十歳になったとき、誰が教会へ一緒にあるいて行ってくれるのだろう。そのときには、貰ったみずぼらしい飼い犬も十年も前に死んでしまっている。
セニョリータ、ギターを弾いてくれ、あなた自身のために。
私のロザリオは壊れてしまい、鎖の数珠は抜け落ちてしまった。

お前は大きなコート架けて、銃を置く。お前の戦った戦争は、余り楽しいものではなかった。そして、お前の未来は銃とは何の関係もない。
六十歳になるまで生きたくはない。

ああ、お前と一緒に座っていてやろう、そして、もう一度、目を開かせてやろう。昔ながらの祈りの言葉は今も同じだ。
マグダレーナ、オルガンを弾いてくれ、あなた自身のために。
あなたが通り過ぎるときには、合唱隊の灯りはとても低く燃える


エルトンジョン、やっぱり歌はうまいですね。


〆切ありの複数の論文原稿とレビューが目の前に溜まっているのを見ると、しみじみと人生の悲哀を感じたいと思ってしまうのは私だけではないでしょう。
コメント
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