先日、とある賞に関連したシンポジウムがあり、その後のレセプションと晩餐会に行きました。小さいながら歴史のあるこの賞は、過去の受賞者の中から二十名以上のノーベル賞受賞者がでています。シンポジウムでは、業界での超有名人を何人も見かけました。
シンポジウムの内容は癌研究に関しての話が主で、やはり最近話題のPD-1抗体などを使った免疫療法の基礎と臨床、がんシグナルの特異的阻害薬を使った治療など、基礎的にも面白い話でした。一昔前には、進行癌には化学療法しか選択肢がなかったのに、すでにある種の癌では化学療法はすでに第一選択ではなくなっており、すっかり治療の潮流が変化しているのを感慨深く思いました。それと同時の各々の病態にフィットしたPersonalized medicineを進めて行く必要があるということが明らかになってきました。個人各々の病態に特異的ながん細胞のcharacterizationのために、血中に循環する少量のがん細胞を分離する技術、その少ない材料から異常を検出する方法などの技術的開発が行われています。
レセプションと晩餐会は100人ほどでホテルの小さな部屋で行われました。そこには受賞者の人や発表者の人以外も大勢の超のつくレベルの有名人が来て、私もいい年してすっかり緊張してしまいました。普段、雑誌のフロントページや新聞でしか見たことのない人が何人もその辺をウロウロしているのです。この小さな部屋がテロで吹き飛んだら、NatureのObituaryの欄はすごいことになるだろうなあ、とバカなことを考えました。ノーベル賞科学者の人が三人いるのに気づきました。そのうちの二人と話したり握手してもらったりして、すっかり舞い上がってしまいました。もう一人のノーベル賞の人は、私が細々と末端でやっている分野の研究の最初の発見者(この人も会場にいました)がポスドクだったときのボスだった人で、すれ違った時に挨拶してくれたので、私はすっかり緊張して敬礼してしまいました。
何人もの雲の上の超有名研究者の人と同じ部屋で同じ晩飯を食べるという非日常的な貴重な経験でした。超有名人でも、基本は食べて出して働いて寝るという我々凡人と同じであり、歳を取れば、シワも増えて頭もハゲるということを改めて実感したひと時でもありました。
今回、たまたま、私は近代生物学の潮流を作り出してきた人々が固まっている水源に近いところに紛れこんだというだけのことで、別に私が水源に寄与しているわけでは全くありません。研究の流れを作り出す人々と、流れを大きくする人々、あるいは流れに流されたり、私のように流れから飛び散る滴で生きているような人間もおります。いずれにせよ、科学研究というものは、全てが繋がっていて、色々な流れも上流から下流へと向う中で多様な研究を潤しているということを、研究の潮流を作り出している源泉に近付いてみて、あらためて実感しました。
そのレセプションの時、とある有名人が大手製薬会社の相談役の人と話をしているのを横で聞いていると意外な話が聞けました。ベンチャーと言えば、アメリカでは西海岸というイメージがありますが、実は、バイオ関係のテクノロジー会社は、結局、東海岸にやってくるのだそうです。カリフォルニアにはそうした技術がないのだそうで、ITはともかく、バイオベンチャー関係は結局、ボストン、ケンブリッジ近郊に集まるのだという話。カリフォルニアの青い空よりも陰鬱なニューイングランドの伝統、CaltechよりもMITということなのでしょう。
シンポジウムの内容は癌研究に関しての話が主で、やはり最近話題のPD-1抗体などを使った免疫療法の基礎と臨床、がんシグナルの特異的阻害薬を使った治療など、基礎的にも面白い話でした。一昔前には、進行癌には化学療法しか選択肢がなかったのに、すでにある種の癌では化学療法はすでに第一選択ではなくなっており、すっかり治療の潮流が変化しているのを感慨深く思いました。それと同時の各々の病態にフィットしたPersonalized medicineを進めて行く必要があるということが明らかになってきました。個人各々の病態に特異的ながん細胞のcharacterizationのために、血中に循環する少量のがん細胞を分離する技術、その少ない材料から異常を検出する方法などの技術的開発が行われています。
レセプションと晩餐会は100人ほどでホテルの小さな部屋で行われました。そこには受賞者の人や発表者の人以外も大勢の超のつくレベルの有名人が来て、私もいい年してすっかり緊張してしまいました。普段、雑誌のフロントページや新聞でしか見たことのない人が何人もその辺をウロウロしているのです。この小さな部屋がテロで吹き飛んだら、NatureのObituaryの欄はすごいことになるだろうなあ、とバカなことを考えました。ノーベル賞科学者の人が三人いるのに気づきました。そのうちの二人と話したり握手してもらったりして、すっかり舞い上がってしまいました。もう一人のノーベル賞の人は、私が細々と末端でやっている分野の研究の最初の発見者(この人も会場にいました)がポスドクだったときのボスだった人で、すれ違った時に挨拶してくれたので、私はすっかり緊張して敬礼してしまいました。
何人もの雲の上の超有名研究者の人と同じ部屋で同じ晩飯を食べるという非日常的な貴重な経験でした。超有名人でも、基本は食べて出して働いて寝るという我々凡人と同じであり、歳を取れば、シワも増えて頭もハゲるということを改めて実感したひと時でもありました。
今回、たまたま、私は近代生物学の潮流を作り出してきた人々が固まっている水源に近いところに紛れこんだというだけのことで、別に私が水源に寄与しているわけでは全くありません。研究の流れを作り出す人々と、流れを大きくする人々、あるいは流れに流されたり、私のように流れから飛び散る滴で生きているような人間もおります。いずれにせよ、科学研究というものは、全てが繋がっていて、色々な流れも上流から下流へと向う中で多様な研究を潤しているということを、研究の潮流を作り出している源泉に近付いてみて、あらためて実感しました。
そのレセプションの時、とある有名人が大手製薬会社の相談役の人と話をしているのを横で聞いていると意外な話が聞けました。ベンチャーと言えば、アメリカでは西海岸というイメージがありますが、実は、バイオ関係のテクノロジー会社は、結局、東海岸にやってくるのだそうです。カリフォルニアにはそうした技術がないのだそうで、ITはともかく、バイオベンチャー関係は結局、ボストン、ケンブリッジ近郊に集まるのだという話。カリフォルニアの青い空よりも陰鬱なニューイングランドの伝統、CaltechよりもMITということなのでしょう。