"The Science of Getting Rich"という古典的成功本をちょっと読んでみようかな、と思って半分ほど読みました。この本はWallace D. Wattlesという人が1910年に書いたもので、著者は出版の翌年亡くなっています。
巷でよく言われている成功の法則のオリジナルエッセンスが書かれているようです。だからそう目新しいことはありませんが、二、三の点で興味深いところがあるので、ちょっとだけ書いておきたいと思います。
一つは、豊かになりたいのであれば、必要以上に貧困に注意を向けないようにせよということです。ちょっと誤解を生みそうな表現ですが、これは恵まれない人に同情心を持つなというような意味ではなく、プライオリティーを考えろということだと思います。
例えば、ビルゲイツ財団やブラッドピット夫妻らが、発展途上国での子供の貧困、疾病、虐待などの問題に取り組んでいます。彼らがそういう活動ができるのは、彼らにそれだけの金銭的、時間的余裕があるからです。
また別の例で言えば、病院です。病院が機能して診療活動を行えて、病気の人の治療ができるのは、病院経営がまずしっかりしていて、そこで働く人の健康と生活が守られているからです。しっかりした病院経営のためには、医療体制の整備に加え、患者さんの確保、ムダのない病床管理などが必要です。一方的に患者さんに奉仕するのではなく、患者さんと支払い基金からの金銭的還流という相互作用が必要です。経営をおろそかにして奉仕ばかりを考えていては、病院は成り立たず、そのようないつ倒産して閉院するかもしれないような病院では、患者さんも安心できません。
社会や人に貢献したいのであれば、自己犠牲の上に貢献するようなことを考えてはならない、まず、自分自身が豊かで健康で十分に機能できることがあってはじめて、他人や社会に対して何かができるのだ、という話です。
とはいうものの、自己犠牲を美化し、清貧の思想などが流行る国柄ですから、「貧困に注意を向けるな、自分が第一だ」みたいな言明に抵抗を持つ人も多いでしょう。お国のために玉砕したり、藩主のために討ち入りしたり、家のために切腹したり、身を売ったりすることが、普通にあった国です。もちろん、自分が第一というのは、そのために他人を利用したり犠牲にしたり、貧乏人は自己責任として冷酷に切り捨てろということではなく、まずは自分に実力をつけて自立することを第一に考えよということでしょう。
また、貧困の問題に関連して、貧しい人を「貧しい人」であるように見るべきではない、という話もありました。現在、困窮している人は、これから未来に向けて豊かになっていく人であると見なさい、ということです。なるほど、幸せは心の持ちようです。貧しい人には単にもの分け与えるのではなく、これから豊かになっていくプロセスの手助けができるようになりなさい、ということのようです。これは、「空腹の人に、魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」ということわざに多少通じるものがあるような気がします。結局、誰でも、自分を幸福にできるのは自分自身以外にはいないわけですし。
最近、私は、医師、医学研究者としてカンボジアやアフリカで結核とAIDSの問題に取り組んで来た人の話を聞く機会がありました。戦争で蹂躙された東南アジアの一部の地域はそれは悲惨なのです。貧しいので子供を売る家庭が沢山あります。女の子は十歳にもなれば、売春宿に売られて行き外国人の客をとらされ、HIVに感染します。栄養状態も悪い中で結核に潜在感染している子供は、数年でAIDSを発症して十代の後半には死を待つだけになります。そうなると売春宿から放り出され、運が良ければ親元で、運が悪ければ路上で死を迎えることになります。この医学研究者の人は、こういう話をしながら、結核治療薬と抗ウイルス薬(ART)を使って、どういうレジメンで治療をするのがよいのかを調べるという研究を紹介しました。 この教授本人は普段は先進国の快適な生活を享受し、恵まれた子供時代を過ごしてきているわけです。しかし、彼女がこのような研究ができて、カンボジアの気の毒な子供たちを少なからず助けることができるのは、なにより彼女が豊かな国で十分な医学教育を受けて、研究者としてのトレーニングを積み、十分な経済的、社会的余裕があるが故です。そのような立場にない人間では、同情心がいくらあっても、東南アジアのエイズの子供たちを助けることは難しいでしょう。彼女がこのような活動ができるのは、自身が先進国の豊かで快適な生活が保障されているからであると言えます。
この本を読んで、もう一つ考えさせられたメッセージは、政治家や官僚を非難するな、ということでした。私は、常々、日本やアメリカの腐った政治システムを批判し続けてきましたので、これは耳が痛かったです。理屈は半分理解できます。短くいうと、現実は肯定した方が問題があると考えるよりもプラグマティカルだということだろうと思います。また、同様に、社会や政治を変えたいのであれば、自分にそれだけの力をまずつけよということかも知れません。
だから、いくらアベ政権の知能指数に相当な問題があっても、大蔵(財務)官僚が傲慢で腐敗していても、最高裁と検察がグルでも、それで無実の人間が冤罪を着せられ、偽装自殺で暗殺されても、私は、もう彼らの悪口をいうのはできるだけ止めようと思いました。
現実を知ることは大切です。しかし、現実を知ることと悪口をいうことは別だろうと思い始めました。悪口をいうことが現実を変えるのに無力なのであれば。
この本の残りを読んでから、また感想を書きたいと思います。
巷でよく言われている成功の法則のオリジナルエッセンスが書かれているようです。だからそう目新しいことはありませんが、二、三の点で興味深いところがあるので、ちょっとだけ書いておきたいと思います。
一つは、豊かになりたいのであれば、必要以上に貧困に注意を向けないようにせよということです。ちょっと誤解を生みそうな表現ですが、これは恵まれない人に同情心を持つなというような意味ではなく、プライオリティーを考えろということだと思います。
例えば、ビルゲイツ財団やブラッドピット夫妻らが、発展途上国での子供の貧困、疾病、虐待などの問題に取り組んでいます。彼らがそういう活動ができるのは、彼らにそれだけの金銭的、時間的余裕があるからです。
また別の例で言えば、病院です。病院が機能して診療活動を行えて、病気の人の治療ができるのは、病院経営がまずしっかりしていて、そこで働く人の健康と生活が守られているからです。しっかりした病院経営のためには、医療体制の整備に加え、患者さんの確保、ムダのない病床管理などが必要です。一方的に患者さんに奉仕するのではなく、患者さんと支払い基金からの金銭的還流という相互作用が必要です。経営をおろそかにして奉仕ばかりを考えていては、病院は成り立たず、そのようないつ倒産して閉院するかもしれないような病院では、患者さんも安心できません。
社会や人に貢献したいのであれば、自己犠牲の上に貢献するようなことを考えてはならない、まず、自分自身が豊かで健康で十分に機能できることがあってはじめて、他人や社会に対して何かができるのだ、という話です。
とはいうものの、自己犠牲を美化し、清貧の思想などが流行る国柄ですから、「貧困に注意を向けるな、自分が第一だ」みたいな言明に抵抗を持つ人も多いでしょう。お国のために玉砕したり、藩主のために討ち入りしたり、家のために切腹したり、身を売ったりすることが、普通にあった国です。もちろん、自分が第一というのは、そのために他人を利用したり犠牲にしたり、貧乏人は自己責任として冷酷に切り捨てろということではなく、まずは自分に実力をつけて自立することを第一に考えよということでしょう。
また、貧困の問題に関連して、貧しい人を「貧しい人」であるように見るべきではない、という話もありました。現在、困窮している人は、これから未来に向けて豊かになっていく人であると見なさい、ということです。なるほど、幸せは心の持ちようです。貧しい人には単にもの分け与えるのではなく、これから豊かになっていくプロセスの手助けができるようになりなさい、ということのようです。これは、「空腹の人に、魚を与えれば一日の飢えをしのげるが、魚の釣りかたを教えれば一生の食を満たせる」ということわざに多少通じるものがあるような気がします。結局、誰でも、自分を幸福にできるのは自分自身以外にはいないわけですし。
最近、私は、医師、医学研究者としてカンボジアやアフリカで結核とAIDSの問題に取り組んで来た人の話を聞く機会がありました。戦争で蹂躙された東南アジアの一部の地域はそれは悲惨なのです。貧しいので子供を売る家庭が沢山あります。女の子は十歳にもなれば、売春宿に売られて行き外国人の客をとらされ、HIVに感染します。栄養状態も悪い中で結核に潜在感染している子供は、数年でAIDSを発症して十代の後半には死を待つだけになります。そうなると売春宿から放り出され、運が良ければ親元で、運が悪ければ路上で死を迎えることになります。この医学研究者の人は、こういう話をしながら、結核治療薬と抗ウイルス薬(ART)を使って、どういうレジメンで治療をするのがよいのかを調べるという研究を紹介しました。 この教授本人は普段は先進国の快適な生活を享受し、恵まれた子供時代を過ごしてきているわけです。しかし、彼女がこのような研究ができて、カンボジアの気の毒な子供たちを少なからず助けることができるのは、なにより彼女が豊かな国で十分な医学教育を受けて、研究者としてのトレーニングを積み、十分な経済的、社会的余裕があるが故です。そのような立場にない人間では、同情心がいくらあっても、東南アジアのエイズの子供たちを助けることは難しいでしょう。彼女がこのような活動ができるのは、自身が先進国の豊かで快適な生活が保障されているからであると言えます。
この本を読んで、もう一つ考えさせられたメッセージは、政治家や官僚を非難するな、ということでした。私は、常々、日本やアメリカの腐った政治システムを批判し続けてきましたので、これは耳が痛かったです。理屈は半分理解できます。短くいうと、現実は肯定した方が問題があると考えるよりもプラグマティカルだということだろうと思います。また、同様に、社会や政治を変えたいのであれば、自分にそれだけの力をまずつけよということかも知れません。
だから、いくらアベ政権の知能指数に相当な問題があっても、大蔵(財務)官僚が傲慢で腐敗していても、最高裁と検察がグルでも、それで無実の人間が冤罪を着せられ、偽装自殺で暗殺されても、私は、もう彼らの悪口をいうのはできるだけ止めようと思いました。
現実を知ることは大切です。しかし、現実を知ることと悪口をいうことは別だろうと思い始めました。悪口をいうことが現実を変えるのに無力なのであれば。
この本の残りを読んでから、また感想を書きたいと思います。