正月早々、気分の悪いニュース。
サウジアラビアがシーア派の指導者を処刑したことでシーア派が大勢を占めるイラン、イラクで反発。国連もサウジを非難。親米国のサウジですからアメリカが糸を引いているのではないかとつい勘ぐってしまいました。アサド政権を倒すためにシリアに介入し、アサド政権を支援するロシアとイランと対立してきたアメリカのことです。ただ、先日、ケリーはアサド政権を倒すことは一旦目標としないことをロシアに表明したはずですから、今回の事件は、単にスンニとシーアの宗教対立で、いつものアメリカの陰謀はないのかもしれません。
人間が殺し合う戦争はなかなか無くなりません。
3日の東京新聞、筆洗いは70年前の戦後初めての正月の風景について触れてあります。
戦争は、物理的に、精神的に、人間を破壊します。文化を破壊し、知と心を破壊します。この上なく愚かな行いです。
正月休みに、YouTubeで、ハンガリー生まれのピアニスト、Gyorgy Sebokの映像を見つけました。第二次世界大戦後に起きたハンガリーの内戦を生き延びた人です。ポランスキーの映画、戦場のピアニストを思い出しました。淡々とした彼の言葉に戦争の愚かさ、その人間性に及ぼす深い害を強く感じました。
インタビューと演奏をリンクします。
Gyorgy Sebok - Bach-Busoni - Adagio from BWV 564
(この曲は、オルガン曲、トッカータ/アダージョ/フーガ ハ長調をBusoniがピアノに編曲したものです。アダージョはイ短調の比較的素直なコード進行をもつ美しい曲ですが、最後のディミニッシュコードのアルペジオ (?) の数小節はしばしば演奏から省かれ、このビデオの演奏でも省かれています)
イラン、群衆がサウジ大使館襲撃 47人処刑に猛反発
【ドバイ共同】イスラム教スンニ派大国のサウジアラビアが少数派シーア派の有力指導者でサウジ王室に批判的だったニムル師ら47人を処刑したことに対し、シーア派国家イランの首都テヘランで2日から3日未明にかけ、抗議する群衆がサウジ大使館を襲撃、一部が暴徒化して大使館に乱入したり、火炎瓶を投げ付けたりした。
【ドバイ共同】イスラム教スンニ派大国のサウジアラビアが少数派シーア派の有力指導者でサウジ王室に批判的だったニムル師ら47人を処刑したことに対し、シーア派国家イランの首都テヘランで2日から3日未明にかけ、抗議する群衆がサウジ大使館を襲撃、一部が暴徒化して大使館に乱入したり、火炎瓶を投げ付けたりした。
サウジアラビアがシーア派の指導者を処刑したことでシーア派が大勢を占めるイラン、イラクで反発。国連もサウジを非難。親米国のサウジですからアメリカが糸を引いているのではないかとつい勘ぐってしまいました。アサド政権を倒すためにシリアに介入し、アサド政権を支援するロシアとイランと対立してきたアメリカのことです。ただ、先日、ケリーはアサド政権を倒すことは一旦目標としないことをロシアに表明したはずですから、今回の事件は、単にスンニとシーアの宗教対立で、いつものアメリカの陰謀はないのかもしれません。
人間が殺し合う戦争はなかなか無くなりません。
3日の東京新聞、筆洗いは70年前の戦後初めての正月の風景について触れてあります。
<焼け跡に遺(のこ)る三和土(たたき)や手鞠(てまり)つく>中村草田男。手鞠は新年の季語なので、一九四六(昭和二十一)年の正月前後に詠まれた句であろう。終戦からおよそ半年。その正月、子どもがついた手鞠はどんな音が聞こえたかを想像する。荒廃に対する絶望の音か。、、、、、、戦争は終わったが、不安の色は濃い。戦争中と同じか、それ以上に物も心も貧しい日々が続く、、、、、自分のことで精いっぱいの正月。温かみも優しさも持ち合わせることができなかった世の息苦しさと絶望を思う。
戦争は、物理的に、精神的に、人間を破壊します。文化を破壊し、知と心を破壊します。この上なく愚かな行いです。
正月休みに、YouTubeで、ハンガリー生まれのピアニスト、Gyorgy Sebokの映像を見つけました。第二次世界大戦後に起きたハンガリーの内戦を生き延びた人です。ポランスキーの映画、戦場のピアニストを思い出しました。淡々とした彼の言葉に戦争の愚かさ、その人間性に及ぼす深い害を強く感じました。
インタビューと演奏をリンクします。
Gyorgy Sebok - Bach-Busoni - Adagio from BWV 564
個人的な告白みたいなものをしますと、戦争が終わった後、ある一時期、私は「苦しむことができない」ことに苦しんでいました。
音楽だけでなく、あらゆるものに対して、反応したり感覚を持つことを禁じられているようでした。
(当時の)人々は、原始的な恐怖や生命の危険にさらされるなどの、様々な感情に打ち負かされないようにする必要がありました。目標は、あまり深く感じないようになること、いや逆です、目標は、生き延びることであり、生き延びることのご褒美が「感じないこと」だったのです。そして「感じないこと」は、遅かれ早かれ、音楽そのものを含むことになったのです。
戦争の終わった後、再び、生活が始まりました。もちろん、音楽は素晴らしいものだとは私は感じていましたが、その本質への結びつきというものは失われてしまったのです。音楽が素晴らしいという明らかな理由はその美しさです。(ピアノを弾く)それは、美や偉大なるものを認めることです。でもこの編曲を弾いたとき、、、(トッカータのさわりをを弾く)、、、長いトッカータの後、このように続きます。、、、(アダージョを弾く) そのとき、私は、何かとても不思議な気持ちになったのです。私の喉が、、、いくつかの機能を失っていた弦が、振動しだしたのです。
音楽だけでなく、あらゆるものに対して、反応したり感覚を持つことを禁じられているようでした。
(当時の)人々は、原始的な恐怖や生命の危険にさらされるなどの、様々な感情に打ち負かされないようにする必要がありました。目標は、あまり深く感じないようになること、いや逆です、目標は、生き延びることであり、生き延びることのご褒美が「感じないこと」だったのです。そして「感じないこと」は、遅かれ早かれ、音楽そのものを含むことになったのです。
戦争の終わった後、再び、生活が始まりました。もちろん、音楽は素晴らしいものだとは私は感じていましたが、その本質への結びつきというものは失われてしまったのです。音楽が素晴らしいという明らかな理由はその美しさです。(ピアノを弾く)それは、美や偉大なるものを認めることです。でもこの編曲を弾いたとき、、、(トッカータのさわりをを弾く)、、、長いトッカータの後、このように続きます。、、、(アダージョを弾く) そのとき、私は、何かとても不思議な気持ちになったのです。私の喉が、、、いくつかの機能を失っていた弦が、振動しだしたのです。
(この曲は、オルガン曲、トッカータ/アダージョ/フーガ ハ長調をBusoniがピアノに編曲したものです。アダージョはイ短調の比較的素直なコード進行をもつ美しい曲ですが、最後のディミニッシュコードのアルペジオ (?) の数小節はしばしば演奏から省かれ、このビデオの演奏でも省かれています)