いろいろと雑用その他で忙しくしております。息抜き兼日記のつもりでこれを書いてますが、日常の瑣末時に忙殺されると、書く時間はあっても書きたいことがないという悲しい事態になりますね。
ここ数年一緒にやっている人が一時間のトークをすることになり、昨日、彼女の発表の準備を一緒にやっていてました。そのプロジェクトは、数年前に、小さなdescriptiveな論文になればいいや、ぐらいの本当に軽い気持ちで始めたものですが、彼女が当たりを引き続けて、まるで映画を見るかのような興味深いストーリーにまとまりつつあります。ただし、これは私小説的な研究なので、いくら美しいストーリーでも研究業界に与えるインパクトは大したものではありません。
建前上、研究は、社会や人々にとってなんらかの役に立つことを願ってやるわけですが、その一つ一つの活動は極めて個人的、趣味的なものだと私は感じます。なんらかの目的を目指して始めたプロジェクトが、そのまますんなりと思い通りに進むことはまずありません。小さな壁にぶつかっては紆余曲折を繰り返して、結局、ゴールにたどり着けないこともしばしばです。しかしその道すがらに思いがけない発見をしたり、予想もしなかったような「お話」を発掘したりすることがあります。むしろ、それこそが研究の目的ではないかと私は個人的に考えています。極端に言えば、宇宙開発プロジェクトのようなものです。宇宙開発に関わっているほとんどの人は本気で火星に移住したいとは思ってはいないでしょう、しかし、宇宙開発というゴールに向けて努力する間に、地上でも実際に有用な技術が開発されたりわけで、むしろそっちの方が本来の目的であると言えます。いわば「行き掛けの駄賃」の方が真の狙いなのです。アカデミアの研究プロジェクトとも同じようなものだと私は思っており、何よりの駄賃は、研究活動そのものを通じて得られる研究者自身の満足だろうと感じます。
キザにいえば、私にとっては、思い入れの入った研究は「作品」であり、論文は一編の詩であったりするわけです。もちろん5年の力作も、仮に読んでもらえても、大抵の読者は鼻をほじりながら数分で無感動に読み飛ばしてしまうのはわかってはいますが、それでも論文を世に出そうとする側にとっては、手塩にかけて育てた一人娘を嫁にやるような気持ちです。(私、娘はおりません)
無論、あまりにインパクトが大きい発見で、育て上げたり磨きをかける必要もないよううなネタなら素晴らしいですが、そんな大発見は滅多になく、多くの場合は、ちょっとした発見をネチネチと一人前になるように育て上げて、出版できるような形にするわけで、そこに「作品」に対する思い入れが徐々に醸されていくのだと思います。(「熱海殺人事件」を思い出しますね)
それはともかく、このプロジェクトの発展の歴史を振り返って、あらためて、一つ一つの奇跡のようなデータが積み重なって、ここにたどり着いたのだと実感して感動してしまいした。一緒に実験してきた中で、こういうこともあった、ああいうこともあった、失敗した実験も多かった、でもこの実験を思いついたのは素晴らしかった、などなど、過去の出来事を一つ一つ振り返りつつ、無事にプロジェクトが成熟しつつある様子を見ることができたことに、深い感謝の気持ちが湧いてきました。その感動を分かち合える人がいるというのも何という幸せだろうかと思いました。
思うに、私は何年もパッとしない研究人生を送ってきました。客観的にみれば、今もバッとはしていませんが、「自己受容」、「現実受容」をだんだんと覚えて、それでも幸せでいることができるコツをちょっとずつ身につけて今に至ります。このプロジェクトが良い雑誌に載れば、それは私にとっても筆頭著者となる彼女にとっても嬉しいことには違いませんが、仮に良い雑誌に載らなくても、私のこのプロジェクトに対して感じている今の幸せが損なわれることはありません。なぜなら、このプロジェクトがこのように進んだことは、振り返ってみれば、私や彼女の力だけではありえず、肝心なところで研究の神様が我々を導いてくれて奇跡が起こったからに他ならないと確信するからです。ですので、どの雑誌に載るかどうかも研究の神様の導きに任せたいと思います。
なかなかうまくいかなかった若い頃に、私は、研究で成功している人々と話をする機会がありました。そのころ、そんな成功している人々が、共通して「自分はラッキーだった」というのを聞いて、本当に不思議な気がしました。結局、成功は運次第なのかな、と思ったりしました。今では、私は、成功には幸運であることが必要だとは思いますが、同時に幸運に恵まれるかどうかは本人次第であるとも思っています。
実際、私自身、このプロジェクトの小歴史を辿ってみて、「研究の神様のお導き」を実感するに至ったわけで、それで、かつて成功した人々が「ラッキーだった」といった意味が、なるほど、このことだったのだろうか、と腑に落ちたのでした。すなわち、真摯に研究を行い、謙虚に実験の成功に感謝することを続けていけば、肝心なところで、研究の神様が助けに来てくれる、そういうことなのではないでしょうか。それは「運」です。しかし、その運を呼び込む、大切な所で研究の神様に助けてもらう、そのためには、必要な準備と心がけいうものがあり、若いころの私はそれを理解していなかったのだと今は感じます。つまり、頭と体の両方を使って真摯な努力をすることに加えて、おそらく大切なのは、素直さと謙虚さと感謝の気持ちであろうと思います。そこに研究の神様がチョイと休みに来るプラットフォームができるのではないでしょうか。
ここ数年一緒にやっている人が一時間のトークをすることになり、昨日、彼女の発表の準備を一緒にやっていてました。そのプロジェクトは、数年前に、小さなdescriptiveな論文になればいいや、ぐらいの本当に軽い気持ちで始めたものですが、彼女が当たりを引き続けて、まるで映画を見るかのような興味深いストーリーにまとまりつつあります。ただし、これは私小説的な研究なので、いくら美しいストーリーでも研究業界に与えるインパクトは大したものではありません。
建前上、研究は、社会や人々にとってなんらかの役に立つことを願ってやるわけですが、その一つ一つの活動は極めて個人的、趣味的なものだと私は感じます。なんらかの目的を目指して始めたプロジェクトが、そのまますんなりと思い通りに進むことはまずありません。小さな壁にぶつかっては紆余曲折を繰り返して、結局、ゴールにたどり着けないこともしばしばです。しかしその道すがらに思いがけない発見をしたり、予想もしなかったような「お話」を発掘したりすることがあります。むしろ、それこそが研究の目的ではないかと私は個人的に考えています。極端に言えば、宇宙開発プロジェクトのようなものです。宇宙開発に関わっているほとんどの人は本気で火星に移住したいとは思ってはいないでしょう、しかし、宇宙開発というゴールに向けて努力する間に、地上でも実際に有用な技術が開発されたりわけで、むしろそっちの方が本来の目的であると言えます。いわば「行き掛けの駄賃」の方が真の狙いなのです。アカデミアの研究プロジェクトとも同じようなものだと私は思っており、何よりの駄賃は、研究活動そのものを通じて得られる研究者自身の満足だろうと感じます。
キザにいえば、私にとっては、思い入れの入った研究は「作品」であり、論文は一編の詩であったりするわけです。もちろん5年の力作も、仮に読んでもらえても、大抵の読者は鼻をほじりながら数分で無感動に読み飛ばしてしまうのはわかってはいますが、それでも論文を世に出そうとする側にとっては、手塩にかけて育てた一人娘を嫁にやるような気持ちです。(私、娘はおりません)
無論、あまりにインパクトが大きい発見で、育て上げたり磨きをかける必要もないよううなネタなら素晴らしいですが、そんな大発見は滅多になく、多くの場合は、ちょっとした発見をネチネチと一人前になるように育て上げて、出版できるような形にするわけで、そこに「作品」に対する思い入れが徐々に醸されていくのだと思います。(「熱海殺人事件」を思い出しますね)
それはともかく、このプロジェクトの発展の歴史を振り返って、あらためて、一つ一つの奇跡のようなデータが積み重なって、ここにたどり着いたのだと実感して感動してしまいした。一緒に実験してきた中で、こういうこともあった、ああいうこともあった、失敗した実験も多かった、でもこの実験を思いついたのは素晴らしかった、などなど、過去の出来事を一つ一つ振り返りつつ、無事にプロジェクトが成熟しつつある様子を見ることができたことに、深い感謝の気持ちが湧いてきました。その感動を分かち合える人がいるというのも何という幸せだろうかと思いました。
思うに、私は何年もパッとしない研究人生を送ってきました。客観的にみれば、今もバッとはしていませんが、「自己受容」、「現実受容」をだんだんと覚えて、それでも幸せでいることができるコツをちょっとずつ身につけて今に至ります。このプロジェクトが良い雑誌に載れば、それは私にとっても筆頭著者となる彼女にとっても嬉しいことには違いませんが、仮に良い雑誌に載らなくても、私のこのプロジェクトに対して感じている今の幸せが損なわれることはありません。なぜなら、このプロジェクトがこのように進んだことは、振り返ってみれば、私や彼女の力だけではありえず、肝心なところで研究の神様が我々を導いてくれて奇跡が起こったからに他ならないと確信するからです。ですので、どの雑誌に載るかどうかも研究の神様の導きに任せたいと思います。
なかなかうまくいかなかった若い頃に、私は、研究で成功している人々と話をする機会がありました。そのころ、そんな成功している人々が、共通して「自分はラッキーだった」というのを聞いて、本当に不思議な気がしました。結局、成功は運次第なのかな、と思ったりしました。今では、私は、成功には幸運であることが必要だとは思いますが、同時に幸運に恵まれるかどうかは本人次第であるとも思っています。
実際、私自身、このプロジェクトの小歴史を辿ってみて、「研究の神様のお導き」を実感するに至ったわけで、それで、かつて成功した人々が「ラッキーだった」といった意味が、なるほど、このことだったのだろうか、と腑に落ちたのでした。すなわち、真摯に研究を行い、謙虚に実験の成功に感謝することを続けていけば、肝心なところで、研究の神様が助けに来てくれる、そういうことなのではないでしょうか。それは「運」です。しかし、その運を呼び込む、大切な所で研究の神様に助けてもらう、そのためには、必要な準備と心がけいうものがあり、若いころの私はそれを理解していなかったのだと今は感じます。つまり、頭と体の両方を使って真摯な努力をすることに加えて、おそらく大切なのは、素直さと謙虚さと感謝の気持ちであろうと思います。そこに研究の神様がチョイと休みに来るプラットフォームができるのではないでしょうか。