最近の研究の動向をみていると、スピードがどんどん早くなってきているように思います。網羅的解析法の発達でツールとマテリアルはそこそこ出揃ったような感があり、かつてはツールの開発も含めて一つのプロジェクトであったものが、今ではそうした出来合いのモデュールを組み合わせて形を作り、そこの多少の肉付けをしていくというスタイルの研究を多く見かけるようになった感じがします。レゴみたいなものですね。最近のトップジャーナルに出ている論文でも、すでにデータベースにあるものを再解析して主要なデータをひねり出していくというスタイルのものもよく見ます。こうした研究では、いかに大量にdatabaseに眠っているデータから欲しいものを掘り出すかというコンピューター解析の技術がものを言うということになります。
あいにく、私のメインのスタイルは遺伝学的手法なので、public dataだけからチョイチョイというわけにはいきません。マウスのツールは使いやすくはなりましたが、金と時間がかかるのは相変わらずです。数年前からの「知識やデータの集積は終わりつつあり、これからはその応用を考える時代だ」というような風潮があり、パブリックデータを広く有効利用しようとする傾向は好ましいことではあります。
一方で、網羅的解析で得られたビッグデータを複合的に組み合わせて、より包括的にするというような研究をよく紙面でみます。ビッグデータからズームインして深く掘り下げるというのではなく、単にビッグデータを三次元化したというようなタイプのやつです。こういった研究に関しては、その知見がどれほど意義があるのか、私はちょっと懐疑的なところがあります。マイクロアレイの出始めもこんな感じでした。大量のアレイデータを並べて、どちらかと言えばdescriptiveな論文がたくさん一流紙に出ました。そのうちのどれほどが現在にまで影響を及ぼすような研究であったかと言われると、あまり思い浮かびません。
しかし、研究というのも、半分ぐらいは流行歌みたいなものです。そのほとんどが一時的には注目されても、いずれすぐに忘れ去られるもので、その多くは生物学的な意義よりも、技術的進歩によって新しいタイプのデータが得られるようになったという点を評価されているように思います。だから流行化するし、流行だから流行のスタイルが飽きられたら(つまり、技術が汎用化したら)その時点でそのスタイルで論文を出すのは難しくなります。ま、私は、それでも良いとは思っております。その中で実際に役に立つようなものは形を変えながらも残っていくわけですし。
さて、ちょっと、世間のこと。今頃になって、政府関係者は福島原発事故に関して多少反省しているポーズをとろうとしているような感じですが、相変わらず、その場かぎりで誤魔化せば、その内、被害者の人々も諦めるだろうというような態度に見えます。
東京新聞から。
二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かった。本紙が入手した草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様(みなさま)の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示している。、、
菅義偉(すがよしひで)官房長官は二十五日午前の記者会見で、東京電力が福島第一原発事故当時に炉心溶融(メルトダウン)の定義を明記したマニュアルを使用せず、炉心溶融の公表が大幅に遅れたことについて、「(これまで)誤った説明をしたということは極めて遺憾だ」と述べた。、、、、(口では東電を批判しても、東電を解体したり、原発廃止したりはしないのねー)
直接的、間接的に経済的な恩恵を受ける中で、柴田さんの頭からは原発にリスクがあることが消えていった。一九八六年四月、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が起きても、二人とも「構造が違うし、あれは別物。日本の原発は安全・安心」と信じていたという。、、、「地震と津波だけならこんなことにはならない。放射能のせいだ。見た目は以前と変わらないのに、こんなの異常。むなしい」。夫妻の表情が曇った。 、、、
政府の原子力災害現地対策本部は二十日、福島県南相馬市で住民説明会を開き、原発事故で同市の帰還困難区域以外の地域に出ている避難指示を四月中に解除したい考えを伝えた。住民からは「時期尚早」など反対意見が相次ぎ、桜井勝延(かつのぶ)市長は終了後、「四月中の解除は難しいと感じた」と話した。
あいにく、私のメインのスタイルは遺伝学的手法なので、public dataだけからチョイチョイというわけにはいきません。マウスのツールは使いやすくはなりましたが、金と時間がかかるのは相変わらずです。数年前からの「知識やデータの集積は終わりつつあり、これからはその応用を考える時代だ」というような風潮があり、パブリックデータを広く有効利用しようとする傾向は好ましいことではあります。
一方で、網羅的解析で得られたビッグデータを複合的に組み合わせて、より包括的にするというような研究をよく紙面でみます。ビッグデータからズームインして深く掘り下げるというのではなく、単にビッグデータを三次元化したというようなタイプのやつです。こういった研究に関しては、その知見がどれほど意義があるのか、私はちょっと懐疑的なところがあります。マイクロアレイの出始めもこんな感じでした。大量のアレイデータを並べて、どちらかと言えばdescriptiveな論文がたくさん一流紙に出ました。そのうちのどれほどが現在にまで影響を及ぼすような研究であったかと言われると、あまり思い浮かびません。
しかし、研究というのも、半分ぐらいは流行歌みたいなものです。そのほとんどが一時的には注目されても、いずれすぐに忘れ去られるもので、その多くは生物学的な意義よりも、技術的進歩によって新しいタイプのデータが得られるようになったという点を評価されているように思います。だから流行化するし、流行だから流行のスタイルが飽きられたら(つまり、技術が汎用化したら)その時点でそのスタイルで論文を出すのは難しくなります。ま、私は、それでも良いとは思っております。その中で実際に役に立つようなものは形を変えながらも残っていくわけですし。
さて、ちょっと、世間のこと。今頃になって、政府関係者は福島原発事故に関して多少反省しているポーズをとろうとしているような感じですが、相変わらず、その場かぎりで誤魔化せば、その内、被害者の人々も諦めるだろうというような態度に見えます。
東京新聞から。
二〇一一年三月の東京電力福島第一原発事故の際、首都圏で大規模な避難が必要になる最悪のシナリオに備え、当時の菅直人・民主党政権下で首相談話の作成が極秘に行われていたことが分かった。本紙が入手した草案には「ことここに至っては、政府の力だけ、自治体の力だけでは、皆様(みなさま)の生活をすべてお守りすることができません」などと万策尽きた状況を想定した部分もあり、原発事故直後の政府内の危機感をあらためて示している。、、
菅義偉(すがよしひで)官房長官は二十五日午前の記者会見で、東京電力が福島第一原発事故当時に炉心溶融(メルトダウン)の定義を明記したマニュアルを使用せず、炉心溶融の公表が大幅に遅れたことについて、「(これまで)誤った説明をしたということは極めて遺憾だ」と述べた。、、、、(口では東電を批判しても、東電を解体したり、原発廃止したりはしないのねー)
直接的、間接的に経済的な恩恵を受ける中で、柴田さんの頭からは原発にリスクがあることが消えていった。一九八六年四月、旧ソ連・チェルノブイリ原発事故が起きても、二人とも「構造が違うし、あれは別物。日本の原発は安全・安心」と信じていたという。、、、「地震と津波だけならこんなことにはならない。放射能のせいだ。見た目は以前と変わらないのに、こんなの異常。むなしい」。夫妻の表情が曇った。 、、、
政府の原子力災害現地対策本部は二十日、福島県南相馬市で住民説明会を開き、原発事故で同市の帰還困難区域以外の地域に出ている避難指示を四月中に解除したい考えを伝えた。住民からは「時期尚早」など反対意見が相次ぎ、桜井勝延(かつのぶ)市長は終了後、「四月中の解除は難しいと感じた」と話した。