最近のNatureのフロントページで論文の出版に時間がかかりすぎるという記事がありました。投稿、リジェクト、再投稿、リバイス、リジェクト、、、を何度か繰り返すのはよくあることです。このウェッブサイトの読者アンケートを見ると、最初の投稿から出版まで最長の時間は、1-2年がもっとも多かったですが、5年以上と回答した人も5%弱いました。5年といえば人生の5%以上の時間です。研究の主題にも技術にも流行がありますから、論文も投稿と再投稿を繰り返してタイミングを逸してしまうと、ネタの新鮮さは失われ、人々の興味は薄れ、最終的にインパクトの低い論文になってしまいます。記事で取り上げられている例では、Scienceの最初の投稿から始まって最終的にPLoS Oneに落ち着く過程が生々しいです。
あと、密かに思うのは、やはり最近の研究業界の生き残りの厳しさを反映しているのか、品質の悪いものが増えているように感じます。実験の規模は年々増大し、多くのデータを要求されるようになり、一流紙ではストーリー重視主義がはびこる中、じっくり一つ一つのデータを吟味して確実性の高い、完成度の高いものに仕上げるという努力が省かれれているように感じます。ストーリーは面白いのだが、それを成り立たせているデータそのものの確実性の吟味を怠っている、張り子の虎のようなものがしばしば見受けられます。
今回の知り合い関係者からの論文もそうでした。知り合いだから何とかしてあげたいけど、ちょっと足りない。でも簡単にリバイスできるような足りなさではない。一年がかりの実験をやり直す必要があります。足りない事情もなんとなくわかります。筆頭著者は大学院生でしょうから時間に制限があるのだろうなあ、と思います。著者の方も、足りないのは十分承知しているだろうと思いますが、もう一年かかる実験を繰り返すことはできない事情があって、この形で投稿せざるを得なかったのでしょう。すっきりとは形にならないものを無理に体裁をつけたという感じで、苦労もわかるし、気の毒だなあと思いますけど、もっとも重要な結論をサポートするデータがちょっと弱過ぎます。などと思いつつ、リバイスを推薦するのボタンを押しました。
余程のことがない限り、私はリジェクトのボタンは押さないです。リジェクトにするのが筋だろうという論文でも、著者の努力次第で十分掲載可能なレベルになると考えられるものは、具体的に必要不可欠なリバイスのポイントを指摘した上で、Major revisionを推薦するようにしています。しかし、そんな「温情?」が報いられることは滅多にありません。大体、最初からポイントが抑えられていないような論文を投稿してくるような人々なわけで、そういうのは、リバイス後の論文の出来も大概はダメです。時に、著者がコチラの意図が理解できないのか、あるいは積極的にゴマカシそうとしているのかわかりませんが、グダグダになってしまうこともままあり、こんなことなら、最初からリジェクトしておけば良かったと後悔することもあります。(アベ氏の国会答弁のような、論理が欠如し、要点にわざと答えず、最後は逆ギレするかのようなResponseを平然と書いてくるようなケースがホントにあるのですよ)
もう一本、知り合いではないですが業界ではそこそこ有名な研究室から回ってきた論文がそうでした。その実験には金も労力も時間もかかっていますが、データの解釈に必要な肝心な部分をきっちり押さえていないので、結果に複数の解釈の余地が残り、結論が十分にサポートできていないのです。つまり、研究の基礎工事の部分を手抜きしているために、その上に相当な労力と金をかけて建てられたストーリーが砂上の楼閣のような風情になっているのです。それで、このままではストーリーはいつ崩壊するかもしれないから、基礎工事をやり直すようにというようなコメントを書いて送り返したのが、多分一年は前。リバイスの著者からのレスポンスを見てちょっと驚きました。早い話が、ウチは隣の家でやったと同じような基礎工事をしたが、隣の家は大丈夫なのだからウチの基礎工事をやり直す必要はない、というようなコメントだったのです。ま、そんな三段論法的が通るのなら、世の中の9割の実験は不要です。生物学は厳密科学ではないので、一々、実験を繰り返して知識を集積しないといけないわけですから。
とは言うものの、想像するに、そういった基礎的な実験をやれない事情があるのだろうと思います。その実験をやって予測と異なるデータが出ると、ストーリーが崩れ去ってしまうような場合、論文を通したい一心の著者ならやりたくないでしょう。しかし、怪しい論文、クオリティーの低い論文を出すということは、「信用できないヤツ」と名刺に書いて配るようなものです。出さない方がマシです。
これは、最近、身近な例でありました。5 年前にとある一流紙に出た論文ですが、出版の一年ぐらい前に、筆頭著者の人から直接そのデータを聞く機会があり、その時に「データは別の解釈の余地があり、私の持っているマウスを使えば簡単に判定できるので、協力するので実験をして確かめたらどうか」という提案をしたことがありました。しかし、彼らにとってはストーリーはすでにできており、私の提案した実験で思うような結果がでなければストーリーは崩れ去ってしまうという状況のようでした。その後、彼らからはナシの礫で、気が付いたら論文がでていました。最近、彼らの論文のデータ解釈に関して、私と同じことを考えていた別のグループからコンタクトがあり、彼らの論文のデータの解釈が正しくないことを示す実験データがでたと話がありました。それで事情を説明して、おそらく彼らはデータに別の解釈の余地があることは知っていたが、論文の出版に都合が悪いので、知らないふりをしたのだろう、という話をしました。間もなくして、その「反駁論文」は投稿され、最初の論文の著者側にレスポンスを求める編集室からの連絡が行ったことをまた別のルートから知りました。まだ係争中(?)のようですが、本来なら論文の撤回がスジだろうなあと私は思います。5年前に、怪しいところを隠して一流紙に掲載された論文を、忘れた頃にほじくり返されて、グダグダの挙句に下手すると撤回ということになれば、悲しいことです。正直は最上のポリシーですね。