百醜千拙草

何とかやっています

幸運を実感した再投稿

2016-03-18 | Weblog
暇なのか忙しいのかわからないような日々が続いています。次のグラントのアイデアをアレコレ考えているうちに1日が過ぎていき、一晩寝ると、いろいろ考えたことをすっかり忘れてしまって、また同じことを繰り返すというような馬鹿げたことになっています。この物忘れの凄さは驚くべきものです。どこかから脳細胞が漏れているのかと思うばかりです。昔は、アイデアは自然と天から降りてきたものですが、今は何か思いついても、それが思考のテストを通過して、形になりそうなレベルに到達するものは百に一つもありません。

ようやく5年がかりのプロジェクトの論文を、半年がかりでリバイスをして論文を再投稿しました。振り返れば、動物のcharacterizationは比較的早期に終わったのですが、その後、メカニズムがなかなか詰められず、紆余曲折し、あっちの小道に迷い込んだり、こっちに寄り道したりして、3年以上悪戦苦闘し、最終的に論文にしたデータの10倍以上の様々な実験データはオクラになりました。この論文がそこそこの形になったのは、3年前にきてくれた人が当たりを引いてくれたからです。彼女が来てから、もう一本のプロジェクトも一気に進み、そちらの方も大詰めに近づいてきました。

In vivoでマウス遺伝学的手法を使ってメカニズムを詰めるというのは時間がかかります。最初のデータからいろいろな仮説を複数考えて、種々のデータから当たりそうなものを絞っていって、実験に入るわけですが、動物のことですから、一つの小さな仮説をin vivoで確かめるだけで早くても半年ぐらいは軽くかかってしまいます。論文のリバイスに半年かかったのも、遺伝学的実験を足したかったからで、もちろんこの実験が成功するという保証があったわけではなく、思うようなデータが出ていなければ、その半年は単に棒に振っただけに終わっていた可能性もありました。しかし、彼女のこの半年の頑張りと引きの強さは目を見張るほどのものがありました。リバイス前の論文も、私の当初の予想よりも数段上のよい出来になっていたのですが、この半年のリバイスで、更にインパクトのあるデータを足すことができて、厚みも増してよい作品に仕上がったと思います。5年の月日と彼女の頑張りを思い出して、投稿前には、つい涙ぐんでしまいました。

ま、運が良かったとも思います。しかし、「運」というものは普段の心がけと努力の賜物だと思います。この論文も5年の努力とオクラになった数多くのデータがあったからこそ、この形になったと思います。

私は、以前は、トーストを落とすとバターを塗った面が必ず下になって落ちるタイプだと思っていたのですが、それなりに辛い目にもあいながら匍匐前進している間に、自分は実は「運がいい」のだと理解し始めました。人生ここまで何とか生きてこれたという事実そのものが「運の良さ」を証明しており、その実感に基づいて「運」を当てにもできるようになりました。なんとかなる、ということですね。

どうも、幸運は「自分は運がよい」と思っている人にやってくるようです。私にとっては、そう考えられるようになるのに私なりの挫折の体験というものが役に立ったのだろうとは思っている次第です(とりあえあず、今は)。
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