なかなかグラントのアイデアが煮詰まらず、鬱屈の日々です。興味深い予備データもあるし、方向性として悪くはないと思うのですが、華がないというか、押しが弱いというか、レビューアの快感中枢を刺激するような興奮惹起要素が一つ欠けているのです。ここで「なるほど」と唸らせるような新規アイデアを盛り込まないとダメなのは分かります。ネタの鮮度も落ちていくので、この一年以内に応募しないともうチャンスはなさそうな気がします。
それで、レビューアの快感中枢を刺激して高評価を得るような因子とは何か、というようなことを考えていました。当たり前ですが、それは新しいこと(もの)で、かつその重要性が示唆されるものを扱うということです。評価のポイントとなっている「イノベーション」ですね。私のこれまでのグラントは、全部この手できました。ところが、新しいもので、重要そうで、かつ自分の専門に合致しているようなものが、そうそう出てくるわけでもありません。力のある大手研究室だと、新しいものを自力で見つけ出し、その重要性をある程度示した上でグラントを応募するということが可能でしょうが、弱小ラボではとてもそうはいきません。かといって、偶然、棚から落ちてくるぼた餅を当てにするわけにもいきません。
それで、そもそも「イノベーション」とは何ぞや、ということを嫌でも考えざるを得なくなりました。新規性と言いますが、よくよく考えてみると、世の中に本当に「新規」なものはほとんどありません。ほとんどすべての発見、発明に至る過程は、新しくないものの組み合わせることによってなされているようです。つまり、新しいものは、新しくないものの新たな組み合わせという過程から生まれるということのようです。
私のような遺伝子中心スタイルでやってきた人間にとっては、「重要そうな新しい遺伝子」というものはもう簡単には見つかりません。新しい遺伝子はゲノムのアノテーションが進むにしたがって増えていっているわけですが、それが重要かどうかは実験をしてみるまでわかりません。結局、新規性を示すためには、遺伝子同士を組み合わせる、異なる手法を組み合わせる、組み合わせの工夫をすることになります。どのような組み合わせによって新たな興奮(インパクトのある発見)につながる可能性が高いかを考えて、グラントではそれをうまくプレゼンしていうということでしょうが、言うは易し行なうは難しです。
グラントや論文で多い批判の一つに、研究成果が「incremental」というのがあります。しかるにイノベーションの本質をこのように考えてみると、基本的に研究というものはincreamentalにしか進まないもので、イノベーティブと言われる研究でも、結局incrementalな研究活動の結果をretropectiveに評価された結果にすぎないのではないかと感じます。つまり、ある目的地に至るには、現在ある手段を使って距離を縮めていくしかないわけです。しかし、そうこうしている間に高速移動手段が開発されたりして、それを自分の目的にあわせて組み合わせることで、目的地への到着を早めることができたりします。そうすると突然イノベーティブだと評価されたりするわけです。古いものを組み合わせて、他人よりも早くやる、イノベーティブであるということは、結局、そういうことでしょうか。ちょっと馬鹿らしい気持ちがします。
馬鹿らしいといえば、メリットベースでプロジェクトを審査して研究資金を配分するというシステムは、よく考えると馬鹿げていると思います。絵に描いた餅に値段をつけるのですからね。応募時点では、餅そのもが評価されるわけではなく、餅の絵がうまく描けるかどうかで決まるわけですし。
それで、レビューアの快感中枢を刺激して高評価を得るような因子とは何か、というようなことを考えていました。当たり前ですが、それは新しいこと(もの)で、かつその重要性が示唆されるものを扱うということです。評価のポイントとなっている「イノベーション」ですね。私のこれまでのグラントは、全部この手できました。ところが、新しいもので、重要そうで、かつ自分の専門に合致しているようなものが、そうそう出てくるわけでもありません。力のある大手研究室だと、新しいものを自力で見つけ出し、その重要性をある程度示した上でグラントを応募するということが可能でしょうが、弱小ラボではとてもそうはいきません。かといって、偶然、棚から落ちてくるぼた餅を当てにするわけにもいきません。
それで、そもそも「イノベーション」とは何ぞや、ということを嫌でも考えざるを得なくなりました。新規性と言いますが、よくよく考えてみると、世の中に本当に「新規」なものはほとんどありません。ほとんどすべての発見、発明に至る過程は、新しくないものの組み合わせることによってなされているようです。つまり、新しいものは、新しくないものの新たな組み合わせという過程から生まれるということのようです。
私のような遺伝子中心スタイルでやってきた人間にとっては、「重要そうな新しい遺伝子」というものはもう簡単には見つかりません。新しい遺伝子はゲノムのアノテーションが進むにしたがって増えていっているわけですが、それが重要かどうかは実験をしてみるまでわかりません。結局、新規性を示すためには、遺伝子同士を組み合わせる、異なる手法を組み合わせる、組み合わせの工夫をすることになります。どのような組み合わせによって新たな興奮(インパクトのある発見)につながる可能性が高いかを考えて、グラントではそれをうまくプレゼンしていうということでしょうが、言うは易し行なうは難しです。
グラントや論文で多い批判の一つに、研究成果が「incremental」というのがあります。しかるにイノベーションの本質をこのように考えてみると、基本的に研究というものはincreamentalにしか進まないもので、イノベーティブと言われる研究でも、結局incrementalな研究活動の結果をretropectiveに評価された結果にすぎないのではないかと感じます。つまり、ある目的地に至るには、現在ある手段を使って距離を縮めていくしかないわけです。しかし、そうこうしている間に高速移動手段が開発されたりして、それを自分の目的にあわせて組み合わせることで、目的地への到着を早めることができたりします。そうすると突然イノベーティブだと評価されたりするわけです。古いものを組み合わせて、他人よりも早くやる、イノベーティブであるということは、結局、そういうことでしょうか。ちょっと馬鹿らしい気持ちがします。
馬鹿らしいといえば、メリットベースでプロジェクトを審査して研究資金を配分するというシステムは、よく考えると馬鹿げていると思います。絵に描いた餅に値段をつけるのですからね。応募時点では、餅そのもが評価されるわけではなく、餅の絵がうまく描けるかどうかで決まるわけですし。