百醜千拙草

何とかやっています

学位審査

2017-10-13 | Weblog
ちょっとした縁がきっかけで、他大学の博士課程学生の学位の学外審査員をやることになりました。しかも全く畑違いの蛋白化学。ただし、新しいペプチド化合物の細胞への応用を中心にした研究なので、生物学的な部分について評価して欲しいとのこと。200ページ近くある学位論文のゲラが送られてきましたが、半分ぐらいはチンプンカンプン。わかる部分だけ見て、博士候補の人にあらかじめそっと質問内容を伝えておきました。

約1時間の口頭発表は、いろいろと興味深く、結局、伝えた質問以外の質問ばかりすることになってしまい、学生さんをちょっと狼狽させてしまったようです。悪かったなあと思いましたが、口頭試験はパスになったので、結果オーライで許してくれるでしょう。
他の学内委員の人々は、学位論文の出来に不満だったようで、結局、学位論文のmajor revisionを要求することになりました。
しかし、この200ページの力作の学位論文ですが、一体、誰が読むというのでしょうか。人目に触れる重要な部分はすでに論文となっているわけですから、結局はこの大学の図書館の片隅に延々と保存されるだけのことでしょう。それをmajor revisionで書きなおさせるのは何の意義があるのだろうと疑問に思わずにおれません。確かに勉強不足の部分はありますが、この学生さんも博士をとった後はテクノロジートランスファーの部門でインターンをする予定とのことで、ベンチサイエンスからは足を洗うようなことを言っていましたし。学位論文の内容をよくしようとする過程でいろいろ学ぶこともあるでしょうから修行のうちともいえますが、研究成果を出して論文を出したのなら、それだけで学位を与えるに十分ではないかと私は思うのですけど。(と言いつつ、私の方も論文を通すためにレビューアに言われた馬鹿げた実験をやっているワケですが)

昔から学位など、足の裏の米粒、とよく言われました。取っても取らなくても大差はない、あるいは、取ったところでどうということもないが取らないと気持ちが悪い、という謂らしいです。ま、私なんぞが審査員をするのだから、いい加減なものであることには違いありません。最近は、ますますそういったタイトルのバカバカしさを感じることが多くなりました。

でも、たまに若い人と交流するのは楽しいです。若い人が一生懸命やっているのを見るのは眩しいですね。彼女の人生のささやかな一部に係ることができてよかったと思いました。これからの長い人生、色々あるでしょうが、頑張ってね、と心の中でつぶやきつつ、大学を後にしました。
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