Natureの記事。
Lucky Science (The serendipity test)
を読んで。
科学では、思いがけないようなきっかけで大発見につながることが多いものだと、多くの人が信じていることです。ペニシリンの発見、X線の発見、などなど、ヒョンなことから大きな発見につながったこうした例を多くに人が知っており、その発見の経緯はドラマを見るかのような例も多いです。個人的にも思いがけないデータなどを考え直してみることで発見に至ったという経験を持つ人は多いと思いますし、私もこれまでの論文を振り返ると、トップダウンのプロジェクトが思い通りに進むことはまずなく、論文のネタは実験がうまくいかずに妙な結果が出た場合に拾ってきたものから発展したものが半分ぐらいあります。
そういうわけで、大発見というものは狙って出るものではなく、セレンディピシャスなものであり、ゆえに「Curiosity-driven」な研究が正当化されてきたわけですが、この科学の重要な発見はセレンディピティーに依存するという考えには、本当に根拠があるのか、それを科学的に検討するための二億円ほどの研究プロジェクトがOhid Yaqubによって行われています。
彼は、セレンディピシャスな発見のタイプを4つに分類しています。第1は、ある研究が、別の場所での発見につながる場合。例えば、1943年のマスタードガス爆発の調査が、癌の化学療法につながったような例です。2つ目は、レントゲンのX線などの本当の偶然のような場合、それから、ゴムの加硫法の偶然の発見のような予期せぬ方法にによってある解決策に到達するような場合。そして、ある発見が後に出現する問題の解決策になっていたような場合です。例えば、実験用フラスコを落とした時に、後の車のフロントガラスの飛散防止の現象が最初に観察されています。
この研究の結果、セレンディピティが生じる幾つかのメカニズムが同定されたとYasqubは言っています。つまり、鋭敏な観察力、誤りや「制御されていい加減さ (controlled sloppiness; これは予期しない現象が起こるような状況を作り出しつつも、その原因を突き止めることができる)」といったものです。また、彼は人々のネットワークの共同的な動きがセレンディピシャスな発見を作り出すことを見つけたとのことです。(ま、なんとなく、当たり前の結論のように思いますけど)
さらに、彼は助成金で支援される研究の成果にどの程度、セレンディピシャスな発見が関与するのかを調査することを計画しているようで、セレンディビティーの重要さ(あるいは非重要さ)を明らかにすることで、助成金の分配や、研究スタイルを最適化することが可能になるかもしれません。
セレンディピティな発見にメカニズムがあり、意図的にコントロールできるとしたら、もうそれは偶然の発見とか幸運だとか言えなくなってきそうです。となると、きっと「一発当てる」ことができる研究者も予測がつくようになるのかもしれません。
セレンディピティを科学するというのは、面白い研究とは思いますけど、果たして二億円をかける価値があるのかな、とも思います。この研究で得られた結果が、常識が予測する以上の精度を持つとは思えませんし。
Lucky Science (The serendipity test)
を読んで。
科学では、思いがけないようなきっかけで大発見につながることが多いものだと、多くの人が信じていることです。ペニシリンの発見、X線の発見、などなど、ヒョンなことから大きな発見につながったこうした例を多くに人が知っており、その発見の経緯はドラマを見るかのような例も多いです。個人的にも思いがけないデータなどを考え直してみることで発見に至ったという経験を持つ人は多いと思いますし、私もこれまでの論文を振り返ると、トップダウンのプロジェクトが思い通りに進むことはまずなく、論文のネタは実験がうまくいかずに妙な結果が出た場合に拾ってきたものから発展したものが半分ぐらいあります。
そういうわけで、大発見というものは狙って出るものではなく、セレンディピシャスなものであり、ゆえに「Curiosity-driven」な研究が正当化されてきたわけですが、この科学の重要な発見はセレンディピティーに依存するという考えには、本当に根拠があるのか、それを科学的に検討するための二億円ほどの研究プロジェクトがOhid Yaqubによって行われています。
彼は、セレンディピシャスな発見のタイプを4つに分類しています。第1は、ある研究が、別の場所での発見につながる場合。例えば、1943年のマスタードガス爆発の調査が、癌の化学療法につながったような例です。2つ目は、レントゲンのX線などの本当の偶然のような場合、それから、ゴムの加硫法の偶然の発見のような予期せぬ方法にによってある解決策に到達するような場合。そして、ある発見が後に出現する問題の解決策になっていたような場合です。例えば、実験用フラスコを落とした時に、後の車のフロントガラスの飛散防止の現象が最初に観察されています。
この研究の結果、セレンディピティが生じる幾つかのメカニズムが同定されたとYasqubは言っています。つまり、鋭敏な観察力、誤りや「制御されていい加減さ (controlled sloppiness; これは予期しない現象が起こるような状況を作り出しつつも、その原因を突き止めることができる)」といったものです。また、彼は人々のネットワークの共同的な動きがセレンディピシャスな発見を作り出すことを見つけたとのことです。(ま、なんとなく、当たり前の結論のように思いますけど)
さらに、彼は助成金で支援される研究の成果にどの程度、セレンディピシャスな発見が関与するのかを調査することを計画しているようで、セレンディビティーの重要さ(あるいは非重要さ)を明らかにすることで、助成金の分配や、研究スタイルを最適化することが可能になるかもしれません。
セレンディピティな発見にメカニズムがあり、意図的にコントロールできるとしたら、もうそれは偶然の発見とか幸運だとか言えなくなってきそうです。となると、きっと「一発当てる」ことができる研究者も予測がつくようになるのかもしれません。
セレンディピティを科学するというのは、面白い研究とは思いますけど、果たして二億円をかける価値があるのかな、とも思います。この研究で得られた結果が、常識が予測する以上の精度を持つとは思えませんし。