百醜千拙草

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山本太郎氏の都知事選立候補に思うこと

2020-06-19 | Weblog
ちょっとだけ東京都知事選の話。
数日前、山本太郎氏が立候補を表明しました。支持者も驚いた人が大半ではなかったかと思います。というのは、その前に宇都宮氏が野党の支援を受けて立候補を発表していたからです。ちょうど、知事選を目前にして、現知事の暴露本(といっていいのでしょうか)が話題となり、学歴詐称問題が再燃し、かつ四年の都政で何一つ公約を達成できず、築地移転問題はあとを引き、オリンピックのためにコロナ対策は遅れ、東京アラートとかいうパフォーマンスに終始したということもあって、宇都宮氏とその支持者にとってはチャンスと思われました。野党で候補を一本化すれば勝てる可能性が高くなるという状況で、山本太郎氏が立候補を考えているというニュースが流れました。
多くの人がこれは野党候補を勝たせるための山本流の戦略で、最後は宇都宮支援に回ると思ったと思います。

だから山本氏の立候補表明は驚きでしたし、宇都宮氏と支持層が被っているせいもあり、支援者の反感を買ったと思います。私もよく意図がわからなかったので、会見をちょっと見てみましたが、事情を知って、正直、気が滅入りました。

この数年、私は立憲民主党執行部、つまり反小沢派の旧民主党の残骸、に不信感を抱くことが増えました。というか、もとを正せば、福島原発事故の時の枝野氏への不信感が再発したと言った方が正しいでしょう。思い返せば、あのときも枝野氏はメルトダウンの事実を誤魔化そうと「ご飯論法」的会見をし、「だだちに健康に影響はない」といいながら、全身防護服とガスマスクをつけて視察に行っていたのを覚えています。再び、野党となり、アベ政権をするどく批判はするものの、結局はアベ政権と似たようなことを与党時代はやっていたのです。その民主党は狸にバカされて壊滅し、行き場を失った枝野氏が立ち上げた立民に国民は期待したわけですが、結果、期待は裏切られ、執行部に不信感や違和感を募らせた有望な人材、山尾氏や須藤氏らが離党し始めました。どう考えても、立民幹部連中のゴールは保身であるとしか思えなくなりました。五十五年体制時の社会党、プロレスに欠かせない脇役、結局はショービジネス、やってるフリです。

そこへ、山本太郎が本音を丸出しにして出てきました。参議院時代から空気を読まない、ガチンコ真剣勝負と言ってきたのは、与野党含めた日本の政治ゴッコ、プロレス ショーに心底、怒っていたからでしょう。原発問題から政治に入り、国民が求めていることを実現したいという真摯な思いに共感した人は多かったでしょう。一方、プロレスの興業主は徹底的に圧力をかけてセンセーショナルな山本氏の活躍の報道を抑制し、冷笑し、ネガティブキャンペーンを流して、予定調和的プロレス興業の世界から追い出そうとしてきました。

彼は地盤も看板もなく、反原発を主張したがために芸能界から干された一芸能人です。議員の間、永田町の常識(すなわち世間の非常識)にとらわれることなく、正論を真正面からぶつけました。そして、悟ったことが、参院の一議席ではどうにもならないこと、一人でできることは限られているということでした。その結果の決断として、あえて自由党から出て、選挙前に新たな政党を作り、街頭演説で直接市民と語って、資金を集め、二人の重度障害者を議会に送り込むという驚くべき仕事を成し遂げました。そのうえで、政党代表者として、野党共闘をよびかけ、消費税減税を共通政策にして闘うことを訴え続けてきました。

デフレの不景気に消費税を増税するのは自殺行為です。増税の結果は最初から見えていて、やはり、その通りになりました。結局、目先の大企業の減税のために貧乏人も含めた国民全員から消費税を取り立てて穴埋めし、大企業にカネを集めた一方で、大多数の国民生活をますます厳しくしました。親の代から支持しているという理由で自民や公明を無批判に投票する盲目的支持層に支えられる与党に本気で勝つつもりなら、国民の生活を直接豊かにするような政策を主張し、政治には無関心だが生活が苦しいと思っている層にアピールしない限り勝てません。内需が六割の日本経済、消費税を減税(そして廃止)することで生活は10%ラクになり、結果として消費が増えて景気がよくなる、誰にもわかる当たり前の理屈であり、日々の生活こそが国民の最大関心事なのだから、「消費税減税」を野党が一斉に叫べば、必ず勝てます。なのに立明も国民もそれをしない。

しない理由は政治屋である立民執行部の算盤勘定です。悪く言えば、「与党にはまだなりたくないけど、政治屋は続けたい。そのためには支持母体の連合の機嫌を損ねるわけにはいかないし、財務省と霞ヶ関とは仲良くしたい。とりあえず、国民生活は後回しでよい、野党で有る限りは責任はないし、、、」てな、ところでしょう。結局、自分たちの保身、縄張り確保が第一なのでしょう。だから消費税減税も言わないし、本気で政権をとる気もない。

立民は山本太郎を野党統一候補としてかつごうとしたのに、消費税減税を次の国政選挙で共通政策にすることはできない、「れいわ」の名前を出すのも許さない、では、山本太郎氏としては話にならないでしょう。一方、宇都宮氏と言えば、都知事選では何度も惜しいところで敗れてきたり、統一候補のために出馬を断念した経緯もあり、是非とも勝ちたい、という意志は強いと思われます。その宇都宮氏が、立民の支持を得るために、いくつかの自分の主張を引っ込めるのも理解できます。勝たなければ何もできないのだから、勝つためにはなんでもやるというのはもっともです。しかし、それがために万が一のしがらみで理想とする都政が実現できなくなったのでは困ります。

山本太郎は次の国政選挙それからその先のことを考えて、知事選の野党統一候補として担がれることを拒否しました。ならば、なぜ都政に出るのか、筋違いではないかという話もあるでしょう。ただ、私が思うに参議院時代に、あれだけ政権をするどく批判し、野党にも語りかけて変えようとしたのに、議会はまったくピクリともしなかったのです。というのは、議会にいる多数の議員がタダの政治屋、プロレス業界の住人に過ぎないからでしょう。結局、彼らは自分の議席とそれに付随する利得しか考えていない。結果、彼らは議会をバカにし、情熱をもって世の中をよくしたいと行動する人間を白けた目で眺める障害物になってしまっている。そんな議員を、山本氏がいくら熱弁をふるっても変えることはできないし、却って「パフォーマンス」と冷笑系の有害無益の人々に笑われてしまうのが今の日本の残念なレベルです。そして、国会議員一人ではできることはわずかです。

東京都知事のパワーは大きいです。国政で言えば内閣総理大臣に匹敵する。思うに山本太郎の理屈は、地方自治というのは結局、カネを出す政府に紐づけられ思うような政策が実現できておらず、地方の首長の不満は大きい。東京知事というポジションを利用して、東京を変え、そして地方の首長と共闘できれば、政府をも変えていけるのではないか、ということなのではないかと思います。また東京知事という立場で人々を啓蒙していくことができるのなら、国政の選挙にも影響を及ぼすこともできるでしょう。この辺は、私が勝手に想像していることですけど。

いずれにしても、その「大義」が正しいものであるならば、あらゆる手をつくせばよい、と私は思います。しかし、山本太郎にとってみれば、これは大きな賭けであり、とくに、現職の再選を許してしまえば、宇都宮支持層や野党からも批判を受けることになりかねない。(強いものに媚び、弱いものはいじめる文化の日本ですからね)。

ただ、現在、彼以上に建前を本気で通そうとする政治家を見ないし、その驚異的な行動力と戦略性は類を見ないです。是非とも凡庸な政治屋と白けた国民に潰されないようにと願うばかりです。これまでも、世の天才をつぶしてきたのは、愚かなエゴに満ちた凡人の群れですから。
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