百醜千拙草

何とかやっています

理性を失わないこと

2020-06-02 | Weblog
ここ数日話題になっているのがミネソタでの警官による黒人男性傷害致死事件。全米でプロテストが巻き起こり、それに悪ノリする連中が出てきて暴徒となり無差別破壊行動にでています。「これはプロテストではなく、カオスだ」、黒人人口が多い南部の中心地アトランタでは黒人市長が涙ながらに暴動に出る人々を諫める映像が話題になりました。

こういうのは世界同時多発するもので、東京では職務質問に応じなかったクルド人への警官の暴行が動画で拡散され、デモになりました。また、イスラエルではエルサレムで丸腰のパレスティナ人がイスラエル警官に射殺されるという事件も二日前に起こっています。日本の入管での外国人への虐待は、度々、ニュースになっておりますし、イスラエル建国以来、連綿とつづくパレスティナ問題については、近年ますます攻撃的になったイスラエルは世界的反感を買っています。つまり、世の中が排他的、差別的、攻撃的、になってきているとだと思います。つまり、人間性の退行であり、その理由は人間の動物的な欲求が満たされていないからではないでしょうか。残念な傾向です。独裁者にとっては都合がいいのでしょうけど。

今回の警察の殺害とプロテストと続く暴動は、コロナでの外出抑制でストレスが溜まっていた人々の吐口となったという理由もあると思いますけど、人が集まって感情的になっていると、理性というのは簡単に吹っ飛ぶものだなあ、と思います。人間は感情の動物ですが、その動物性を制御することができるのが、人間に与えられた理性というものです。感情が豊かであれば、なおさらそれを制御できる理性が必要です。権力や力を持つものにとって、理性による感情のコントロールが重要なのは言うまでもないです。まして、意図的に権力を利用して他人を傷つけることによって鬱憤をはらすなどもってのほかです。

残念ながら、この手の権力を利用して他人を傷つけて鬱憤をはらす輩はどこにもおります。パワハラですね。そういう人は自分が何をしているのか理解していないところが厄介です。わかっていたら、普通はやらないでしょうからね。問題は同調圧力の強い日本の社会で、受身的にいじめに荷担してしまう人々でしょう。この同調圧力が日本のいじめ問題を陰湿なものにしていると思います。

私、昔から、権力をふりかざす連中が大嫌いで、つらつら思い起こせば、中学生のころに読んだ星新一の「人民は弱し、官吏は強し」に衝撃を受けたからではないかな、と思い当たりました。陰湿で悪意のある人が組織の権力をもった場合には、普段は善良な人でも個人の良心よりも組織を優先させて、悪事に荷担してしまうのでしょう。モリカケでの財務省の偽造、捏造は記憶に新しいです。

しかし、生まれながらに邪悪な人は2-30人に一人ぐらいはいるらしいです。生まれ持った性格異常のそうした人はどうしようもないですけど、そういう人間が強大な権力をもつようになるというのは、世界の悲劇でしかないです。どこかの法務大臣のように、本来普通の人間でも、邪悪な人間が権力を持つ組織に属して、追い詰められると見え見えのウソを国会でつくようにもなります。

感情という動物を制御できるのは理性です。理性を働かせるには立ち止まって考えることだと思います。宮澤喜一は「保守」とは立ち止まって考えることだと定義しましたが、それは、保守とか革新とかいう以前の問題であると思います。考えずに現状を肯定するのも、考えなしに破壊行動にでるのも、人間としては、ダメだと思います。


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